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中東研究日本センター(JaCMES)における研究活動
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"The Third Face of Janus:
Narratives and Images on the Rev.George Hakim among the Arabs in Galilee"

Akiko Sugasea(Research Fellow, he Graduate University for Advanced Studies)
菅瀬晶子(総合研究大学院大学)

そもそもこの報告会に応募したのは、個人的な「野望」があったためだ。10年前に旅行者として訪れたきり、再訪する機会のなかったレバノンを見たい。ただ見るだけではなく、自身の調査地であるガリラヤ地方と、あらためて比較してみたかったのである。ガリラヤ地方は今はイスラエルに属しているが、レバノンと地続きであり、歴史的にも文化的にも、レバノンの影響が色濃い。ガリラヤ地方での調査中、かつて旅したレバノンとの類似を感じることはたびたびあったのだが、旅の記憶は歳月とともに薄らいで、比較の材料とするには心許ない。その記憶を確認するための貴重な機会を与えてくださった、黒木先生とスタッフ諸氏に、何よりもまず感謝を捧げたい。

今回、発表のテーマとして選んだのは、イスラエル建国当時にガリラヤ地方のキリスト教徒をたばねていた、メルキト派大司教ジョルジュ・ハキームと彼に対する評価である。後年メルキト派の総大司教にまで上りつめた彼であるが、大司教在位中の彼のおこないは今日もなお、ガリラヤ地方のキリスト教徒たちの厳しい非難の的となっている。1948年にハキームが信徒に向けて発し、彼らの難民化に影響を及ぼした「避難勧告」や、ユダヤ基金に対する教会所有地売却、労働シオニズム政党との協力関係など、糾弾の種は枚挙にいとまがない。しかしながら、これらの悪評は史実とは食い違う部分もあり、現在のメルキト派コミュニティの聖職者と信徒の関係をみると、エジプト出身というハキームの経歴が、信徒との摩擦を生んでいたということも考えられる。信徒たちの語りや当時の雑誌記事、イスラエル官僚の証言によって、今日のガリラヤ地方のハキーム像を提示し、イスラエルにおける非ユダヤ教徒市民の立場や、メルキト派教会の聖職者と信徒の関係などを参考に、その背後にひそむ問題点を指摘して彼への評価を再検討する、という発表の手法を取った。

  しかしながら、労働シオニズム政党とのかかわりについては、公式文書で裏付けを取ることが難しく、裏付け不足の状態で発表に臨んでしまったことは否めない。発表後の討議では、やはりその点を指摘された。また、本来中立であるべき聖職者の政治関与、それも当時のイスラエル与党とのかかわりに触れるという内容に、不快感を示されたキリスト教徒の先生もいらっしゃった。レバノンはパレスチナ問題と関わったがゆえに内戦に見舞われ、イスラエルの大規模な攻撃を二度も蒙った国であるから、そのような反応が返ってくることも当然といえば当然であろう。しかしそれ以上に、宗教という、この地の人びとにとってはもっとも重要なアイデンティティの要素に深く関わるテーマを扱うことの難しさを、あらためて実感させられた。イスラエルとレバノンそれぞれの国のありかた、そのなかで自身の宗派コミュニティがどう扱われるかによっても、宗教に対する姿勢はまるで異なってくるのであろう。肝に銘じておきたい。

  報告会の参加メンバーは多種多様で、今回は各自の研究内容の一端を報告したにすぎないが、たいへん勉強になり、大いに触発された。また、報告会応募の動機であったガリラヤ地方とレバノンの比較についても、限られた時間の中でではあったが、多くの新たな発見を得ることができた。食文化研究を副テーマに掲げる身としては、ただ食卓につくだけで、驚きの連続であった。今回の報告会で得たものを糧として、自身の引き出しを増やしてゆけたら、と思っている。

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