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中東研究日本センター(JaCMES)における研究活動
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"The role of panegyrist-poets and praise poetry in the early Abbasid society"


Sayaka Nakano (Ph.D. Candidate, The University of Tokyo)
中野 さやか(東京大学大学院人文社会系研究科)

報告の概要

 本報告では、8〜9世紀のアッバース朝宮廷において、称賛詩人と称賛詩が果たした役割を分析し、アッバース朝宮廷と詩文化との関わりを論じた。

 アッバース朝では、成立直後の8世紀後半から、アラブ古典詩の教育がカリフの子弟の教育に導入された。同時に市井で詩文化が隆盛し、アブー・ヌワースなどの大詩人達が活躍するようになると、彼らの多くはカリフ宮廷に招かれ、アッバース家や高官達に多大な影響を与えた。このような状況のなかで、カリフの側近達は、優れた詩人のパトロンとなり、その詩人達をカリフのナディームとした。ナディームとは「共に酒を飲む仲間」を意味するアラビア語であり、カリフのナディームとなった詩人達は宮中の酒宴に侍りカリフに称賛詩を捧げて莫大な報奨金を得ていた。

 側近たちが優れた詩人達をカリフに紹介した背景には、第一には称賛詩や称賛詩人自体がカリフへの献上品やカリフからの下賜品としての価値があったことがある。当時の社会において称賛詩は、有力者の名誉を広める有効な手段であった為、カリフや高官達は競って詩才のある奴隷を買い、自由身分の詩人達を取り巻きとしていた。第二にはパトロンであった高官が詩人達にカリフと自分との仲裁者になってもらう為であった。宮廷では、9世紀以降、カリフや高官達は優れた詩才を備えるようになり、嘆願や謝罪、叱責を伝える手段として詩が用いられるようになった。このような状況のなかで、カリフのナディームとなった詩人達は、パトロンであった高官達が投獄された際に、パトロンの代理として謝罪や嘆願の詩をカリフへ捧げる「仲裁者」としての役割を果たしていた。

 またカリフ親政期であった9世紀前半には、下級官僚や商人階級出身者がカリフやその側近達に称賛詩を捧げることで、カリフの側近として取り立てられ、その後政治手腕を認められてワジールやディーワーンの長官に就任する例が存在する。有力な家系や派閥に属さない下級官僚達にとって、称賛詩は政治的台頭の重要な手段であった。同じく9世紀前半に、詩人達が高官やカリフに称賛詩を捧げることで地方行政の官職を得る例が見られる。個々の事例では、カリフや高官達は、宮廷儀礼の中で謳われた称賛詩に対して、報酬として官職を授与している。この背景には、公の場でカリフの美徳や統治の正当性を謳った詩人に対し、カリフ側が称賛詩で称えられた自らの美徳を肯定する為に、報酬を与える義務があったことが指摘できる。

 このように8世紀後半から9世紀初頭にかけて、詩の素養がカリフや高官達の備えるべき教養となり、宮中で意思を伝える手段となった為に、9世紀前半のカリフ親政期には、優れた称賛詩は政治的台頭の一要素となりえたのである。その後9世紀後半の政治混乱期には、称賛詩は直接的な政治力を喪失するが、宮廷儀礼の一部として定着し、ブワイフ朝やハムダーン朝宮廷へと引き継がれていった。

コメントと報告会の感想

 コメンテーターのステファン・レーダー氏からは、文芸と社会・政治との関わりを俯瞰した上で、その中で詩がどのような役割を果たしたのかを分析すべきであるというご意見を頂いた。また参考にすべき研究を具体的に教えて頂いたので、今後の研究の発展に役立てたいと考えている。

 英語での発表は今回の会議が初めてだったので、発表方法や質疑応答など反省すべき点もあるが、それらも含めて実に有意義な体験であった。このような貴重な機会を与えてくださった黒木先生やAA研の事務の方々にはこの場を借りてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

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