『「中華」に関する意識と実践の人類学的研究』 |
***発表要旨***(『通信』95号に掲載済) |
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平成10年度第2回研究会 | |
日 時: | 平成10年11月28日(土)午後1時より6時半 |
場 所: | AA研小会議室 |
報告者: | 1. 堀江俊一(中京女子大学) 「台湾における政治と民系認同―二つの『老人会』を手がかりに―」 |
2. 板垣竜太(東京大学大学院生) 「朝鮮村落社会への植民地官僚制の浸透に関する一考察」 |
***報告の要旨*** |
1.「台湾における政治と民系認同―二つの『老人会』を手がかりに―」/堀江俊一 1980年代に始まった台湾社会の民主化・台湾化は,90年代に急速に進展した。現在ではいかなる政治的発言であれ,すべて許容されるまでに至っている。その結果として,従来は圧し隠されていたエスニック・グループ間の対立的な関係が,はっきり眼にみえる形で社会の表面に姿を現した。その一つが「二二八事件』に端を発する,外省人対本省人の対立構造である。さらに本省人の中にも多数を占める福建系住民と,少数派である客家系住民の間に一種の対立を孕む構造を生み出している。 文化的(言語的)劣位に基づく,客家系住民の福建系住民に対する危機意識は,時として政治の場で利用されることになる。例えば前回95年の総選挙の際,福建系住民の支持を基盤とする野党民進党の勢力伸長を恐れた与党国民党支持者の間で,民進党が多数となれば福建語が国語となり,客家語は消されてしまうという噂がまことしやかに囁かれていた。 一方,地方政治の場ではエスニックな問題が発生しない場合もある。報告者の調査地関西鎮は住民のほぼ全てが客家からなり,この種の対立関係の発生する可能性はまず無い。しかしこの様な場合にも,別な形での対立構造が現れることが多い。ここでは「二つの老人会」がそれを明らかにしている。同じ集会所の一階と二階に分かれて,同じ時間に同じような行事を二つの老人のグループが,まったく別個に行っているのである。一階で尋ねると「二階のは別,関係ない」と言い,二階で尋ねると「一階は別,関係ない」と言う。 この様な状況が生まれた原因は,二つの規模の大きな同姓集団が政治的場面で対立関係を成すことにある。一方は同姓の前鎮長を,他方は友好関係にある別の姓の現鎮長を支持している。前鎮長時代,政府が新設した老人サービス予算を自分の支持者のために利用しようと考えた前鎮長が,既に一階にあった反対派の「老人会」とは別の,自分の支持者だけを集めた新組織を作らせたのが「二つの老人会」であった。現在ではこの二つの組織の一方を国民党が,他方を民進党が,それぞれ支持母体に利用し,この奇妙な対立関係はまだ暫く続いていくと考えられる。 |
2.「朝鮮村落社会への植民地官僚制の浸透に関する一考察」/板垣竜太
本報告で私は,植民地期朝鮮において官僚制的行政が村落社会に浸透していく過程を分析した。 朝鮮に対する日本の植民地支配は,併合から解放までの間に次第に官僚制的行政を村落社会にまで浸透させ,解放後に米占領軍人をして「まるで怪獣のように巨大な官僚機構」とまで言わしめるほど強力な支配のシステムを構築していった。官僚制bureaucracyとひとことで述べてもその特徴はさまざまであるが,本報告では<文書,役所bureau,官僚bureaucrat>というモジュールによって構成される支配の技術である,と定義したうえで,具体的にその様相を追った。 朝鮮総督府は,朝鮮王朝が中央集権化しつつあった地方行政機構を利用しながら,中央から (府郡)に至るまでの機構と人材を入れ替えていくとともに,朝鮮王朝後期以降,国家収取の基本単位であった「面」を末端行政単位化した。面支配体制の構築を具体的にみれば,1910年代における面事務所の建築,面への事業統合,公文書の日本語化と形式の画一化,面官公吏の学歴の,書堂・家庭中心(1910年代)→普通学校以上中心(1920-30年代)という変化,面事務所・警察官駐在所・普通学校・金融組合の面レベルでの増設,というような特徴がみられた。 そして,こうした面レベルの装置を介して,1930年代には村落部にまで官僚制的行政が入り込んでいた。具体的には1930年代におこなわれた農村振興運動を契機として,「部落」という単位で,文書行政の増加,「中堅人物」の育成,部落集会所の設置,組織化の進展,という様相がみられた。特に更生指導計画を終えた更生共励部落においては,<部落是,部落集会所,中堅人物>という体制になっており,「部落」レベルへの官僚制の浸透のモデルケースとなった。 この「部落」レベルの官僚制的行政は,総動員体制期において「部落」単位の計画経済へと転換することにより,さらに加速化することになったのであった。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 東京外国語大学 アジアアフリカ言語文化研究所 |
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