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中東研究日本センター(JaCMES)における研究活動
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JaCMES第2回研究会−報告要旨

日 時:日時:2005年11月26日(土)17:30-19:30

場 所:JaCMES

報告者:報告者:奈良本英佑(法政大学経済学部教授)

タイトル:「第2次大戦下、アメリカのシオニズム運動:なぜ驚異的な成功を収めたか」

趣旨:

ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺を経験した、第二次世界大戦終戦から60年。この惨劇をバネに生まれたともいうべきユダヤ国家イスラエルは、今でも、アメリカの対外政策を大きく左右する。冷戦が終わり、アメリカの一方的ともいえるイスラエルへの肩入れは、自国の国益を優先する現実主義の観点からも、合理的なものとは思われない。なぜ、イスラエルは、これほどの強い対米影響力を持ち続けるのだろうか。

その答を求めて、ユダヤ国家建国の実現に決定的な役割をはたしたアメリカ、そのパレスチナ政策に決定的な影響を与えた、同国のシオニズム運動をとりあげることにしよう。

問題は、以下の3つだ。(1)アメリカ・シオニズム運動が、米国の対外政策に大きな影響力を与え始めたのは、何時からか(2)そのような影響力を行使するために、アメリカ・シオニストはどのような手段を用いたのか(3)シオニストが成功した理由は何だろうか。

実は、1933年のナチス政権成立まで、アメリカ・シオニストは、ユダヤ・アメリカンのなかでも少数派だった。シオニスト団体は数多いユダヤ系諸組織のなかで、せいぜい有力なもののひとつに過ぎなかった。

だが、1939年、ヨーロッパでの大戦勃発の危機を前に、シオニスト機構は、戦時中の運動の臨時指導部として、アメリカにシオニスト緊急委員会(以下ECZAと略称、名称は何度か変更される)を設置。シオニストの国際指導部の中心は、ヨーロッパからアメリカに移す。わずか6年間にアメリカ・シオニストは、これだけの力をつけたのだ。

1942年5月、ECZAがニューヨークで開いた「アメリカ・シオニスト特別会議」(通称ビルトモア会議)パレスチナに「ユダヤ人のコモンウェルス」建設を決議する。ユダヤ国家建設を初めて公然と掲げることで、シオニスト主流派内の急進派が主導権を確立した。

そして、翌年8月、ユダヤ・アメリカン総体の意思を表明するものとして、全米ユダヤ会議が開かれた。その決議は、ビルトモア決議を全面的に踏襲、パレスチナへのユダヤ人無制限移民、「コモンウェルス」建設を求める。こうして、シオニスト急進派は、同国のユダヤ社会全体でも最強のグループとなった。

さらに、1944年には、共和、民主両党が、相ついで同様の選挙綱領を採択、1945年、大戦の終結を待って、アメリカ上下両院は圧倒的多数で「コモンウェルス」建設を促す「パレスチナ決議」を行う。その後、47年11月の国連パレスチナ分割決議を経て、48年5月イスラエル建国となる。ここでアメリカが果たした大きな役割は周知の通りだ。

さて、先の問題(1)に対しては、「第2次大戦中」と答えておこう。問題(2)と(3)への答えは、ここで大筋を説明した経過を丁寧に分析することで明らかにされる。それは、今日に至る、アメリカ=イスラエルの「特殊な関係」理解にも役立つはずだ。

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