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ヤシの木ジャッカルがはじめて人間を見たとき

テキスト提供:小澤俊夫さん

 


 むかし、一頭のじゃこうじかがいた。じゃこうじかはたいそう老いぼれて、その小さなからだはすっかりやせ衰えていた。一日じゅうむなしくえさを捜しまわっていたが、太陽がすっかり西に傾いても、まだおなかがぺこぺこだった。じゃこうじかはひもじくてひもじくて、よろよろ歩くのがやっとで、もうまっすぐ立っている力もなかった。

そうするうちに竹やぶの陰にやってきた。竹はびっしり生い茂っていたので、太陽の光はその葉にさえぎられて地面まで届かなかった。風がおきて葉っぱをざわざわとゆさぶり、じゃこうじかの汗ばんだからだに吹きつけた。じゃこうじかは自分の不幸な運命のことを考えながら、目を閉じて、やさしく吹く風に身をまかせていた。

その時突然、どこからともなく一匹のジャッカルが現れて遠ぼえした。じゃこうじかは卑劣で憎たらしい、ジャッカルを見ると、大変驚いた。空腹で弱りきったじゃこうじかの体は恐れにおののいた。「ここにおれさまの獲物があるぞ」とジャッカルはうれしげにほえた。じゃこうじかはこの遠ぼえを聞くとますますおじけづき、からだを起こすことも、立ち上がることもできなかった。

「おれさまから逃げるな。このうまそうな獲物め」。ジャッカルは、それからこう言った「どこへ逃げても、すぐにとっつかまえるぞ。おれはおまえの首をへし折って、頭をかみくだいてやる」。じゃこうじかは左石を見回した。けれどもじゃこうじかは疲れきっていたので逃れる方法はみつからなかった。いったいどうやって、じゃこうじかはこの強いジャッカルから逃れたらいいのだろう。

 「あなたさまから逃げるなんて、どうして考えられるものでしょう、だんなさま」とじゃこうじかはうやうやしく言った「なにしろ、じゃこうじかはジャッカルさまのえじきになるよう、神さまに造られたのですから。しかも、ジャッカルさまは神さまがお造りになったものの中で、いちばん強くって、その上へ美しい姿をしておいでだし、すばらしく敏しょうでいらっしゃるのですから。あなたさまのつめから逃れられるものはいやしません」。

ジャッカルは、じゃこうじかがほめたたえるのを聞くとたいそう喜んで、気を良くして鼻を鳴らした。「器用さにかけても、ジャッカルさまにかなうものはほかにいやしませんよ」と言ってから、じゃこうじかはこうつけ加えた「人間は別だけれど」。「人間だって?」ジャッカルは、その時ムッとして言った。

ほめられるのは好きだけれど、自分より器用なものがいるなんて、聞きたくはなかった。いつの世にも、強いものよりもっと強いものが、賢いものよりもっと賢いものがいるということをジャッカルは思ってもいなかった。ジャッカルは「上には上がある」ということわざを知らなかったのだ。それでジャッカルは、じゃこうじかから人間の話を聞いたとき、いい気持ちがしなかった。

ジャッカルはじゃこうじかに話を続けさせた。「人間って、いったいどんな動物なんだ」。「人間は、二本の足をもった生き物なんですよ」とじゃこうじかは答えた。ジャッカルはじゃこうじかをあざ笑った。「ははーん、それじゃ人間はにわとりみたいなもんだな。もし、人間がにわとりのように二本の足しかないのなら、どうやって人間はおれさまを負かすというんだ」。

「違いますよ。もちろん人間は二本の足しかありませんが、にわとりなんかとは違うんですよ。人間には羽はなくて二本の手があるんです」。「おれはそんな生き物には、いままで一度もお目にかかったことがないぞ」と、ジャッカルは言った「そいつにはきばがあるのか」。「いいえ、きばなんてありません。歯はたくさんありますけどね」と、じゃこうじかは返事をした。

「そいつのつめは長いのか」。「いいえ、つめにしたって長くはないし、とがってもいませんよ」。「もういい! おい、じゃこうじか、おれさまの前で人間の話はするんじゃない。人間っていうやつが、どうやっておれさまに勝てるっていうんだ。そいつは足がたった二本で、つめもきばもないっていうのに。そんなやつがいったい何を武器にして、おれをやっつけようっていうんだ」。

「人間には、知恵があるんですよ」とじゃこうじかは言った。「知恵? 知恵だって? そりゃなんだ。その知恵とやらいうものは、このおれの鋭い歯よりも強いのか。このおれのとがったつめに勝てる代物なのか」。「だんな、人間っていうのがどんなものか。ご自分で満足がいくように、お確かめになるのがいいんじゃないかと思いますよ」。

「よーし、おれさまを、そいつの巣へ連れていけ」。「巣へ行く必要はありませんよ。道で会うほうが簡単ですから」とじゃこうじかは答えた。「ついて来い!」ジャッカルが言った。二匹はやぶがたくさん茂っている乾いた畑の方へ行った。その畑は道に沿っていた。「ひとまずここに隠れましょう。きっと人間というものが通りかかるはずですから」と、じゃこうじかは言った。「よしよし」ジャッカルは答えた。

二匹はやぶの陰に身をひそめた。しばらく待っていると、木をもった小さな子供がやってくるのが見えた。子供はちょうど、学校から帰るところだった。子供を見ると、ジャッカルは尋ねた「あれが人間というものか?」  「いえいえ、あれは人間ではなくて、ようやく人間の卵になったばかりのものです。もうしばらくしんぼうしてください」とじゃこうじかは答えた。

それから少したつと、老人が現れた。老人はつえをついて歩いてきた。「あれが人間か?」とジャッカルが尋ねた。「人間があんなものなら、おれさまはすぐに襲いかかって殺してやる」。「待ってください。これは人間じゃありません。むかしは人間だったんですけど、もう老いぼれてしまいました。ごらんなさい。あいつは今じゃ三本足で歩いていますよ。もうちょっと待ってください」。

二匹はまたしばらくの間待った。すると遠くからひとりの猟師が鉄砲をかついでやってきた。じゃこうじかは猟師が来るのを見ると内心喜んでこう言った「さあ、ごらんなさい。あれが人間です。あなたさまがどうしてもおやりになる気なら、すぐに立ち上がって、道に出て、あいつのじゃまをしておやりなさい」。するとジャッカルは自信まんまんで言った「あんな動物がどうやっておれさまに勝てるっていうんだい。こんなのなら十匹だっておれさまは勝てるぞ」。

ジャッカルは隠れ場を出て、道のまん中に立って猟師にほえかかった。猟師は、ジャッカルが道のまん中に立ちはだかって自分に襲ってこようとしているのを見ると、銃を構えねらいをつけた。「ドーン」と銃声が森じゅうにとどろいた。そして同時に、高慢なジャッカルは死んだ。銃弾はジャッカルの頭をこなごなにした。ジャッカルの肉は役に立たないので、猟師は死体を気にもとめなかった。

猟師はジャッカルを足で踏みつけただけで、いかにもけがらわしそうに道端にけとばした。「人間とはどんなものかが、やっとわかったろう」と、じゃこうじかは猟師の姿が見えなくなると、やぶからはい出しながら言った。じゃこうじかは吐き気をもよおしながら、ジャッカルの血だらけの頭を右の前足で踏みつけた。そしてその場を立ち去った。


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