「海路・陸路・空路―スワヒリ地域のイスラーム化・近代化・グローバル化」
東アフリカの海岸部はスワヒリ地域と呼ばれている。これはアラビア語のサワーヒル(岸、縁などをあらわすサーヒルの複数形)に由来する言葉であり、バントゥー系の言語にアラビア語が取り入れられて形成されたスワヒリ語とそれに基づく独自の文化・文明を築いたムスリムが暮らしている。
東アフリカ海岸部は、モンスーンを利用した帆船(ダウ船)によるアラビア半島などとの交易によってイスラーム化が開始され、進行した。10世紀頃には、スワヒリ世界が成立していたと考えられている。つまり、この地域のイスラーム化、そしてスワヒリ世界の成立は「海路」を通して実現したのである。
1999−2002年に、私はケニアのモンバサ、タンザニアのザンジバル島などでフィールドワークを行った。ケニアのラム島に立ち寄ったときに、あるモスクとコーラン学校の主宰者が、近年、スンナ派からシーア派(12イマーム派)に「改宗」したことを知った。クウェイトからの資金の流れがその背景にあった。さらに、一部の島民が、1979年のイラン・イスラーム革命の影響でやはりシーア派に改宗し、独自の儀礼なども行うようになった。これらの現象は、航空機(「空路」)による交通の発達や情報化といった「グローバル化」の影響のもとに生じたものと考えられる。
一方、1960年代、ケニアやタンザニアという国民国家が成立した。スワヒリ海岸部の人々は、内陸部の非ムスリムの人々とひとつの国民を構成するようになった。特にケニアの場合、彼らは完全にマイノリティとなった。そして、内陸部から「陸路」を使って多くの人々(キリスト教徒)がスワヒリ地域に到来し、居住するようになった。そこでは生活文化や宗教の違いから、さまざまな摩擦が生じつつある。
このように、主に海、空、陸の交通路を通し、東アフリカ海岸部に暮らす人々は、イスラーム化、グローバル化、そして植民地化から国民国家成立という近代化を経験し、今日でもその重層的な歴史の中で生活しているのである。
|