<ジャワの民話> 前のお話 次のお話

ヤシの木やもめと魚

テキスト提供:小澤俊夫さん

 

 
 むかし、とても貧乏な年とったやもめがいた。貧しくて何も持っていなかった。着物はわかめのようになって体にひっかかっていたし、食事も毎度は食べられなかった。日に一度しか食べないこともあったし、食べ物を手に入れることができずに一日じゅう何も食べないこともあった。それどころか二、三日食べないことだってまれではなかった。

 若いころ、やもめの暮らしはそんなにひどくはなかった。そのころは働いていてじゅうぶんな給料をもらっていたので暮らしていけた。しかし、それは体が丈夫なときの話だった。今は年とってしまった。力はどんどん衰えていき、しまいにはもう働けなくなってしまった。雇って給料を払ってやろうと思うひとなどひとりもなかった。今では毎日の仕事といえば力のある限りまきや木の葉を集めて、近所のひとたちに米やごはんと交換してもらうことだけだった。

 やもめのすまいは、それは小さながたがたの小屋で、ある金持ちの家の近くにあった。おまけにその小屋はとても古く、屋根は雨もりがし、壁には穴があいていた。小屋全体が傾いていて、今にもくずれ落ちそうだった。やもめには、がたかたになった小屋をなおすこともできなかった。第一にお金がなかった。食べるためのお金もじゅうぶんにないのに、家をなおすお金があるはずがない。それに、その年とったやもめは完全にたったひとりでこの世の中に生きていた。親せきもないので、やもめのために家をなおしてくれる人はだれもいなかった。だから家は時がたつにつれてますます荒れ果てた。

 生まれてこのかた、この貧しいやもめは神さまのことを知らなかった。崇拝したこともなかった。全能の神さまがいらっしゃるからこそ、この世界があるのだということなど、想像もしなかった。それに、自分が今たしかにこの世界に生きているのは、神さまがそうお決めになったからだということも、自分の暮らしすべてが、愛する慈悲深い神さまのおかげであることも知らなかった。

 ある日、貧しいやもめはいつものように、たいたごはんやお米と交換するものを捜しに森へ出かけた。寄る年波でまるで力が出ないし、そのうえ二日間も食事をしていなかった。おなかはからっぽだったので、ゆっくりゆっくり歩いた。大きな川に沿った道だった。ちょうど乾期だったので、長いこと雨は降っておらず、たくさんの川や湖は干上がってしまっていた。偶然その日はとてもよく晴れていて、太陽はジリジリと焼けつくようだった。貧しいやもめが岸を歩いてきた川は、もうすっかり干上がっていて、あちこちの深いくぼみの中にしか水は残っていなかった。

 川岸まで来て、貧しいやもめはぬかるみの中のあちこちで、水がなくなってもがいている魚がたくさんいるのに気づいた。魚たちがはいっていた河床の水たまりは乾きと燃えるような暑さで干上がっていた。大きな魚――きっと魚のラジャだろう――に率いられた魚たちは水が残っている川床のべつの場所へ行こうとしていた。けれども魚たちはいくら捜してもいい場所がなかったので、途中で止まってしまった。

水がなくて今にも死にそうにあちこちでもがいている魚を見て、貧しいやもめはとても喜んだ。やもめは思った「これゃわたしの食糧だよ。さっそくすごいご馳走の用意をしよう。もう二、三日何も食べていない。今にすぐ、おいしい魚の肉が味わえるわい」。食欲がわいてきた。おいしい焼き魚のことを思ってやもめは何度もつばを飲み込んだ。魚たちのうち何尾かは売って、そのお金で、お米とココやしの油、それと香料を買っておいしいものをすぐ作ろうと思った。

けれどもつぎの瞬間やもめは考えを変え、魚をつかもうと伸ばしていた手をまたひっこめてしまった。やもめの目はあちこちでもがいている魚にくぎづげになっていた。じっと見れば見るほど魚の苦しみが思われて、あわれみの気持ちが起こってきた。やもめは自分の生活の苦しさを魚の苦しみとくらべてみた。そして自分の生活は不幸せばかりだけれど、この魚たちとくらべればまだましだと思った。苦しい生活の中にもまだ死から逃れる道がある。木や何かを拾い集めてお米ととりかえればいいのだ。やもめはそう思った。ところが魚たちがおかれている境遇は違っていた。魚たちの苦しみには自分の力で死から逃れられる道はなかった。

 やもめは魚をとる気がなくなってしまった。そして魚たちから目を離さず立ったままでいた。ところが突然びっくりするような体験をした。いちばん大きな魚が人間みたいにしゃべるのが聞こえたのだ。魚はこう叫んでいた「おお、アラーの神よ。あなたのしもべは雨を求めております。おお、アラーの神よ。あなたのしもべは雨を求めております」。その魚はこの呼びかけを何回もくり返し、頭を空へ向けてのばした。貧しいやもめはびっくりして口をあけたまま見ていた。そしてつぎに何が起こるかわかるまで何も言わずに待っていた。

しばらくするとつぎのふしぎなことが起こった。空からバケツをひっくり返したような雨が降ってきたのだ。雨が流れ込んで川には再び水が流れはじめた。魚たちはまたうれしそうに泳げるようになった。死の危機を脱したのだ。この奇跡にすっかり驚いてしまい、貧しいやもめは自分が雨ですっかりぬれてしまったことにも気づかなかった。

やがてやもめは家に向かって歩きだした。が、葉っぱやまきを集める気をなくしてしまった。冷えきった体も気にならなかった。おなかがすいているとも感じなかった。心はさっき見た奇跡でいっぱいだった。家に帰る途中でずっとやもめは、魚が頭を空に向けて雨乞いをした、あのしぐさのことを考えていた。やもめは、ひとりごとを言った「もしあたしが今、アラーの名を唱えてお金が欲しいと言ったら、きっともらえるよ。魚が言ってた言葉のまねをして、そして空のほうを仰ぎ見よう。もちろん違いはあるさ。魚は雨乞いをしてたけれど、あたしはお金をたのむんだもの」

 家につくと貧しいやもめは、寒さも空腹も、体にカがないことも疲れも気にせず、すぐにアラーにお金のお願いをはじめた。座って頭を天に向けて、くり返しくり返しこの言葉を唱えた「おお、アラーの神よ。あなたのしもべはお金を求めております! おお、アラーの神よ。あなたのしもべはお金を求めております!」 少しも休まずにやもめはこの言葉を唱え続けた。心はアラーへのお願いに集中していた。ほかのことは何も考えなかった。生活の苦しさも空腹もつらい仕事も全然頭にはなかった。やもめは、アラーが川の魚たちに雨を降らせてやったように自分にもお金を与えてくれると信じていたのだ。こう信じているとほかのことはみんな忘れてしまった。信じているから、お願いも休みなく唱えられた。一日じゅう、貧しいやもめは大声をあげてアラーにこの願いの言葉を唱えていた。夜になっても叫ぶのをやめはしなかった。

 隣の全持ちの男は、貧しいやもめが休みなく大声で叫ぶのを聞かされて、うるさく思った。おこってやもめの家に行ってこうどなりつけた「静かにせんかい。おまえがわめくのを聞くのはうんざりだ。おまえの願いごとなんか聞きとどけられるもんか。おまえのやってることはむだだよ。アラーがここに来て、金をめぐんでやるなんてことがあってたまるか。ばかげたこととを大声で叫ぶより、森へ行って枝や葉っぱでも集めて生活費をかせいだほうがましだぜ」。

貧しいやもめは、金持ちの腹立ちも悪態も気にとめなかった。やもめはもっと叫んだ。絶え間ないアラーへの呼びかけをそれまで以上に強めた。夜、ほかのひとがぐっすり眠っている間も、やもめはアラーにお金をくださいと叫び続けた。金持ちはもうがまんできなかった。金持ちは大きな袋をとると、くだけたガラスや屋根がわらを口までつめ込んだ。そして貧しいやもめが、お金のお願いを一生けんめいにしている最中に、かけらをいっぱいつめた袋を背負って、やもめの家の屋根に登った。金持ちは貧しいやもめをばかにしてやろうと思った。やもめが頭を天に向けてお願いしている部屋の屋根を剥ぐと、かけらのつまった袋をやもめの真上に落とした。貧しいやもめは気絶してしまった。

金持ちはあの腹立たしい叫び声をやめさせることができて満足だった。しばらくしてやもめはやっと気がついた。そして横に袋があるのを見て喜んだ。アラーがくださったお金がつまっていると思ったのだ。とてもうれしくて、やもめは何回も何回も袋に向かっておじぎをした。そしておじぎをしながらこう言った「おお、アラーの神さま。あなたのしもべはそれは感謝しております。アラーの神よ、本当にお金をお与えくださったんですから。しかしまあ、どうしてまたこんなにたくさん。アラーの神さま、あなたさまは、ご自分の分がなくなったんじゃありませんか?」

 袋に向かっておじぎをくり返して、気が違ったみたいにひとりごとを言っている貧しいやもめのようすを見て、金持ちはとてもおもしろがった。自分の策略がうまくいって、やもめは袋につめたがらくたを本当にお金だと思っているのですっかり満足だった。金持ちはこれからどうなるかと家の外で待っていた。きっと貧しいやもめは、袋にお金がつまっているなどと信じたことをあとで恥ずかしく思うだろう。そしてもうアラーにお金をお願いして叫び続けることはないだろう。アラーはお金はくれずにかけらをくれたのだから。

そうしている間も貧しいやもめは休みなくおじぎをしては、袋のまわりをくり返しくり返し浮かれて踊っていた。少したってからようやく、やもめは中に何が入っているか知ろうとして袋をあけた。袋の中身はなんだったろう。全能の神さまは袋の中のかけらを本物のお金に変えてくださった。大きな袋には口のところまでいろいろなお金が詰まっていた。銅貨も銀貨も金貨もあった。こんなにたくさんのお金を手に入れて、やもめはどんなに喜んだことか。そのときからやもめはとてつもない金持ちになった。

 やもめの財産のうわさはすぐ四方八方へひろまった。やもめは荒れ果てていた家を建てなおした。新しい家は大きくてりっぱで、高価な家具や飾りがたくさんあって、まるで御殿のようだった。着物も今では前のようにボロボロではなかった。とても高価な服を買ったのだ。

 近所の人びとは、やもめがたいへんなもの持ちになったと聞いて、驚きふしぎがった。ただひとりだけ驚かないものがいた。やもめを、かけらの入った袋でばかにしてやろうと思ったあの金持ちの男だ。今ではやもめのほうがこの男より金持ちだった。やもめの財産の十分の一、いや百分の一も男は持っていなかった。そして自分がしたことをくやんだ。どうして自分は、口までかけらの詰まった袋をやもめの家にほうり込んで、やもめを大金持ちにしてしまったのだろう、自分より金持ちにしてしまったのだろう。あんなことをしなければ、やもめは決して金持ちなんかにならなかったろうに。男は無念で、本当に後悔した。けれどもだんだん別の考えが頭の中に浮かんできた。おばあさんがやったことをもう一回やって自分ももっとたくさんの財産を手に入れようと思ったのだ。自分も負けずに、やもめがやったとおりにすれば、袋に入った金や銀が授かると男は信じた。

 ある日、金持ちは召し使いに、口までかけらをつめ込んだ袋をふたつ、晩に屋根の上へ運び上げて、そこから自分の真上に落としてくれと命令した。朝から一日じゅう、男は自分の家に座って首を伸ばして、やもめのまねをして叫んだ「おお、アラーの神よ。あなたのしもべはお金を求めております。おお、アラーの神よ。あなたのしもべはお金を求めております」。夜になっても叫び声は止まなかった。夜なかに召し使いは、かけらが口まで詰まった袋をふたつ持って屋根に登った。そしてお金なを求めて叫んでいる金持ちの真上に袋を落とした。金持ちは卒倒して、しばらくの間気を失っていた。

意識をとりもどすと横に袋がふたつあるのが見えた。男は飛び上がった。くり返しくり返し袋におじぎをしてこう言った「おお、アラーの神よ。あなたのしもべはとても感謝しております。アラーの神さま、本当にお金をくださった。しかしどうしてまた、こんなにたくさん。アラーの神さま、ご自分の分がなくなったんじゃありませんか?」 お金でいっぱいの袋をふたつ手に入れたのだと男は本当に信じた。

しばらくこうしていてから、少しも疑わずに袋をあけた。中には何がはいっていただろう。袋の中のかけらはお金に変わってはいなかった。男はとてもおこって残念がった。そのうえ、かけらの詰まった大きな袋が自分の上に落ちてきたので体にけがをしてしまった。思いどおりにいかなくて、男はおこってどなりちらした「なんでアラーは公平じゃねえんだ。ほかのやつには金をやって、おれにはくれない。もしかしたら今度のやつは前とはべつのアラーだったんだ。前のアラーはかけらを金に変えられても、今度のやつにはたぶんできねえんだ」

 そのときから男は病気になってしまい、もう働いてお全をもうけることができなくなった。働かないので、財産をそれ以上増やすことはできなかった。毎日食べていくために財産を使った。傷を治す薬にもだんだんに財産を使った。けれどもなおらなかった。しまいに男はすっかり落ちぶれてしまい、袋が落っこちてくる前のやもめのように、何もかもなくしてしまった。

 


前のお話  ▲トップ▲   次のお話