Top page of the Project MEIS at TUFS
 
研究セミナー >> 2005年度感想・報告 >> 渡辺紀子
2005(平成17)年度 後期
渡辺紀子(Institute of Education, University of London Culture, Communication, Societies Academic Group(当時)MA in with Distinction Comparative Education取得
 関西人メンタリティとアラブ人メンタリティは似ているというのは、全くの私見である。同様に感じられてかどうかはわからないが、以前、片倉もと子先生が、地の文は標準語、アラブ人の言葉の引用は関西弁、と二言語を見事に使い分けて講演されていたのが印象に残っている。私自身、家庭と学校を行き来する中で、標準語と関西弁(の色々なモード)の使い分けを覚えた。しかし、今回、研究セミナーに参加して、アカデミックに語ることに関しては、バイリンガルからは程遠いと思い知ることとなった。英国では、チュートリアルによる論文執筆が中心であったこともあり、口頭発表やディスカッションには不慣れである。帰国後、参加した研究会やシンポジウム等では、「オブザーバー参加」という身分により、そうでなくとも、所属先の無いgap yearにいると沈黙させられることが多かった。それにもかかわらず、準備不足のまま、研究発表に臨むことになってしまった。受講資格には敷居の高さを感じたが、発表時間は15〜20分程度と想定し、しかも日本語だからと、気軽に応募していた。しかし、セミナー開始直前に、一人当たり2時間枠で、発表時間が1時間もあるとわかって慌てふためいたが、後の祭りであった。私の研究発表に来られた方々には、申し訳なく思う。しかし、これにめげずに場数を踏んでいきたい。

  次にセミナーの評価に入りたい。余りに不甲斐なきパフォーマンスであったが、セミナーに参加したことに悔いは無い。それこそ、中世のヨーロッパの騎士だか貴族達が集うダイニングルームのような場所で共同研究プロジェクト研究会が始められた時には、とんでもない所に来てしまったと思ったが、研究セミナー自体は、部屋を移して、もう少しインフォーマルな雰囲気の中で進められ、多くを得ることができた。

  第1に、修士論文を紐解き、自分の研究を思い出し、見つめ直すことができた。そして、今後の研究をどう進めていくべきか、明確な指針は未だ霧の中であるが、真剣に考える機会となった。

  第2に、アカデミックな世界のお作法とも呼ぶべきものを学べることができた。レジュメの作成の基本の「き」から、有難い指摘を頂戴した。用語一つ一つを、きちんと定義することも必要であることも今更ながら学んだ。国境を超えた共同体幻想(ウンマ)と、その共同体意識に基づいたネットワークというレベルでの「トランスナショナル」について、私なりの定義をせず、通常の「トランスナショナル研究」との違いも明確にせずに語ったため、誤解や混乱が生じたようであった。ウンマ再興のプロジェクトの一環に位置づけられたムスリム・ディアスポラ形成のための活動としての、英国政府との「ナショナルな」レベルでの交渉、モスクや地域の学校における「ローカルな」レベルでの活動で用いた、「ナショナル」と「ローカル」という語についても同様のようであった。

  第3に、様々なバックグランドの人々を前に話すと共に、普段は接することの無い研究にも触れることができた。子どもから大人まで、一般人に対してわかりやすく伝えるという僅かな経験を基に、今回「わかりやすく」と心がけたことが、結果として「浅い」報告となってしまった。異なる分野を専門とする「アカデミックな」人々を対象に話すことは、別物であったのだ。更に、初日の発表者へのコメントの中で、異分野で研究する参加者のために、論文全体での位置づけや、何が新しいのか等の情報が必要とあったのを受けて付け足したが、1時間内に発表を終えられなくなってしまった。元より、私の時間配分と構成に大きなミスがあった。だが、狭い範囲のオーディエンスを前に話し、執筆することが通常である院生のために、予めガイドライン等を頂けると有難い。様々なバックグランドの人々を対象に話すことと、より専門的な博士論文の執筆について語ることの両立性については未だに疑問が残る。しかし、私の場合は、狭いdisciplineを越えて色々な人々とコミュニケートできるという、学際的研究(inter/trans-disciplinary studies)のメリットを生かせるはずであった。今回、他の受講生による研究発表は、異分野で、異なる地域もしくは時代のものが殆どであったが、それでも興味深く、自分の研究と関連することを見出し、その発表内容やコメント内容からも学ぶことができた。ただ、先生方や研究員の方々が、せっかく揃っておられたのに、研究発表もレクチャーもされなかったのは、少し物足りなく思われた。教育セミナーの要素も、一日に一つ程あっても良いのではないだろうか。

  第4は、多くのフィードバックが得られたことである。同じ専門分野の先生からコメントを得たかったという意見もあったが、私としては、却って異なる分野の先生方や受講生から、様々な反応を得ることを評価したい。専門や関心分野が異なるとは言え、先生方は、豊富な研究経験と幅広い知識をお持ちであった。質疑応答では助けて頂く格好にもなった。更に、同じdiscipline内、もしくは似た関心領域の研究者の中では、見落とされていることを、異なる視点から指摘できるという利点もあった。私は、英国人の研究者や「ムスリム」の研究者の両者の隙を突く形で研究したつもりであった。しかし、今回フィードバックして下さった方々にとっては、当然の問い(両者が語るように、本当に皆が自分たちのルーツを忘却し、ムスリムであることのみを選ぶのか等)であったようで、改めて自分の位置(ポジショナリティ)を意識しようと思った。セミナーの最終日に、東京外国語大学の博士課程で学ぶ方が、声をかけて下さった。その際、empiricistの英国人研究者によって「無視されてきた」と私が言及したムスリム知識人によるテキストを、その方も、異なる地域の研究において考察中であることを知った。海外に出ていた私の方が、井の中の蛙であった。そのことを知ることができたのは幸いであった。その意味でも、ウラマーの如く、私たちも学問及び地理上の境界を越えて出会い、刺激し合うことが必要であり、本セミナーのような場は貴重ということになる。

  第5に、セミナー中に得た社交の機会を評価したい。ランチタイム、セミナー後の懇親会と、ほぼ毎日社交の機会があり、しばらくアカデミックな世界から離れていた私には、よい刺激と共に居心地の良さを感じることができた。ただ、既に他の予定を入れてしまっていたため、オフィシャルな懇親会しか出席できずに残念であった。少し長めのティータイムの時間などが設けてあれば、社交とネットワーキングの機会が十分に得られてよいと思う。最終日の懇親会も、新幹線で帰るために、失礼せざるを得なかった。しかし、雪のため、新幹線車内で、空き腹で一夜を明かすことになり、こんなことならば、もう一泊して懇親会に参加すればよかったと悔やまれた。このような場が設けられることも、予め知らせて頂きたかった。結局、行きも帰りも、寒波に遭い車中泊し、コンディションは最悪の状態であった。元々、夏の研究セミナーに応募する予定が、応募書類の作成に手間取り間に合わなくなった。応募書類をもう少し簡素化して、より開かれたセミナーにして頂くと同時に、遠方からの参加者のために、なるべく気候の良い時期にセミナーを開催して頂けるとありがたい。

  セミナーの最終日に、新井研究員が、ご自身の人生を織り込みながら、米国での博士論文の執筆プロセスを披露して下さり、興味深く伺った。「恥をさらすこと」も研究者としての成長の糧であるとのことであったが、今回、私は存分にそうすることにより、多くを得た。本発表の元となった修士論文において本質主義を批判したが、本質化を完全に避けようとすると、研究対象を設定できないというジレンマに陥ってしまっていた。更に、海外で研究していると、ある対象なりテーマなりを研究することの意義や自らの資格を恐らく必要以上に問い足踏みし、他者のみならず、自文化の表象に対して介入することにも首を突っ込み、収拾がつかなくなってしまった。今回の研究セミナーを機に、この状態から脱したい。修士論文で課題となったことを基に、博士論文の執筆計画を練り、早々に研究を開始して、もう少しまともな研究発表をしにカムバックしたいと思う。終わりに、今回の研究セミナーに参加させて頂いたことに対して、先生方、研究員の方々、事務局の村上さん、そして受講生の方々へ感謝を述べたい。
 

 

back_to_Toppage
Copyright (C) 2005-2009 Tokyo University of Foreign Studies. All Rights Reserved.