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中東研究日本センター(JaCMES)における研究活動
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"Implication of ‘Salafism’ in today's Sufism: The Case of Ahmad Kuftaru."

Kenichiro Takao(Th.D. Candidate, Doshisha University)
高尾 賢一郎(同志社大学大学院神学研究科)

 報告は、現代シリアのナクシュバンディー教団のシャイフであったアフマド・クフターロー(1915-2004)のスーフィズム理解をとりあげ、彼がどのようにスーフィズムの存在意義の主張を試みたのか、またその過程でどのようにサラフィズムに言及したのかに着目し、現代スーフィズムにおけるスーフィズムとサラフィズムの関係の一端を明らかにすることを目的としたものである。

 クフターローは自身の目指すスーフィズムを「クルアーン的スーフィズム」と呼び、それのみがサラフィズムと両立可能なスーフィズムだとする。彼によると、クルアーン的スーフィズムはイスラームの「霊的側面」という性格においては、クルアーンやスンナ、法学とならんで、イスラームという宗教実践における補完的な一側面となる。しかし、「イフサーン」という名の下では、スーフィズムは「イスラーム」(五行)、「イーマーン」(六信)の上に位置する、イスラームという宗教実践における最高段階として理解される。

 そして彼はクルアーン的スーフィズムと対置されるものとして「修道的スーフィズム」を挙げ、そこにサラフィズムの文脈で批判されてきたスーフィズムの哲学的要素、儀礼的要素の一切を当てた。このようなある種の差異化を経て、クフターローはクルアーン的スーフィズムを良きムスリムの在り方を指南する、イスラーム的に正統なものだと主張した。

 サラフィズムという概念に関しても、クフターローはスーフィズムの場合と同様の差異化をはかった。彼はそもそも全てのムスリムが「サラフに倣う者」としてサラフィーなのだと述べ、それゆえクルアーン的スーフィズムとサラフィズムとが矛盾しないものであることを主張した。このようなサラフィズム/サラフィーに対する簡潔な概念規定の背景には、「サラフに倣う」という、ムスリムにとっての黄金律としての、また最大公約数的な性格を、サラフィズムという言葉が保持していることが挙げられる。スーフィズムとサラフィズムとの両立関係についてのクフターローの理解には、サラフィズムの持つそれらの性格を見越した上での、彼の奏功がうかがえる。

 以上の報告に対して参加者からは、シリアにおけるフランス委任統治期のスーフィー教団の活動史実に関する情報、またスーフィズムやサラフィズムに関する各種概念の精緻化の必要性を指摘して頂いた。報告者は、2007年度に引き続いて本会議に参加させて頂いたが、昨年の場合と同様、特にシリア近現代史に関するレバノン人研究者からの意見は、報告者にとって大変貴重であった。参加の機会を頂いたことには、改めて感謝を申し上げたい。

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