<インドネシアの民話> 前のお話 次のお話

ヤシの木パク・ドゥング

テキスト提供:小澤俊夫さん

 


 昔むかし、あるところにパク・ドゥングという名のお百姓がいた。それはまぬけなとうちゃんという意味だった。その名のとおりそのおじさんは本当にかなりまぬけだったが、働き者で正直だった。ある日女房が水牛を売ってくるようにとそのお百姓に言った「パク、あしたの朝、この水牛を市場へ連れてって売っといで。だけど決して二百ルピアより安く売っちゃいけないよ」。パク・ドゥングは「よし」と答えた。

 水牛を売るという夫婦の話をパク・ブスクが聞いてしまった。パク・ブスクは卑劣な悪い男で有名だった。パク・ドゥングが水牛を売ろうとしていることを聞くと、パク・ブスクの心にはひとつの悪い計画が浮かんだ。よし、パク・ドゥングのやつをだましてやろう。急いでパク・ブスクは仲間のパク・コケルとパク・コレクを訪ねて、いっしょにパク・ドゥングをだまそうと誘った。

 次の朝早くモスクの太鼓が朝のお祈りの時刻を告げるころには、もうパク・ドゥングは家を出て水牛を市場へと追い立てていた。とくに寒い日だった。それでパク・ドゥングはブツブツ言いながら歩いていった「こんな寒い日にひとを市場へやらせるなんて、うちのやつも人使いが荒いよなあ。おれはまだ朝飯にありついてないし、コーヒーだって飲んじゃいない。けど、もうちょっとだて。この水牛が売れたらそのあとで腹いっぱい食ってやろう」。パク・ドゥングは道中ずっとそうつぶやいていた。

 パク・ドゥングは村を出ると、ちょうどそこでパク・ブスクに出会った。パク・ブスクがきいた「こんなに早くお出かけかい。どちらへ行かれます、パクさん」。「市場だ」とパク・ドゥングはふきげんに答えた「水牛を売りにね」。「どの水牛を?」と、パク・ブスクは何も知らないふりをして尋ねた。「何も見えないみたいなことは言わないでくれよ。おれがここに連れてるのは、ひょっとして水牛じゃないとでも言うのかい。あんたはこんなにでっかい水牛を見たことがないんだろう」。

パク・ブスクはその水牛をそれはそれは詳しくながめまわした。水牛を頭からしっぽまで触ってみて、しまいには足までも触ってみた。そして響きわたるような声で笑った「ハッハッハッ、あんたはほんとうにパク・ドゥングだね、実にまぬけだよ。これは水牛なんかじゃない、やぎですよ。いくらでこのやぎを売るつもりかね。市場へ連れてくなんて骨折りをすることはないよ。このやぎをわたしにさっさとよこしなさい。五十ルピア払ってやるぜ」。返事もせずにパク・ドゥングはブツブツ言いながらまた歩き始めた。「いかれた野郎だ、水牛をやぎだと言いやがって。おれがまぬけだと思ってだまそうとしやがる。ヘッ」

 それほど遠くまで行かないうちに今度はパク・コケルに出会った。パク・コケルは親切そうにきいた「パクさん、そのやぎを連れてどちらへ行かれるのかね」。パク・ドゥングは怒って答えた「これはやぎなんかじゃない、水牛だ」。「水牛だって?」とパク・コケルは言い、あきれたふりをした。そして水牛のからだじゅう触ってみながら、やぎの鳴き声をまねた――エンベク、エンベク――「パク・ドゥングさん、これをいくらで売るつもりかね」。「二百五十ルピア」。「二百五十だって? このくらいの大きさのやぎはほんとうはそんなに高くないよ」とパク・コケルは言った。

「何がやぎだ。一度よく見てくれよ。こんなにでっかいやつをやぎだと言えるわけがない。つべこべ言う前にまずよく見るんだな」。パク・ドゥングはこう答えて、ますます腹を立てた。「パク・ドゥング、言いたいように言うがいいさ。水牛だ、やぎだ、象だって。実を言うとな、市場ではこれよりずっとでっかいやつが四十ルピアだぞ。市場へ骨折って行くよりも、わたしによこしなさい。五十ルピアあんたに払ってやるよ」とパク・コケルは言った。

それには答えずにパク・ドゥングは歩き出したが、心の中で迷い始めた「こりゃ水牛かなあ? それともやぎかなあ? どうしてふたりもそろってこいつをやぎだと言ったんだろう」。パク・ドゥングは立ち止まり、水牛を軽くたたきながらしげしげとながめてみた。「ああこりゃやっぱり本物の水牛だ。あのふたりはおれをだまそうとしやがったんだ」

 パク・ドゥングは、水牛かな、やぎかな、水牛かな、やぎかなと迷いながら歩いていった。水牛のことをああでもないこうでもないと考えながら歩いていくと、ひとりの男がしゃべりかけてきたのでびっくりした。「こんなに早くお出かけですか、パク・ドゥングさん。これからどちらへ」。パク・ドゥングが立ち止まってみるとパク・コレクだった。「おれは市場へ行くところだよ」。するとパク・コレクが言った「あんたはそのやぎをいくらで売るつもりかね」。

パク・ドゥングは今度はもっと迷った。疑い深くパク・コレクの顔をのぞきこみ、それから自分の水牛を見た。そして心の中で言った「さあ何がほんとうなんだ。うちのやつは水牛だと言ったぞ。こいつらはやぎだと言い張る」。それからこう答えた「二百五十ルピアだよ」。「この動物がそんなに高いはずはない。五十ルピアではどうだ」と今度はパク・コレクが言った。パク・ドゥングは混乱してしまった。パク・コレクは歩き出しそうなふりを見せて言った「売る気かい。売らない気かい。パクさんや。売らなくたって別にいいんだがね。わたしは市場まで急いで行ってやぎを買わなきゃならない。あそこじゃずっと安いからね」。

「ああこりゃほんとうはやぎだ」とそのときパク・ドゥングは決めた。「きっとうちのやつがおれをかついで、やぎのことを水牛と言ったんだろう」。そして急いでパク・コレクを呼びもどした「パク・コレク、まあ来てくれよ」。「いったいなんだい」とまったく気がないようにパク・コレクはきいた。「このやぎを売るよ」と自信なげにパク・ドゥングは言った。パク・コレクはポケットから財布を取り出すと、開けてかねを出して数えた。ちょうど五十ルピアあった。パク・コレクはそれをパク・ドゥングにやった。パク・ドゥングはかねを受け取ると水牛を引き渡した。それからふたりは分かれ、パク・ドゥングは急いで家へ帰った。

 家にたどりつくと、あんまり早くもどってきたので、女房はとても驚いてこう言った「まだ早いのに、あんたもう帰ってきて、パク。ずいぶん早く売れたんだね」。「ほんとうにいいぐあいだったよ。村の出口まで行ったら、たちどころに商売ができちゃったんだ。これがかねだよ。ほれ」。「いくらだい」と女房はかねを受け取って数えたが、たった五十ルピアしかないので驚いた。

「ここにはたった五十ルピアしかないよ。あと二百ルピア足りないよ」。「おれはほんとうにたった五十で売ったんだよ」パク・ドゥングは答えた。「ハァ、五十ルピアで売ったのかい。あんた、あんなに大きな水牛を五十ルピアで売ったのかい」。女房は興奮して言った。「あれは水牛じゃなくてやぎだったよ」とパク・ドゥングは女房に説明した。

パク・ドゥングのこのことばを聞くと女房はますます怒って戸口のしんばり棒をひっつかんだ。左手を腰にあて右手でしんばり棒を握り、打つ構えをして言った「あんたはいかれてるよ、パク。もう白髪が生えてる年だのに、やぎと水牛の区別もつかないなんて市場へもう一度行って売っちまった水牛を捜しておいで。そいつらから二百ルピア取っておいで。おかねを持たずに帰ってきたりしたら気をつけな。このしんばり棒であんたの頭をなぐってやるよ。そんな頭割れたってかまいやしない」

 パク・ドゥングはあわてて駆け出した。パク・コレクの策略にひっかかったので、がっくりして悲しかった。そして自分をだましたパク・コレクを今度はどうやったらだませるか、よく考えてみた。そしてしまいに、なかなか悪くない計画を思いついた。市場へ着くといろいろな店へ行って、かねをやって言った「あとでおれは仲間とここへ来る。やつらが十分満足するまでサービスしてやってくれよ。そしておれが頭を振って小さな鈴を鳴らしたら『お支払いはすんでおります』と言ってくれ」。

それからパク・ドゥングはパク・コレクを捜し歩いた。そして運よくパク・コレクと他の連中に出会った。三人は悪だくみがうまくいったので喜び合っていた。やぎだと言ってだました水牛はとっくに売れてしまって、二百五十ルピアの売上げ金を持っていた。ということは二百ルピアもうけたことになる。

 パク・ドゥングは三人に近づいて言った「みんな来いよ。おれが心ゆくまでご馳走してやるぞ。やぎを売ったもうけを使おうと思ってな」。疑いもしないで三人はパク・ドゥングについて一軒の店へ行った。パク・ドゥングは三人に飲み食いをさせた。そして三人が満腹すると店の主人にきいた「いくらだい」。「五十ルピアです」。するとパク・ドゥングは頭を振った。その時鈴が鳴るのが聞こえた。鈴が鳴ると主人は言った「もう、お支払いはすんでます」。パク・ドゥングは外に出た。驚いた三人の詐欺師も後に従った。

そして四人は一軒のたばこ屋の前で立ち止まった。パク・ドゥングはたばこを四包み取って連れに配った。ひとりが一包みずつもらったのだ。それからパク・ドゥングは頭を振った。鈴が鳴った。するとたばこ屋は言った「もう、お勘定はすんでます」。三人の詐欺師はますますふしぎに思って互いに顔を見合せた。三人はその小さな鈴が何か特別な力を持っているのだと思った。

それからパク・ドゥングはもう一軒の店に入り、食べ物と飲み物を注文した。そしてまたみんなが満腹になると頭を振った。鈴の音がした。店の主人へ「もうお支払いはすんでます」とだけ答え、パク・ドゥングは一銭も払わなかった。三人の詐敗師はますます、あの鈴には何か特別なカがあるのだろうと思って、パク・ドゥングからそれを買い取ろうと計画した。

 パク・ブスクが言った「パク・ドゥング、店へ行ってたらふく食べて飲んだのに、ただの一銭も払わないのはどうしてだい。どうしてあんたが頭を振って鈴を鳴らすだけですむんだい」。「ああそれは秘密だよ。でも、あんたらがだれにもしゃべらないなら教えてやろう」。三人の詐欺師はうなずいた。「それはこういうわけなんだ。おれはおやじからひとつの鈴を遺産にもらった。その鈴にはふしぎなカがあってね、何かを買う時にこれを鳴らすと、売り子は支払いがすんだ気になって『お勘定はすんでます』と答えるんだ」。

「パクさんや、その鈴をゆずっておくれ。二百ルピアで買おう」パク・ブスクが言った。「いや絶対売らないよ。その鈴を売ってしまうと、おれは暮らしが立たなくなっちまうんだ」どパク・ドゥングは答えた。「それじゃパクさん、わたしがこの鈴を手に入れても、あんたのことは忘れないようにするよ。毎日必要なものはあんたのところへ屈けるよ」パク・ブスクは言った。

「ほんとうかい」とパク・ドゥングは、しらばっくれて言った「だけど、だれにも言うなよ。うちのやつにも言わないでくれよ。それじゃ二百五十ルピアくれ」。よく考えもせずに三人はパク・ドゥングに、あの水牛を売ってもうけた二百五十ルピアを渡した。パク・ドゥングは喜んでかねを受け取ると鈴をパク・ブスクにやった。

 パク・ドゥングが行ってしまうと、三人はその小さな鈴をしげしげとながめた。それは子供たちが遊んでいる普通の鈴とまったく変わりはなかった。まあその鈴のカを試してみようと思って三人は一軒の店に入り、すばらしいご馳走と、好みの飲み物を注文した。満腹になると、パク・ブスクがきいた「いくらだい」。「二十五ルピアです」と店の主人。パク・ブスクは頭を振って鈴を鳴らした。けれども店の主人は何も言わなかった。

 パク・ブスクと仲間たちは立ち上がって店を出ようとした。すると、店の主人が尋ねた「かねはどこてす?」 パク・ブスクは頭を振った――リンリン――「かねはどこです」とまた店の主人が要求した。パク・ブスクは鈴の音が聞こえなかったのだと思って、くり返し頭を振った―――リンリン、リンリン、リンリン―――店の主人はますます怒ってしまい、三人が自分をかついで、だまそうとしたのだと思った。

店の主人はしんばり棒をつかむと、パク・ブスクとその仲間をひっぱたいた。「かねを持ってない時には、店に入って飲んだり食ったりはできないもんだ、詐欺師めが。その鈴の音くらいで、食べ物代、飲み物代を払うなんてできるもんじゃねえ!」 そう言って店の主人は三人を緑や青になるまで(注)ぶんなぐった。

 注 「緑や青になるまで」 日本で言えば血へどを吐くまで、というような意味。


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