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研究セミナー >> 2005年度感想・報告 >> 中町信孝
2005(平成17)年度 後期
中町信孝(日本学術振興会特別奨励研究員PD)
 当セミナーは、すでに学籍を離れポストドクターとして研究活動を行う私のような者(ただし博士論文は未提出)にとっては、またとない機会であった。というのも、学籍にある頃ならば指導教官はもちろんのこと、他の教官方や、先輩、同僚たちからアドバイスを受ける機会に事欠かないが、いったん学籍を抜けると、自分の研究を他人に評価してもらう機会は、学会発表や論文投稿など、常に独力で見つけていかねばならないことを痛感していたからである。

  しかし、当セミナーへの参加を決めるにあたっては、若干躊躇させられる要因もあった。というのも(大変僭越ではあるが)、公開されていた当セミナーの担当教員の一覧に、私と同専攻(アラブ中世史)の専門家が含まれていなかったためである。しかし、当初応募をためらわせていたこの要因が、同時に、私に当セミナーへの応募に踏み切らせた要因ともなった。つまり、歴史学の専門家のみならず、人類学、イスラム学といった他領域の専門家の前で研究発表を行い、指摘、批判をいただくことで、ある種の「他流試合」に対する耐性を身につけることができるだろう、そしてそのことは、来るべき博士論文提出後の口述審査−そこでは必ずしも同専攻でない先生方も審査に当たられる−のためにも、大いに役立つであろうと考えたのである。

  「他流試合」である以上、こちらの出方もいつもとは変えて望む必要がある。特に私の場合、歴史学という学問領域の中でも、1人の著述家、1つの作品(群)に対象を絞った文献学、写本学が専門であり、それだけに「微細な」、悪く言えば「些末な」事柄にこだわる研究と見なされるせいか、普段の、歴史研究者が多く集まる学会発表の際にも、質疑応答の時間を持て余してしまうことが多々あった。せっかくのセミナーで、そのような事態だけは避けたかった。そこで発表準備の段階で、他領域の専門家にも通じるプレゼンテーションとなるよう、研究対象の歴史的背景や研究史上での位置づけなどを詳しく説明するよう心がけたのである。

  さてセミナーでの発表を終え、上記のような心配は全くの杞憂であったことが明らかとなった。担当教員のみならず、受講者の方々からも数多くのコメントをいただき、「また時間を持て余すのではないか」と危惧していたこと自体がバカバカしいと感じられたくらいであった。寄せられた質問の一部は史実に関する基本的な事項についてであったが、それらについては発表の際に歴史的背景の説明をより工夫して行うことで、未然に抑える余地があったかと思う。むしろより重要なのは、研究史上の位置づけに関する諸々の指摘についてであった。自分の研究がどのようなパースペクティブのもと進められているのか、このことを他領域の専門家にも通じる議論として提示することは、何にも増して難しいということを痛感した。と同時に、それを示すことができれば、自分の研究をより一層の高みへと上らせることができるのではないかという、漠とした手応えを掴むことができた。

  このように、私にとっては非常に満足度の高いものとなった当セミナーではあるが、最後に注文を少々。上に「歴史的背景の説明が必要」云々と書いたが、それでも例えば「ウラマー」や「ワクフ」などの専門用語を注釈無しに使用できたことは、当セミナーの利点であった。というのも当セミナーのスタッフ・受講者は皆、これらのアラビア語起源のタームについての共通理解があるからである。「中東・イスラーム研究」という緩やかな括りの利点と言うこともできる。しかし、この括りが一方で「縛り」となっている事実も見過ごしてはならない。当セミナーのスタッフから、例えば東アジアの文学研究者や、南アジアの社会学研究者が排除されている理由は何であろうか?これら「非イスラーム地域」の専門家も、他流試合を望む者にとっては「イスラーム地域」の他領域専門家と同程度に望ましい相手であった。それを、「イスラームでないから」という理由で排除するのは、スタッフの汎地域性というAA研の特長を損なう結果になりはしないか。

  とは言え、際限なくスタッフを増やすことは制度上限界がある。当セミナーは、会場に立てられていた立て看板に書かれるとおり、発表内容は「非公開」という原則であるが、せめてそれを「半公開」という形にし、ギャラリーをある程度広く募ることによって、各受講者のニーズに応えることは可能なように思われる。
 

 

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