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教育セミナー >> 2007年度感想・報告 >> 黒田 卓
2007(平成19)年度
黒田 卓(東北大学大学院国際文化研究科・教授)
「近代イラン社会運動史の系譜」

 このセミナーの内容は2部に分かれる。前半では、19世紀中葉からパフラヴィー朝創始に至る時期までに生起した4つの運動―バーブ運動(1844〜1852)、タバコ・ボイコット運動(1891〜1892)、立憲革命(1905〜1911)、ジャンギャリー運動(1915〜1921)―を取り上げ、それぞれの経緯や特徴、研究上の論点について紹介し、系譜的な観点からそれらの運動の連続性や断絶性を考える。次に後半では、近年イランの近代史研究においても不可欠かつ確実な史料になってきた未公刊文書を所蔵する文書館や研究機関に関して、講演者の現地での経験なども踏まえて、それらの特性や利用方法などを解説する(ただし、運動の経緯の詳細は時間の都合上必要最小限度の言及にとどめた)。

  前半部の最初に19世紀イランにおける政治と社会を中心としてバックグラウンドを素描する。イランを取り巻く国際環境は主としてイギリスと帝政ロシアの角逐によって彩られてきた。対英露との戦争と両国が事あるごとに関与してきた国境の画定により、近代イランの領域が現出してきた経過を概観した。また、国内に視線を転じて、ガージャール朝国家と社会のイメージについて、支配の正統性、官僚制の軍事力、および社会構造モデルの3点から概括した。

  バーブ運動は1848年を分岐点として2期に大別でき、前半はシーア派イスラームの枠内で、後半はその枠外に「逸脱」したものである。両期の特徴を述べた後に、社会変革運動、あるいはナショナリズムの原型と位置づける旧来の見方に対して、近年はシーア派思想のラディカルな変容という宗教社会学的アプローチからする研究、とくにM.バヤートのいう宗教的「異議申し立て」の役割への着眼について説明した。タバコ・ボイコット運動に関しては、意外に研究蓄積が少ないことを指摘した後、N.R.ケディーの研究(1966)とF.アーデミヤットのそれ(1982)を比較検討することを通して、論点を浮き彫りにしようと試みた。とりわけ、シーア派ウラマーの役割をめぐって、前者が彼らの指導性を重視するのとは対照的に、後者が(恐らく現体制への批判的な意図も込めて)それを否定的に捉えていることを述べた。

  百周年を迎えた立憲革命は、イラン近代の重要な画期であるとの認識がさまざまなスタンスの差はあれ大半の研究者に共有されていることを強調し、主として英語で著された3点の本格的な研究書、V.マーティン(1989)、M.バヤート(1991)、J.アーファリー(1996)を取り上げ、論点や方法論の共通性や相違点について論じた。3者ともH.アルガー以来のウラマー指導性論には疑義を呈しているが、マーティンは高位ウラマーの言説分析を中心に据え、バヤートはバーブ運動壊滅後に真意を秘匿(タキーヤ)した「異議申し立て」者たちの動向に注目しており、アーファリーはバヤートの見解を下敷きにしつつ、女性運動や農民運動にも照明を当てていると特徴づけた。ジャンギャリー運動に関しては、これに直接コミットしたソ連とパフラヴィー朝国家の正統性にも関わる側面があるため、その事実関係の確定さえ困難であったが、両体制の崩壊を追って大量の一次資史料の公開が行われ、近年格段に研究環境の整備が進展していることを指摘、最近出版されたKh.シャーケリーの研究(1995)、V.ゲニース(2000)のそれなどの成果と問題点を示しながら、研究の方向性を展望した。前半の結論として、社会運動の統合理念などに着目すればタバコ・ボイコット運動からジャンギャリー運動へと連続する底流を指摘できる一方、バーブ運動の位置づけは難しく断層線を画すほうが妥当かもしれないが、バヤートのいわゆる「異議申し立て」の流れの転変という着想は、検証すべき点が多々あるものの、示唆的であるとして前半を結んだ。

  後半部は講演者がここ数年よく利用する文書館や研究機関の紹介に充てられた。テヘラン大学中央図書館、イラン現代史研究所、イラン国立文書館・図書館、イラン外務省文書・研究サービス・センター、イラン・イスラーム議会図書館・博物館・文書センターの5つのテヘランに所在する文書所蔵機関の特徴や利用方法などについて、概略的ではあるが受講者にとって有益と思われる諸点を中心に説明を行った。
 

 

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