「都市」はレバノン内戦をどこまで説明できるのか。こうした問題意識による研究が、ベイルート・アメリカン大学人口学保健学研究センター主催の研究会で発表された。発表者のヤスィーン氏は、同研究所を擁する保健科学部出身であり、現在はイギリスのユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンに所属している。今回の発表は、ヤスィーン氏の博士号取得に向けた研究の一部を公開したものであった。
「都市」をとらえるためのヤスィーン氏のキーワードは、「都市性(city-ness)」である。ル=フェーヴルのモデルを援用しつつ、単なる空間であるにとどまらず、社会―空間的なもの、行為を組織化する側面を持つものとして「都市」をとらえようというのがヤスィーン氏の基本姿勢である。その結果形成された、人々のネットワーク、行動様式、生活様式などが、「都市性」という言葉によって緩やかに総称されている。また、単なる人口学的研究ではなく、都市住民の語りや生活史をもデータとして用いるという方法論上の立場も、この言葉にこめられているようだ。
一方、「内戦」という言葉で問題にされているのは「宗派アイデンティティ」である。ここでヤスィーン氏はひとつの問いを出している。「都市化が宗派アイデンティティの弱体化をもたらさなかったのはなぜか」と。ヤスィーン氏が焦点を当てるのはベイルートの都市史、都市移民の移住史である。その結果、都市への流入が村落を基盤として行われ、社会資本や市民社会の形成にまで影響を及ぼしているのではないかという仮説的見解が導きだされることとなった。同じ村落――つまり同じ宗派――の出身者がベイルートの特定地域に集住し、相互扶助や就職の機会などが彼らのネットワーク内部でまかなわれるため、さまざまな「資本」形成と居住地域・宗派とが分かちがたく結びついて人々の日常生活を規定するようになった。かかる状況で内戦が生じたとき、各地域・居住区の指導者たちは住民の系譜的つながりを強調し、それが他の地域の住民により脅かされているという言説を用いて人々を動員した。それにより、各居住区が宗派の装いとともに政治的な実体となり、宗派相互の紛争が生じたのである。
以上の知見を元に、内戦を理解する際、国際関係等の外的要因もさることながら、都市内部での政治・経済・社会・文化的諸要因の複雑な関連を理解することの重要性が示された。
続く質疑応答では以下のような疑問やコメントが提出された。他の諸都市と比較した場合、ベイルートの都市化はどのように特徴的なのか。レバノンの場合、「外的要因」はイスラエルに対する態度、パレスチナ人の存在等の点で極めて強固に人々の現実を作っているのではないか。内戦が勃発した1970年代は宗派の差異が問題となることは少なく、階級的紛争のほうがより重要な問題だったのではないか。したがって、この時代には実際には都市化が宗派的アイデンティティを弱めていたといえるのではないか。階級的紛争が宗派間の紛争に転換されるメカニズムはどのようなものか。エスニックな境界と宗派の境界との異同は何か(定義の問題と片付けてしまわないようにしたい)。いずれも率直かつ妥当なものばかりであったが、こうした問いかけに対して、発表者はまだ十分な答えを用意していないようだった。
本欄では、内戦以前から始まった都市流入等、ベイルートという都市の歴史性を出発点とし、そうした歴史性を持つ「都市」が内戦をどこまで説明できるのだろうかという構想をまずは評価したい。ベイルートにおける各宗派の分布は内戦を理解するうえで前提となる知識ではあっても、そうした宗派的背景を持つ都市住民の生活「から」内戦を説明しようとするアプローチは果敢で新しい。しかし、今回の発表でもっとも大きな問題は、ヤスィーン氏がどのような調査を行ったのかが説明されなかったことにあると思われる。パワーポイントによる発表は簡潔で「事実」から「モデル」へという一連の過程が滑らかに提示された。けれども、そうした「事実」をヤスィーン氏がどのようにして得たのかということは曖昧であった。確かに、聞き取り、人口サーヴェイ、画像資料分析等々を用いた折衷的アプローチをとることは述べられた。しかし、だからこそ、いかなる方法を用いて、何を、私たちは知ることができるのか、という点を聞き手と共有する努力が必要だったのではないか。ヤスィーン氏の示す人口学的な数値はどのように導かれたのか。民族誌的な「事実」は現在の事柄を指すのか、内戦時の事柄なのか。後者だとしたら、それは聞き取りから得られたのか、別の歴史的資史料からなのか。これらの事柄はいずれも判然とせず、そのため、ヤスィーン氏のデータの可能性と議論の妥当性とが一向に判断できないものとなってしまった。
また、発表と質疑の中で、「階級的紛争」「宗派的紛争」といった言葉がよく用いられたものの、ベイルートの住民にとって「階級的紛争」「宗派的紛争」とはどのようなものだったのか、ということについては、いまひとつ明確なイメージや表現が得られなかった(上述の、階級的紛争から宗派的紛争への変換の仕組みを問う声が上がったのも同様な不満に基づくのではなかろうか)。これは、誰もが重要だとは思いつつも、誰もうまく表現できないことなのかもしれない。そうであるならば、私たちはヤスィーン氏と聞き手とのやりとりからレバノン内戦理解の勘所を学ぶことができる。
ともあれ、移住史の聞き取りとその人口学的処理、特定居住区の社会経済的分節化、宗教施設のマッピング等、ヤスィーン氏の手元には興味深い素材がいくつもあることがうかがえた。こうしたデータが博士論文においてどのように活用されるのか、ヤスィーン氏の今後の仕事が期待される。
(池田昭光:東京都立大学大学院社会科学研究科・レバノン大学社会科学研究所)