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教育セミナー >> 2006年度感想・報告 >> 牧 良太
2006(平成18)年度
牧 良太(東京外国語大学地域文化研究科)

 表記されている「中東・イスラーム」が包含する学問領域、研究対象は、地理的にも内容的にも幅広く深い。ゆえに個人で全てを網羅することは不可能で、いきおい個々人の研究対象は、ともすると狭く細分化された「専門領域」に閉じこもることにもなりがちなように思われる。とはいえグローバリゼーションが唱えられる昨今では反グローバリゼーション運動さえもグローバル化しており、国際政治上のホットスポットである中東やイスラームを巡る問題も一地域の問題としてだけでは理解も解決もできない広がりと結びつきを持っている。そのような中で「中東・イスラーム」研究を行なうにあたっては個別的な事例を取り上げるに際しても決して「木を見て森を見ず」ということにならぬよう、常に森への視点を意識し続けることが要求されるのであろう。

  本セミナーで行なわれた諸講師陣の発表は各々先生方の研究発表という意味での講演でもあり、また研究対象の選定や手法に関する学生へのアドバイスとしての講義でもあり、非常に有意義であった。それぞれのテーマとする分野や対象は特定の地域であったとしても、そこに見られる社会や歴史、人々の営みは、場合によってはより普遍的でありもする。各講義を聴きながら自らの研究にそれをどう活かすか、そこで取り上げられている問題が自分の研究対象ではどのように位置づけられているのか等々、比較する視点の大切さを実感することができた。当たり前のことではあるが、何を何のためにどのように研究するのか、といった根本的な姿勢と手法に関しても大いに参考になった。逆に言えば、学生側の発表に関しては各自よく研究しつつも、それによって何を明らかにしようとするのか、なぜその研究が必要なのか、といった動機に対する自覚が総じて薄かったようにも思われる。個別の研究が全体のなかでいかなる位置づけされるのかということに関してはより自覚的であるべきだろう。

  エドワード・サイードは「知識人はアマチュアたるべきである」と説いた。今回、臼杵教授の講演(イスラエルにおける東洋系・アラブ系ユダヤ人に関するもの)に関して大塚教授は、日本では知識人といわれる人であってもこのことを知っている人は1パーセントにも満たないであろう、ということを教示された。そのような情況を憂うとともに、ではそのことを知った我々は何をなすべきなのか、ということを考えざるを得ない。もちろん研究者が活動家になる必要はないが、研究によって得られた「知」を個人で所有しているだけではあまりにももったいない。それらをいかにして社会に反映させてゆくか、ということは「研究者」そして「知識人」の課題であろう。50年以上にわたり世界の主要ニュースであり続けながら一向に解決が見えない「パレスチナ問題」を見るにつけ、そのような歯がゆい思いが募る。

 

 

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