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教育セミナー >> 2007年度感想・報告 >> 堀井 聡江
2007(平成19)年度
堀井 聡江(桜美林大学リベラルアーツ学群・専任講師)
「法の近代化とイスラーム―エジプトを中心に」

 このセミナーの目的は,イスラーム世界における法の近代化を考察するうえで,重要な立法例の1つであるエジプト民法をもとに,法の近代化が意味するもの,またそこでのイスラーム法の位置づけの危うさを,主としてつぎの2つの問題関心から明らかにすることであった。

  第1の問題関心は,非西欧諸国の多元的法体制をどうとらえるかである。近代的な法律学のなかでは,西欧におけるいわゆる法の一元論にたいして,非西欧諸国の法については,法の近代化の1つの帰結である制定法体制への移行により,国家の法と,さまざまな固有法に代表される文化との不一致または明らかな対立が強調されてきた。今日では,法の一元論自体がゆらぎつつあるなかで,とくに非西欧諸国の法にかんする研究のなかでは,多元的な法体制を所与の前提としたうえで,規範(制定法)に働きかける文化(固有法)の力,あるいは両者の相互浸透を,法そのものの構造として理解することが試みられている。筆者がこのような法のモデルに注目するのは,近代化とイスラーム法の関係にかんする多くの研究がいまだに引きずっている,法の近代化とイスラーム化の対立図式を修正できると考えるからである。この図式によれば,19世紀以降支配的となった近代化の方向に対する反発として,法のイスラーム化という方向を設定し,各国の法はそのいずれかのあいだを揺れ動いていることになる。だが,近現代の立法の文脈にいうイスラーム法の概念そのものが,実はきわめて曖昧であることからして,法の近代化「または」イスラーム化,という割り切りは,あまり意味をなさないということである。

  第2の問題関心は,民法典の固有領域とはなにかである。種々の特別法による民法典の侵食は,西欧法については比較的新しい現象として,民法典の意義を問い直すきっかけとなっているが,エジプト民法についてはすでに19世紀の時点でこうした現象を問題にし得る。のみならず,エジプト民法―およびその影響を受けた多くのアラブ諸国の民法典は,身分関係法を含んでいない点で,近代民法と決定的に異なる。その沿革的な理由となった,植民地支配下の二元的な司法体制が解消されたのちも,事情は変わっていない。

  エジプト民法については,とくに第1の問題関心とかかわる2つの点を,具体例をもとに明らかにした。第1に,現行エジプト民法(1948年発布)は,「フランス法のゆがんだ縮図」とも称された旧民法に比し,イスラーム法により多く依拠しているとされたが,そこにいう「イスラーム法」は,純然たるイスラーム法ではない。イスラーム法の一部(主としてハナフィー派)に基づく法原則を条文形式にまとめた近代の作品や,これと類似する「メジェッレ」のような法律,またはイスラーム法の影響を受けた他の近代法(エジプトの後見裁判所法や身分関係法,レバノン民法など),あるいは慣習として定着しているもの(永代賃貸借やムザーラアなど)が「イスラーム法」の中味である。第2に,このように近代的な解釈を経た「イスラーム法」がイスラーム法として援用されると同時に,この「イスラーム法」はしばしば近代的な概念や制度を内包する,あるいは少なくともきわめて類似するものとして認識されているのである。このように,近代法との区別が曖昧な「イスラーム法」は―これもまた近代化の1つの帰結ではあるが―とりわけ法の担い手のあいだで醸成された新たな法文化という側面ももつであろう。

  しかし,立法は,法文化を反映するだけでなく,むしろそれを創設し,強制する側面もある。そこでは,イスラーム法は制定法という枠組みのなかでその根を絶たれ,立法者の目的に応じて切り貼りされ,「イスラーム法」となるのである。この点は,第2の問題関心とかかわる,とくに法の世俗化の問題を含むが,筆者自身の考えがまだ煮詰まっていないため,詳述はできなかった。いずれにせよ,近現代の立法との関係では,我々はイスラーム法でなく「イスラーム法」を問題にせざるを得ないこと,この「イスラーム法」はそもそも近代法と相反するものではないこと,「イスラーム法」には醸成された面も,創設された面もあること,をもって,とりあえずの結論とした。
 

 

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