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中東研究日本センター(JaCMES)における研究活動
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"Translating Theatre: Rabih Mroué in Tokyo"

Satoshi Udo(Ph.D. Candidate, The University of Tokyo)
鵜戸聡(東京大学大学院総合文化研究科)

 本報告会において私は、本年3月に東京および高知にて上演されたレバノンの現代演劇について、Translating Theatre: Rabih Mroue in Japan と題する発表を行った。この作品を日本で上演するに際し、私個人も字幕翻訳者として関わったため、具体的な翻訳に関わる諸問題を日本における本作の受容に絡めて論じるという、学術報告としてはいささか特殊な内容となった。

 当該作品(How Nancy wished that everything was an April Fool’s joke)は、東京国際芸術祭が企画した4年にわたる「中東シリーズ」を締めくくる作品であり、当芸術祭とフランスの Festival d’Automne a Paris の共同プロデュースによって東京に於ける世界初演が実現した。作者のラビア・ムルエはレバノンを代表する世界的演劇家であり、特にその演劇というジャンルそのものを揺るがすようなアヴァンギャルド性に特徴が有る。本作もその例に漏れず、70年代から2007年に至る30余年の歳月を、4人の登場人物の語りのみにおいて演出するという画期的なものであった。当然、話題の中心はレバノン内戦になるのであるが、4人の主人公のみの体験にて長期内戦の記憶を構築するためには多少の工夫が必要であり、本作ではこの4人が何度も死んでは甦るという超現実的な仕掛けが用いられている。この連続する死亡体験を梃子にした笑いの構造について私はすでに小文をものしており、戯曲の全訳に併せて公にしていたが(鵜戸聡「ラビア・ムルエ、あるいは笑いの詩学」『舞台芸術』第12号)、これを膨らませたものが本報告の骨子となっている。特にその笑いによって揺るがされる「ネイションの起源」をフィクション論として分析したところにその眼目があり、その際、フランス在住のチュニジア人精神分析家フェティ・ベンスラマが『悪魔の詩』事件を論じた『物騒なフィクション』から、「起源の分有」という概念を借り受けて鍵語とした。

  また、そのような作品自体に内在する要素を分析した後に、一つの経験としての東京公演を受容論的に論じた。特に、固有名詞が喚起する背景知識の欠如という観点から、日本人観客とレバノン人観客の間にあらわれるだろう了解可能性の差異を中心に考察し、レバノン内戦に関する無知にもかかわらず、あるいは誤解のゆえに成立するような了解が日本人観客の観劇体験のなかで生まれ得ること、それによって日本公演が重大な意味を持った経験として成立したことを主張した。

 討議では、著名なアート・ジャーナリストであるピエール・アビーサアブ博士から、本報告の試みに対して好意的な意見を頂くと同時に、レバノン内戦における個々人の経験について、私が誤認していた箇所をご指摘いただいた。また、本作品への日本の観客の評価や日本におけるアンチ・テアトルの現状についてなど、発展的な質疑応答を行い、本研究をさらに発展させるための貴重な機会となった。

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