ビシナ・ミトリ
テキスト提供:渡辺(岡崎)紀子さん
数百年ほど前、トリシャンクというたいへん大きな王国がありました。王様は強い勢力をもっていましたが慈悲深いかたでした。数多くの王国を征服しましたが、支配下になった国民は皆王様に好意を持ちました。それというのも王様はけっして乱暴なことや残酷なことをしなかったからです。
王様はまた信心深いかたで、昼も夜も、自分の死後は天国へ導いてくれるように、と神に祈っておりました。
ある日、この世に飽き飽きしていた王様はこれ以上長く生きてもつまらないと思い、「これ以上生きていて何になる」と嘆きました。
王様はいつも天国での生活がどんなに楽しいものか想像しては神に祈るのでした。「偉大なる神よ、ごらんなさい、私の髪の毛は白くなり、腰も曲がりました。子どももおおぜいできました。どんな美人でも私を慰めることはできません。戦いにも飽きました。この世に生きていて何になりましょう。だから私を天国にお連れくださるようお願いします。」
王様がいい終るとすぐに気高い声が聞えてきました。「トリシャンク王よ、天国へ召される者は神のご意志なのです。そなたは必ず天国で暮らせよう。だが、今すぐではない………」
「しかし、私は力のある王ではありません」と王様はいいました、「それに私は古代の王たちの子孫であり、勇敢で信心深い王ですよ。」
気高い声が答えました、「覚えておきなさい、信心深い王よ、天国には王様も召使も区別 がありません。人間は誰でも平等なのです。天国に召される者は勇敢で信心深い者です。ですからすべての戦争を中止し、生涯平和に暮しなさい…………」
王はその言葉を聞いて失望しました。何もかもあきらめて王は宮殿を去り、森へ入り森をさまよいました。疲れて大きな木の下で天国のことを想像しながら休んでいると、いつのまにか夜になりました。しかし王は宮殿へ帰りたいと思いませんでした。するとそこへ森の洞窟に住む隠者、ビシナ・ミトリがやって来ました。
「何故そのように悲しんでいるのですか、トリシャンク王よ」と隠者はたずねました。「国で権勢をふるう王ともあろうおかたがどうしてこのような淋しい密林へ世を避けておいでになっているのです?」
「悲しまずにはいられないのです。神が私を天国へお召しになってくれないのです。私はもう年老いて髪も白くなりました。ごらんなさい、腰もこのように曲っています。私はもう戦争をする力もありませんしだれも私のことを構ってくれません。あなただって神が望みをかなえてくれなかったらきっと悲しみ、絶望するでしょう。」
「いいえ、王様」とビシナ・ミトリはいいました。「あなたの望みを神がかなえてくれないからといってあきらめたり悲しんだりすることはありません。ご存知ないのですか、この世ではあなた自身で天国を見つけることができるのですよ。」
「どうしてそんなことができるのですか。どこで天国を見つけることができるのですか。この世にそのような所があるのですか、その場所を教えてください、私はこの世の生活から離れてそこで休みをとりたい…………。」トリシャンク王はいいました。
「私はあなたにその場所を教えましょう。そこで貴方はこの世の生活から離れて休むことができます。明日お連れします。」隠者は答えました。
その翌日ビシナ・ミトリはトリシャンク王を約束した場所へ案内しました。かなり歩くと王は大そう暗くて静まりかえった石のほら穴に着きました。
「天国というのはこれですか。」王は怒ってたずねました。
「いや、まず私の生涯の住み家をお見せしたのです、王様」とビシナ・ミトリは答え「さあもういいでしょう。また歩きましょう」とうながしました。
やがてビシナ・ミトリは王様を森の奥深くへと連れて行きました。そこにはたくさんの果 物や作物が茂っていて、その中にカヤに似た不思議な植物もありました。
トリシャンク王はそのみごとさに目をみはりました。それから不思議な木に目をとめてビシナ・ミトリにたずねました。「何故この木はこんな所に生えているのですか。」
「この木は地の蜜を含んでいます。天国ではこのようにして蜜ができるのです」とビシナ・ミトリは答えました。「この木の密は天国の蜜と同じものですよ。蜜をお飲みになるなら、蜜蜂が花の蜜を吸うようにすればいいのです。」
トリシャンク王は一茎とって蜜を吸いました。そのおいしさに王様はすっかり喜んで叫びました。「ほんとうだ、これが天国の蜜の味というものか。この木は神がそなたのためにお与えになったにちがいない。それでは、わしはここに住みつくことにしよう。」
「この蜜の木は王様のために神がお恵みになったのです」とミトリが答えました。「神は王様が幸福を感じ、この世が嫌いにならないように、この場所にこの木を植えてくださったのです。」
ほんとうはビシナ・ミトリが王様の嘆きを知って神に祈っていたのです。王様は彼が天国へ召されようとした時そのことを知りました。
その日王様は王子たちを呼び寄せていいました。「この木は神がここに授けてくれたのだ。ビシナ・ミトリのおかげでな。これは地の蜜を含んでいるのじゃ。わしが神により天国に召されたら、お前たちはこの木を庭に植えるがよい…………」
トリシャンク王がそういい終るや、王は地下へ沈んでいきました。それと同時にあたりの植物がみなその場から消え去りました。ところがその蜜の木だけは残り、やがてだんだんふえていったのです。王子たちはみなその木を自分の城の庭に植えました。
蜜の木はさらに増え、村の人々もそれを植えるようになりました。人々は蜜の木を「デゥブー」(さとうきび)と名づけました。こんなわけで今でもおいしいさとうきびは人々に好まれています。