<ジャワの民話> 前のお話 次のお話

ヤシの木プチュク・カルンパン

テキスト提供:小澤俊夫さん

 

   
 むかし、ひとりのお百姓がいた。金持ちではなかったので、自分の田んぼの仕事が終わるとたびたび町へ行って、荷物運びの仕事を見つけてはほんの少ししかない収入の足しにした。決して広いとは言えない小さな田のほかに、お百姓は家畜を一ぴき飼っていた。そしてその家畜をとてもかわいがり、たいせつに上手に育てていた。
その家畜は、田を耕すのを助けてくれる水牛でも牛でもなく、一羽の闘鶏だった。このにわとりは大きな体をしていたのでジェルクと呼ばれていた。その体にふさわしく、にわとりはとてもたくさん食べた。砕いたお米やとうもろこしのほかに、肉も好きだった。

食料がすくなくなる端境期(はざかいき)に、みんなは取り入れを待っていて、村には仕事がなかった。お百姓が女房にこう言った「おまえ、今ここにゃ、することがなんにもねえ。わしは町へ行って仕事を捜してみよう。ひょっとしたら荷物運びの仕事でいくらか金を手に入れられるかも知れねえ」。このころ、女房は、ちょうどはじめての子を身ごもっていた。妊娠はすでに九か月を過ぎ十か月めに入っていた。

お産の日がせまっていたので、女房は夫が町へ行くのを引き止めようとした。女房は言った「家にいてくださいな、あんた。まあおなかの中にいる子どものことを考えてくださいよ」。けれどもお百姓は自分で決めたことを変えなかった「よく聞けよ。おれは、おまえのおなかの中の子どものことをよーく考えてるさ。だけど、町へ行かなきゃならねえ。ここにゃ、これから生まれてくる子どものためのものがなんにもありゃしない。おれたちふたりだって食いもんは少ししかないんだぜ。町へ行けば、きっと赤ん坊のために、何かかせげるさ」。

女房は夫の言うことはわかったけれど、すすり泣いて、どうしても出発させまいとした。「何がなんでも、おれは町へ行かなきゃならねえ」。夫は何回もそう言った。「でも、あんたが帰る前に、赤ん坊が生まれたらどうするの」と女房は泣きながらきいた。

お百姓は、ちょっとの間考えて、それから女房を見た。夫はこう言った「おれがまだ町にいる間に生むようなことになったら、おれの言うことに、よく注意しろよ。赤ん坊が男の子だったら、よくしつけて、冷たくあしらったりしちゃいけない。そして元気で早く大きくなるよう気をつけるんだぜ。だが、女の子だったら、すぐ殺すんだ。それから、その肉と後産をジェルクに食わしてやれ。女の子は本当になんの役にも立ちやしない。おれたちにとっちゃ、なんの助けにもなりやしないんだ。そればかりじゃなくて、おれたちの暮らしに苦労をふやしてくれる。男の子はそうじゃない。男の子は、大きくなったら働いて、おれを助けてくれるからな」。

女房は、夫を刺し通すように見つめた。女房の目には涙が浮かんでいた。涙はますます激しくあふれた。おなかの中の子どもが女の子かも知れないということが、心配だった。けれども夫は、うむを言わせない目で見つめていた。女房はただうなずいて同意するより仕方がなかった。「いいわ、あんた」と女房は言った。その声は弱よわしかった。お百姓は女房のその答えを聞くと、満足した。そしてつぎの朝早く、まだ真暗なうちに起きて、町へ仕事を捜しに出発した。 「あんた、道中気をつけてね」と女房は悲しそうに言った。

 二、三日が過ぎ、お百姓の女房に赤ん坊が生まれるときがきた。森にひとりで住んでいるおばあさんが、女房を助けにきてくれた。そのおばあさんは、しょっちゅう赤ん坊が生まれる女のひとにつきそいに来ていた。おばあさんは、本当におめでたい手を持ったひとで、このひとに取り上げてもらう子どもたちはみんな元気に生まれてきた。だから、お百姓の女房も安心して赤ん坊を生んだ。赤ん坊は元気だった。しかし、たった今母親になったばかりの女房は、とてもがっかりした。女房は悲しそうに見えた。産婆は言った「まあ見てごらんよ。この赤ちゃんは非の打ちどころかないぐらい元気だよ。きっとこの子はべっぴんになるよ。でもあんたはどうして悲しそうなの。お産のあと、悲しがったりしちゃよくないよ」。

おばあさんは、今お産をした女房は、夫が自分を独りぼっちにしたので悲しんでいるのだと思った。優しい声でおばあさんは慰めた「悲しがるんじゃないよ。女が子どもを生むのはあたりまえのことなんだよ。ご亭主がそばにいたって、たいした手助けなんかできないよ。それに、子どもが元気で生まれてきたのに、いったいまだ何が悲しいんだい。もうそんなに長くはないよ。今にきっと、この子のおとうさんが帰ってくるよ。お金をどっさり持ってね。聞いてごらん、この子はこんなに元気に泣いてるよ。あたしのように小言好きのばあさんにならないといいね」。

おばあさんは、自分が手を貸してやった女房の心を、じょうだんを言って元気づけようとした。ところが、若い女房の顔はうれしそうになるどころか、かえって悲しそうになった。しゃべればしゃべるほど、生まれたばかりの女の子をほめればほめるほど、子どもを生んだ新しい母親の悲しみはつのった。「いやになっちゃうね、子どもが生まれたからと言って、いったいなんで、わたしの娘はがっかりしてるんだろう」。とうとうおばあさんはそうたずねた。お百姓の女房はぐったりしてあお向けに寝ていた。お産で体じゅうの力が使い果たされてしまったのだ。

 女房の心の奥底にまたあの心配がひろがった。女房はすっかり弱っていて、しかも救いのない気持ちだった。けれども、自分を好いてくれているらしいおばあさんのこの問いを聞くと目をあけた。同情に満ちたしわくちゃな顔が見えた。心配を打ち明けられるひとはほかにはいなかった。お産を手伝ってくれたこのおばあさんがいてくれることは、女房にとってはとてもありがたかった。そこで女房は、お産をさせてくれたおばあさんに、深い呼吸と不安な心のため息とで、と切れがちな弱よわしい声で、生まれた子どもが女の子だと知ったときの自分の悲しさと気持ちを語った。そして、夫が出かける前に残していった言いつけのことも話した。「わたしが生んだ、わたしのこの体から生まれてきた赤ちゃんを、どうして殺したりできるでしょう。わたしのはじめての赤ちゃんを?」

 何もかも話し終えると、お百姓の女房は泣いて訴えた。「どうして自分の血を分けたこの子の肉をにわとりのえさに切り刻んでしまうなんてことができるでしょう」。産婆は自分が助けてやった若い女のこの話を聞いて、気が遠くなるほどびっくりした。今までそんな話は聞いたこともなかった。そのお百姓は、いったいなんてことを考えたのだろう! 自分のはじめての子を殺そうとするなんて! 母親になったばかりの女はまたたずねた「今、わたしはどうすればいいの? わたしには自分が生んだこの赤ちゃんを殺すなんて、できないわ。でも、あのひとが帰って来たとき、なんて言えばいいのかしら。この女の子がまだ生きているのを見たら、あのひとはきっと自分で殺してジェルクに肉をやってしまうわ」。話しながらため息や涙があふれた。それは悲しみの大きさを表していた。

「やけを起こしちゃいけないよ、わたしの子」。おばあさんはこう言うと、若い母親の髪をなでた。「わたしが、家に引きとって、大きくなるまで育てたほうがいいね。そうすりゃ、おとうさんの刃からも無事だよ。ジェルクには、後産とへその緒をやっておけばたくさんだよ」――「でもうちのひとが帰ってきて、子どものことを聞いたら、なんて言えばいいの?」――「ただ、子どもは殺しました。そして、その肉はジェルクにやりましたと言うんだよ。ジェルクには、自分が後産とへその緒しかもらわなかったことなんか、決してわかりゃしないよ」。

お百姓の女房は、おばあさんのこの言葉を聞くと安心した。涙はもっと激しくあふれたけれども、それは心配の涙ではなくて、喜びの涙だった。おばあさんの手を握って自分の顔へ持っていった。そして、何度も何度も、深い深い感謝のしるしにキスをした。「どうもありがとう、おばあさん! 本当にありがとう」。感動で胸をいっぱいにして女房は言った。おばあさんも涙をおさえられなかった。涙はあふれてしわくちゃなほほを流れた。しばらくの間ふたりはなんにも言わなかった。

つぎの日の朝早く、おばあさんは森の中の家へ帰っていった。おばあさんはまがった腰で歩きながら、暖かい胸を、持っている荷物におしつけていた。その荷物の中には、生まれたばかりのお百姓の赤ん坊が眠っていた。赤ん坊は厚い布で包まれていたので、骨身にしみる冷たい風を感じないですんだ。「泣くんじゃないよ。プチュク・カルンパン」とおばあさんは赤ん坊にささやいた。赤ん坊のおかあさんは、夜のうちにこの名をつけたのだった。「眠ってなさい。あんたと別れたおかあさんが、また元気になるといいね」。

夜になってプチュク・カルンパンを連れたおばあさんは、隣の家からも遠くはなれている小屋にやっとついた。おばあさんは家を掃除して、ランプをつけた。そして赤ん坊をねかせると貯蔵してある蜂みつを捜し出してきて、おなかをすかせている赤ん坊にやった。赤ん坊は蜂みつの飲み物で、おなかがいっぱいになると、また眠った。

 おばあさんは、不幸な身の上のプチュク・カルンパンをとてもかわいがった。昼も夜も、やさしい歌であやした。「わたしのかわいい子、おまえを、ほたるのそばでゆさぶってやろう。わたしのかわいい子。おまえをゆさぶってやろう。ほたるが光っているよ。昼間は愉快にね。夜は静かにね」。毎朝、おばあさんはこうして、なまぬるい水でその子を洗ってやる前に、うれしそうにあやした。「ネレンネンクン、ネレンネンクン。わたしのかわいい子。早く大きくなって、おまえの本当のおかあさんを、この不幸な運命が続かないように、助けておやり」。

プチュク・カルンパンは毎日おばあさんに、それは優しくあやされて、日に日に大きくなった。体は早く大きくなり、健康だった。よく眠ったし、よく食べた。そしてまたよく泣いた。けれどもわがままではなかった。育ての親は、ますますプチュク・カルンパンをかわいがった。そして、やがて成長すると、育ての親からたくさんの手仕事を教わった。

 あのころ畑仕事を片づけてから町へ行ったお百姓はと言えば、こういう話だった。お百姓は村の家に帰ってきた。ポケットにはお金がたくさん入っていたので上機嫌でもどってきた。お百姓は身ごもっていた妻のことを考えてひとりごとを言った「ああ、あいつはもう子どもを生んだかな?」 家に着いてみると妻のおなかは前のように平らになっていた。もうお産をすませてしまっていたのだ。「わしらの子どもはもう生まれたのかい?」――「ええ、そうよ」――「どこにいるんだい?」 妻はうなだれて、そして答えた「もう死んだわ。あんたは前に女の子だったら殺さなきゃならないって言ったでしょう」。お百姓はうなずいた。「その肉をもうジェルクにやったかい?」 「やったわ」と女房は言い、頭をまたうなだれた。女房のこの言葉を聞いて、お百姓はとても喜んだ。そして「よし」と言った。

それからかわいいにわとりの小屋へ行った。すぐににわとりをつかまえるとなでてやった。心を込めて翼をさすった。ジェルクが自分の主人を見て喜んでいるのがわかった。にわとりが主人に言った「ブラク、ブラク、ククルユク! 赤ん坊の肉なんて、うそっぱちだよ。おれが食べたのは後産だけだよ。へその緒だけだよ。赤ん坊は夜明けに逃げちまった。あのばあさんは遠慮を知らねえ」。自分のかわいいにわとりのこの鳴き声を聞くと、お百姓はたいへんおこった。そして女房を捜しにもどった。女房に会うとすぐどなり散らした「おれに嘘をついたな、えっ!」

 女房は自分の夫の大きな目を見て、びっくりしてしまった。そして自分の作り話のことを思い出した。「きっとジェルクがこのひとにしゃべったんだわ」。心の中でそう言った。ひざがブルブルふるえた。けれども女房はなんにも答えなかった。「言え」お百姓がもっとどなるのが聞こえた。その声はますます厳しくなった。「今、その子がどこにいるのか、わしに言わんか!」

 それでも女房は何も言わない。ただ涙だけがあふれて流れた。女房が答えようとしないのを見ると、お百姓はもっとおこった。手をのばすと力づくで女房の髪をひっぱった。髪をひっぱりながら、女房をこづきまわした。痛さのあまり、女房は叫んで許しを乞うた。「今、その子がどこにいるのか言わんか!」 「放してください。そうしたらお話しするわ」。女房がこう言うのを聞くとお百姓はぐいぐいひっぱっていた手を放した。髪が自由になり、もうひっぱられなくなると、女房はため息でとぎれとぎれの声で答えた「あの子は・・・・・・あの子は・・・・・・わたしが捨てました。・・・・・・森に・・・・・・どこにいるのか・・・・・・わたし、知りません」――「うそつき女め!」――「本当です」――「そいつが見つかるまで捜せ。さもなけりゃおまえを殺して切り刻んでジェルクのえさにしてくれるわ」。

お百姓の女房は夫に殺されるのではないかとおそろしかった。けれども子どもがかわいかった。女房は自分の子どもの隠れ場所を夫に教えたくなかった。死にもの狂いだった。もし夫が森に捜しに出かけたならばしまいにはあの隠れ場所を見つけてしまうのではないかと心配だった。そしてもし隠れ場所が見つけられてしまったら、子どもを助けることはできない。「さあ行け。見つかるまで捜すんだ」と夫が言うのが聞こえた。目に涙があふれた。女房は立ち上がった。そして急いで森へ行った。

しばらくしてその場所に着いた。けれども、プチュク・カルンパンをあずかってくれたあのおばあさんの家は訪ねなかった。女房は木陰に腰をおろして泣き続けた。何度も遠くのほうを見つめた。目には涙があふれ、まっ赤になってしまった。ほほを涙が洗った。それから顔を両手でおおって悲しみ、嘆きながら泣いた。午後まで女房はそうしていた。そして、ほとんど夕方になるころ家へ帰っていった。

するとすぐ夫にこう聞かれた「子どもはどこだ」。平静を保つように努めながら、女房は静かに答えた「わたしはいたるところ捜しまわりましたけれど見つかりませんでした。以前、どこにあの子を捨ててきたのか忘れてしまったのです」。ところが夫は信じようとはしなかった。「このうそつき女めが!」とカッとなって叫んだ。「嘘だ。もう一回行ってこい。見つかるまで捜せ。わしのにわとりジェルクは腹がすいて、肉を食いたがってるんだ」――「でも、あんた! もうとっくに夜よ」――「あした、また捜しにいくんだぞ!」

つぎの朝お百姓の女房は再び森へ行った。けれども前の日と同様、子どもを捜すことはしなかった。絶望し、心を痛め、思い悩んで悄然と座っていた。どうしたらよいのかわからなくて悲嘆にくれた。夫が自分でプチュク・カルンパンを捜して、そして、あの子を見つけ出してしまうのではないかと心配だった。その日も午後になると家へ帰った。足どりはのろのろしていて疲れきっていた。もうカがなかった。森へ行く道は遠かったので、体の力はなくなってしまった。胸の中で、吹き荒れている大嵐が魂を弱らせてしまった。

家へ帰ってみると夫は何ダースものナイフを研いでいた。研ぎ終わったナイフは鋭くピカピカ光り、明るく輝いていた。夫のこのおこないに女房はとても驚いた。「なんのために、あんたはそんなにたくさんのナイフを研いでるの?」 夫はおこった目で見た。そして「おまえはまた手ぶらで帰ってきやがったな」と荒あらしく言った。「おれはな、子どもの肉を切り刻んでやろうとナイフを研いでたんだ。なのにおまえは子どもを連れて来やがらねえ。おまえは分別のねえ女だな!」――「あんた、わたしは森じゅう、あちこち走り回って、あのとき赤ちゃんを捨てた場所を捜したわ。その場所は見つかったんだけれど、そこにはもう赤ちゃんはいなかったわ。たぶんもう死んじゃったんだわ。とらかそうでなかったらなにかの獣に食われちゃったんでしようね」。女房は疲れ切ってこう答えて、夫が心をやわらげて、その冷酷な計画をあきらめてくれるよう願った。けれども、お百姓は信じようとしなかった。

 「おまえ、おれに嘘をつこうっていうんだな!」 そう叫ぶとナイフで脅した。「この切れそうなナイフが見えねえのか。赤ん坊が本当にとらに食われちまったんなら、赤ん坊を食ったそのとらを見つけてもらおう。もし、そうでなければ、おまえ自身の肉を切り刻んでジェルクのえさにしてやる」――「あんた、あの子はわたしたちの子だってことをもう一度思い出してちょうだいよ」。女房は涙でとぎれとぎれの声で言った。

「そらみろ。そんなら赤ん坊はとらに食われてなんかいないじゃねえか。おまえは本当に嘘っぱち女だ! おまえのくだらんおしゃべりなんか信じてたまるか」。にやにや笑いながら夫は言った。「あした、もう一度森へ行くんだ。そして、赤ん坊が見つかるまで捜してこい」。つぎの朝、お百姓の女房はまた森へ行った。今度はただ木の下にかがんで自分の運命を嘆いてばかりいないで、あの親切なおばあさんの家へ行った。自分のおなかのなかで育てた子どもに会いたかった。けれども心は打ちひしがれていた。道すがら、ずっと渇れることなく涙が出た。

 そうこうするうちにプチュク・カルンパンは成長した。おばあさんはプチュク・カルンパンに綿花の種を一粒与えた。そしてプチュク・カルンパンはそれを家のわきの庭にまいた。獣が入ってくるのを防ぐため、家と庭のまわりにはとても高い垣がめぐらしてあった。お百姓の女房がやって来たとき、プチュク・カルンパンがまいた綿花はもう葉を出していた。垣の外から女房はプチュク・カルンパンを呼んだ。悲しみで声はふるえていた。女房はこう言った「プチュク・カルンパン! プチュク・カルンパン! 早くもどっておいで! おまえのおとうさんが帰ってきたよ! とうさんは、首飾りを持って来てくれたよ。耳飾りも、腕輪も、金色の腰巻きもピンも耳輪も」。

プチュク・カルンパンはこの呼び声を聞いて、育ての親にたずねた。「あれは、おまえの本当のおかあさんの声だよ! 答えておやり」おばあさんはプチュク・カルンパンに言った。 「待っててね、おかあさん」とプチュク・カルンパンは大きな声で答えた。「わたし、ちょうど綿花をまいたの。それがまだ双葉を出したばかりなのよ。先に行っててくださいな!」

 プチュク・カルンパンがいっしょに帰りたがらないので、お百姓の女房ひとりで家へ帰った。子どもを連れずにもどって来たのを見て、夫の怒りはますますつのった。「もうおれに嘘をつくなよ!」 女房がどうにかして何か言う機会をつかむより早く、夫はこう言った「たとえ、何を証拠に並べたてようが、おれはおまえを信じねえぞ。行け、また見つけるまで子どもを捜すんだ!」 夫をうまくなだめようとどんな言葉を言ってみても、お百姓は決して自分の計画を変えようとはしなかった。お百姓は疲れ切った女房の涙やおべっかなど気にもとめず、ジェルクに自分の子をやるという計画を押し通した。毎日、研ぐナイフは鋭くなり、数も増した。

つぎの朝、お百姓の女房はまた、プチュク・カルンパンを迎えに出かけた。産婆の家の垣の前まで来ると女房は呼んだ「プチュク・カルンパン! プチュク・カルンパン! 早くもどっておいで! おまえのとうさんが帰ってきたよ。とうさんは、首飾りを持ってきてくれたよ。耳飾りも、腕輪も、金色の腰巻きもピンも耳輪も」。

プチュク・カルンパンはこれを聞くとうちのなかから答えた「しんぼうしてね、おかあさん。わたし、綿花をちょうどまいたの。それがやっと四つ葉を出したばかりなのよ。先に行っててくださいな」。こう言ってプチュク・カルンパンは、家へ帰ろうというおかあさんの呼びかけをまた引き延ばした。

はじめて綿花に双葉が出たところから始まって四枚、六枚、それから八枚、・・・・・・そして花が咲いて実がなるまで。実はとても大きくなった。そして、乾くとはじけて、風が吹くとみごとな白さでゆらゆらと揺れた。乾ききってしまうとプチュク・カルンパンはその綿花を摘み取った。それから、むしってからを取って乾かした。そして、紡ぐ前に、まず種子をのぞいた。その綿花をすっかり紡ぎ終えてしまうと、織りはじめた。

おかあさんは来るたびに、いつも垣の外に立ってプチュク・カルンパンを呼び、帰ってくるよう誘った。おかあさんのその呼びかけを聞くたびに、プチュク・カルンパンは延ばしてくれるようにたのんだ。ちょうど織り物をしているとき、おかあさんがまた来て、家へ帰ろうと誘ったが、プチュク・カルンパンは、このときもまた、延ばしてくれるようたのんだ。「先に行っててくださいな。今、おとうさんにサロン(注)を織ってあげているのよ。でき上がったら、きっと、お家へいっしょに帰ります」。

この答えを聞くと、おかあさんは帰って行った。おかあさんはもう泣くことすらできなかった。涙は渇れてしまった。目は赤かった。昼も夜も泣き続けていたので、もうほとんど目は見えなくなってしまった。そして、また家に着くと、すぐさま夫にこう言った「プチュク・カルンパンは今はまだ帰って来られないわ。あの子はおとうさんのためにサロンを織ってるところなのよ。どんなにあの子があんたを好いているか考えてみてよ。自分を殺そうとしている不幸なとうさんを!」 

お百姓は耳を貸そうとはしなかった。おこっていたのだ。「おれはサロンなんぞいらん」と荒あらしく叫んだ。 「おれに必要なのは、その子なんだ。おれのにわとりジェルクのえさにしてやるためにな。そうでなけりゃ、おまえの首をちょん切ってやるぞ」。お百姓の女房はプチュク・カルンパンを迎えに、またもどって行った。

垣のところまで来るといつものように子どもを呼んだ「プチュク・カルンパン! プチュク・カルンパン!早くもどっておいで! おまえのとうさんが帰ってきたよ! とうさんは首飾りを持ってきてくれたよ。耳飾りも、腕輪も、金色の腰巻きもピンも耳輪も」。このとき、プチュク・カルンパンは織り終わった。作っていたおとうさんのサロンは仕上がった。それは、こざっぱりとして、輝くばかりにまっ白だった。

プチュク・カルンパンは答えた「さあ、おかあさん、今夜こそお家へ行きましょう。わたしがおとうさんのために織っていたサロンがやっとでき上がったのよ」。それから、プチュク・カルンパンは目に涙をためてじっと見つめているおばあさんに別れを告げて、おかあさんといっしょに帰っていった。

プチュク・カルンパンは先に立って歩いた。そして、おとうさんのためのサロンを腕にかかえていた。おかあさんはうしろから行った。そうして歩きながら、機敏に前を歩いていくプチュク・カルンパンのことを観察した。この子はなんてきれいなんだろう! でも、なんてかわいそうな運命! この子が出会う運命を思うと、もう涙をおさえることができなかった。けれども、この子には、この深い悩みについて何も知らせたくなかったので、ひとこともしゃべらなかった。

家に着くとお百姓の女房は夫に言った「これが、わたしたちの子プチュク・カルンパンだよ。今、帰ってきたよ」。お百姓が研いだナイフはその間に何ダースにもなっていた。その刃はきれいにキラキラ光っていた。何ダースものナイフでお百姓は高いはしごを作った。はしごの段はみんなナイフだった――鋭く研がれたあのナイフだった――プチュク・カルンパンがやってくるのを見ると、お百姓はすぐに、自分が作ったはしごを指さして見せた。

「わたしをどうしようっていうの、おとうさん?」とプチュク・カルンパンがきいた。「おしゃべりはやめろ!」とおとうさんは言った。「おとうさん、おとうさんのためにわたしが織ったサロンよ」とプチュク・カルンパンは言って、持ってきた織り物を父に渡した。お百姓は手をのばして自分の子どもからそのきれ地を受け取った。そして鋭くキラキラ光るナイフのはしごの下にひろげた。

ジェルクは、とっくに前もってはしご段の下に連れてきてあった。にわとりは自分の主人が来るのを見て鳴いた「ブラク! ブラク! ククルユク! 赤ん坊の肉なんて嘘っぱちだった。おれが食ったのは後産だけだよ。へその緒だけだよ。赤ん坊は夜明けに逃げちまった。あのばあさんは遠慮を知らねえ!」にわとりのこの鳴き声を聞くと、お百姓の女房のひざはふるえた。女房の心の苦痛はますます大きくなった。

プチュク・カルンパンはしびれたように、はしごの前に立っていた。「どうして、そこに立ってるんだ」とおとうさんがきいた。「早く! はしごを登れ!」 プチュク・カルンパンはためらった。おかあさんはこんな痛ましい光景を見るに耐えられなかった。けれども自分の夫がプチュク・カルンパンを僧にくしげににらんでいるのを見た。そして言った「わたしの子、わたしのかわいい子、わたしのプチュク・カルンパン! ためらわないで、迷わないで、段々が光っているその高いはしごに登りなさい!」

 プチュク・カルンパンは、おかあさんの言葉を聞くと、そのとおりにした。鋭いナイフで作られた段を踏むために足をあげた。はじめの段を踏むと、足のかかとが切れた。血が激しく流れ出た。赤い血が自分のくるぶしをぬらすのを見ると、プチュク・カルンパンはおかあさんにたずねた「おかあさん! わたしの足のこの赤いものはなあに」――「金の足輪だよ、わたしのかわいい子。おまえのおとうさんが町から持ってきてくれたんだよ」。おかあさんはそう答えたが、悲しみをおさえることはできなかった。

プチュク・カルンパンはもっと登った。今度はひざが切れた。赤い血がひざと足をぬらした。プチュク・カルンパンはまたたずねた「おかあさん、わたしのひざの赤いものはなあに」――「金のひざバンドだよ。わたしのかわいい子。おまえのおとうさんが町で買ってきてくれたんだよ」。

プチュク・カルンパンはさらに登った。すると腰が切れた。そして、またたずねた「おかあさん、わたしの腰の赤いものはなあに?」 おかあさんは答えた「それはね、金色の腰巻きだよ、わたしの子。おまえのおとうさんが町から持ってきてくれたんだよ」。

プチュク・カルンパンは、さらにその上の段に登った。今度は胸が切れた。それでもまだたずねることができた。「おかあさん、わたしの胸の赤いものはなあに?」――「それはね、金色のピンだよ。おまえのおとうさんが町で買ってきてくれたんだよ。わたしのかわいい子」。

プチュク・カルンパンはさらにその上の段に登った。首が切れた。それでもまだおかあさんにたずねた「おかあさん、わたしの首の赤いものはなあに?」――「それは金の鎖だよ、わたしの子。おまえのおとうさんが町から持ってきてくれたんだよ」。

そのときプチュク・カルンパンの頭が下に落ちた。ちょうど自分が織った布の上だった。それを、ジェルクは貧欲に休みなくついばんだ。プチュク・カルンパンの体はすっかり食われてしまった。後には、赤い血が、輝くばかりに白い織り物をぬらしているだけだった。お百姓は自分のにわとりが腹いっぱい食べたのを見て満足だった。にわとりを抱き上げると、いとしそうになでた。

ジェルクは自分が主人に甘やかされているのを感じるとこう言った「ブラク! ブラク! ククルユク! あの柔らかい肉で、おれのおなかは満足したよ! あの若い骨は赤くって髄もたっぷりあったぜ。ブラク! ブラク! ククルユク!」 満ち足りた足どりで、お百姓はジェルクを連れていき、しっかりとした丈夫なかごに入れた。

お百姓の女房は夫が行ってしまったのを見ると、かたまりそうになった血でしめっているきれ地に、残っていた骨のかけらを包んだ。女房の心は完全にはりさけてしまった。わが子が織ったその血まみれのきれ地を巻いて、森へ持って行った。そして森の中で女房はそれを手厚く葬った。そのお墓はほかのどんなりっぱなお墓にも劣らなかった。

 この国を治めている領主は若くて、りっぱな方で、まだ奥方はいなかった。もう何度も廷臣たちからはおきさきをめとるように勧められていた。ほかの領主には美しい娘がたくさんいた。けれども領主はこれらの申し出に耳を貸そうとせず、いつも受け流してしまった。領主は、素直で誠実な奥方が欲しいと思っていた。

少し前から、その領主が目に見えて悄然としてきたので、高位高官のひとたちも困ったことになったと思っていた。謁見の広間でも領主はなんの命令もしなかった。自分の部屋でも無口なひとになってしまった。お祭り騒ぎや、心楽しい音楽でいつも活気のあった宮殿も、もうかなり長いこと静かでひと気も絶えていた。領主は、今までにたびたびひかえ目ながらそのわけをたずねられていたが、とうとうその心の秘密を、賢いことで知られている年老いたママンダ・マンクブミに打ちあけることにした。

領主はゆっくり話した「わたしが、少し前からこんなにふさぎ込んでいるわけはこうなんだ。わたしは少し前から毎晩、夢を見る。その中でくらべようもなく美しい娘に会うんだ。その娘は死人のように青ざめていて、血の気がないみたいで、今、自分が出くわしている不幸から、わたしに救われるのを待っているように、わたしを見るんだよ」――「恐れながらうかがいます、だんなさま」とママンダ・マンクブミはていねいに言った「あなたさまの夢の中に出てくるその姫は、いったいどちらの国の方でしょう」――「わたしが考えているのはそのことなのだ」と領主は答えた。「その姫はただ、あわれみを乞うような目でわたしを見るだけなんだ。ひと言もしゃべらない。手も少しも動かさずにわたしにそう願っているんだ。全体の印象から、とりわけその目から、わたしはその娘はとてつもなく大きな困難に会って、わたしを呼んで、助けを求めているように思うんだ」――「もしそうだとしますと、あなたはそれ以上、思案なさることはありません。それは明らかにただの夢で、つまり、眠りの中でしか花開かない夢で、特別、なんのしるしでもありません」とママンダ・マンクブミはていねいに答えた。

「しかしこの夢はくり返しくり返し毎晩だよ。見ずに過ごしてしまう夜などないんだ。わたしは、白いヴェールをつけた姫に、死んだように青ざめて、あわれみを乞う目でわたしを見ている姫に会わないで眠ることは一度もないんだ。まったく、わたしはどうすればいいんだ、ママンダ・マンクブミ」――「あなたの召し使いをお信じください。その夢はあなたさまの眠りの産物です。夢を見なければ何を眠りと呼んだらいいでしょうか。だから、そんなに思案するのはおやめください、だんなさま。お忘れになったほうがいい。たとえば、お楽しみとか、スポーツで。どうして楽器を奏でさせたり、踊り子に派手な美しい踊りを踊って見せるようお命じにならないのですか。どうして狩りにお出かけにならないのですか。あなたのお考えをかき乱す夢のことは、お忘れください。森でいのししやしか追いをなさいませんか?」

 領主はしばらく物思いに沈んでいた。やがてこう言った「ママンダ、お前の提案は本当に気がきいているな。狩りへ行くのがいい。猟師たちに準備にとりかかるように言え。明日は狩りに行くぞ」。ママンダはこの命令を受けると引きさがった。

 つぎの朝とても早くに、領主は高位高官の人びとと猟師たちをお伴に出発した。賢いママンダはもうかなりな年だったにもかかわらず、ご主人を自分の案内なしで森へ行かせることには同意しなかった。そして、いつもご主人のそばにいた。ママンダの馬は雪のようにまっ白で、領主のはまっ黒だった。ふたりはそれぞれ馬に拍車をあてて森へ入っていった。ふたりの後からは、高位高官の人や猟師が乗った馬がたくさん続いた。

輝くしかや巨大な野牛を追う狩りの間に、領主の憂うつはおさまってきた。すでにたくさんの獣が倒された。領主の心はだんだんはずんできた。そしてもっと深く森へ入っていった。やがて午後になって、領主は、木があまり密集していない場所に出た。一日じゅう、休みなく狩りをして、体はもう疲れ切っていたので、お伴の人びとに止まるように命令した。

そのとき、一ぴきのみごとに輝くしかが領主のかたわらを駆けぬけた。領主はそれを追いかけようと馬に拍車をあてた。忠実なママンダも後を追った。そのしかは本当にすばやかった。追跡は長く続いたが、しかは弱るどころか、かえってはやく走った。領主はだんだん不機嫌になった。追跡が長く続くほど、ふたりはお伴の人びとをうしろのほうへ残してしまうことになるのだ。

しかは弓の弦を離れた矢のように敏しょうに走った。その姿はほんのちょっと見えるだけだった。領主の元気なりっぱな馬もとてもかなわなかった。陰をつくっている木の下の竹やぶまで来ると、しかはその竹やぶの中へ消えてしまった。領主は、その足跡を見失った。何度もそのまわりをまわって捜したが、むだだった。領主はとうとうあきらめた。そして日陰をつくっている木の下で体を休めようと馬から降りた。

その日は暑くて、空気は燃えるようだった。体は疲れ切っていた。ママンダもご主人にならった。「あのしかはいったいどこへ消えたんだろう」と機嫌悪く領主が言った。そして、しばらく途方にくれていたがまた立ち上がった。馬は木にしっかりとつないであった。そしてひろびろとひろがる緑の草を食べていた。本当におなかがすいていたのだ。

領主は、今度は、あのしかが近くのやぶの中に隠れているのではないかと思って、注意深くそこここを捜しまわった。しかしむだだった。と、突然領主が「あれ、これはなんの墓だろう?」と驚きの声をあげた。やぶの中に、まだまったく新しいお墓を見つけたのだ。一見して、それは人間のお墓らしいことがわかった。けれどもそれは、まぶしく輝く光線を発しているみたいに地面から輝いていた。

「ママンダ・マンクブミ! 早くここへ来い! まあ、見てみろよ。このお墓の中には何があるんだろう」。ママンダはご主人が呼ぶのを聞くとやってきた。この年まで生きてきたが、こんなに光って目にまぶしい光線を放つお墓など見たことはなかった。おそれながらママンダは言った「お許しください、だんなさま。これがなんのお墓なのか、わたしにはわかりません。宝石でできたお墓でしょうか」。

好奇心から、領主は近づくと剣でほじくりまわした。長いこと掘って、かなり深くなった。そしてついに、黒いしみのついた白いきれ地を突き刺した。「さて、これはなんのきれ地だろう」と領主はそれを取り上げながら言った。けれども、ママンダにはわからなかった。領主はたたんであるきれ地を急いでひらいた。血がしみついた小さな骨のかけらのほかは何も見つからなかった。黙ってふたりは考え込んだ。森全体が死に絶えてしまったようだった。ふたりの貴族は同時に目が合った。けれども、考えは混乱したままだった。

深い沈黙の中で、突然、陰をつくっていた木の高い枝にとまっていた小鳥の声が聞こえた。それは、こう言っているようだった「生きかえれ! 生きかえれ! 生きかえれ! 夢の中の青ざめたお姫さん! 心の素直なお姫さん! 死ぬまでまこと心をもった正直なお姫さん! 生きかえれ! 生きかえれ! 生きかえれ!」

 領主は小鳥の声を聞いてますますわからなくなった。けれども年をとった賢いママンダは、すぐにその鳥が自分たちに合図をしようとしているのだと気づいた。そして魔法のうちわをとりだして、白いきれ地をひろげ、骨のかけらを集めた。それから呪文を唱えた「わたしのうちわよ。魔法のうちわよ。砕けた骨をつなげ、流された血を集めろ、なくなった肉を再びとりもどせ、魂よ、飛んでもどってこい! 死者よ、よみがえれ!」

 固まった血がこびりついていた骨のかけらは、大きく大きくなった。それは結び合わされるとひとつの無傷の骨格になった。そしてその骨格には次第に肉がついてきた。それから、皮膚ができた。しまいに、白い織り物の上には、ほかに比べようもないくらい美しい娘が横たわっていた。

ママンダは休みなく魔法のうちわを振って、霊を呼んだ「わたしのうちわよ。魔法のうちわよ! 西のものは西へ帰れ、東のものは東へ帰れ、南のものは南へ帰れ、北のものは北へ帰れ。そして、まんなかに集まれ。頭のてっぺんで合わされ! 心臓にくっつけ!気持ちを強めろ! 足の裏へ行け! 血の中で働け! 無傷の体よ、再びすこやかになれ! 生きていたものはよみがえれ! 目ざめよ! 目ざめよ! わたしの魔法のうちわよ!」

 すると、そこに横たわっていた魂の入っていない体には明らかに赤みがさしてきた。再び血が流れだしたのだ。胸は再び鼓動しはじめた。くちびると目が動いた。手と足が動いた。娘が目を開くと、すぐ前に見知らぬ男がふたり立っているのが見えた。娘はまごまごして、あわてて白い織り物を閉じ合わせて自分の体をおおった。「こんなところにいらっしゃる、あなた方はどなたですか」と娘はやさしく話しかけた。その声はやわらかく響いた。

領主は突然ひざまずいた。疑いなかった。この娘こそ、絶えず領主の眠りをかき乱し、夢の中までも領主を追ってきた姫だった。目ざめているときも、領主がどこへ行こうと追ってきた姫だったのだ。領主は言葉をしゃべることもできなかった。ママンダはご主人の顔つきが変わってしまったのを見てすぐにその答えを引き受けてこう言った「わたしたちは、森で道に迷った狩りの者です。しかし逆にうかがいまずが、おひとりで森の中にいらっしゃるとは、きれいなお姫さま、あなたこそいったいどなたですか?」

 娘は頭を振った。顔が赤くなった。「わたしをお姫さまなんて呼ばないでくださいませ」。娘は困ったようすでこう言った「わたしは、ただの農夫の子です。わたしは自分の子さえめんどうをみてくれようともしないお百姓の娘なんです」。ママンダはその言葉に心を引かれた。「お嬢さま、なんというお名まえですか」――「母はわたしをプチュク・カルンパンと呼んでいました」――「どうしてあなたが森の中にいるのか、そのわけを聞かせてくれませんか。だれかにいじめられたんですか?」

 感動でふるえる心と、ひどく悲しそうな声でプチュク・カルンパンは自分がその人生の中でどんな目にあったかを話した。心をしめつけるようなこの話を聞いて、領主は泣いた。夢の中で助けを求めて自分を見つめていたのは確かにこの姫だった。領主はママンダと相談してから、都へ来て、そこで自分のきさきにならないかと招いた。その申し込みをプチュク・カルンパンは、うれしい気持ちで受けとった。三人は宮殿へ帰り、プチュク・カルンパンは領主の奥方になった。ふたりの結婚は国じゅうで祝われ、七日と七晩続いた。

 プチュク・カルンパンは、今ではきさきになり、幸せな暮らしをしていたが、育ての親のあのおばあさんと、愛するおかあさんのことは忘れられなかった。領主の許しを得て、ふたりはプチュク・カルンパンといっしょに幸せに住むために、宮殿に迎えられた。しかし、あの罪深い父親は、一番厳しい流刑を言いわたされた。ジェルクは殺された。そしてプチュク・カルンパンは若くりっぱで賢い領主である夫のそばで、自分をとても愛してくれ、また同じように自分も愛しているふたりの女のひと――本当のおかあさんと育てのおかあさん――といっしょに幸せに暮らした。

 

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