共同研究プロジェクト



『「中華」に関する意識と実践の人類学的研究』

***発表要旨***(『通信』92号に掲載済)

平成9年度第2回研究会
日 時: 平成9年12月6日(土)
場 所: AA研セミナー室
報告者: 1. 潘宏立(総合研究大学院大学)
  2. 聶莉莉(西南学院大学)
  3. 三尾裕子(所員,プロジェクト主査)


今回の研究会では、中国福建省という一地域を取り上げ、村落における、ボランタリーアソシエーション、宗教信仰などの側面から、中国社会の普遍性と地域性の問題を考察した。
1.「中国福建省における宗族の再興 -- 南地域の宗親会を中心として --」/潘宏立

 宗親会は宗親組織の一形態で、擬制的な親族集団である。しかし、中国本土の宗親会の現状についての研究はこれまでほとんどおこなわれてこなかった。本報告では、福建省南部南地域での現地調査の資料に基づいて、「福建省済陽柯蔡委員会」を例として、宗親会の成立過程、組織構成、海外宗親会との連携、地域社会における社会的役割について述べた。その上で、南地域の宗親会の復興の実態を明らかにし、国家と社会や本土と海外華人社会の相互作用を分析した。

1990年代に入ってから、南農村における宗族組織の急速な再興とともに、宗親会の復興の動きも活発になった。石獅市に本部をおく「福建省済陽柯蔡委員会」は蔡姓と柯姓の「聯宗」的宗親会である。1994年8月、当宗親会は「福建省蔡襄学術研究会」に所属する三つの下部組織の一つとして、福建省政府に設立申請を行い、許可を得て、公に社会的舞台に登場した。この宗親会は社会主義中国では初めて省政府に認められたといわれる。現在、泉州地区では、こうした「研究会」の肩書きをもつ、地区政府の許可を得た宗親会はすでに76に達した。

 当宗親会は晋江市・石獅市にある蔡姓と柯姓の214の村落の宗親を中核とし、隣接する南安市、恵安県、田市、仙遊県の宗親も含んでいる。宗親会の幹部は名誉職と実務的機構とに分けられる。中国大陸以外の宗親では幹部の75%を名誉職が占める。また、259人からなる理事会は実務的組織機構として、かなり分化されている。理事会の責任者は政治力、経済力を兼ね備えた者が選ばれる。

 当宗親会は東南アジアを中心とする海外の宗親会との連携を重要視している。そのなかでも、とくに晋江・石獅籍の華人が多く居住しているフィリピンの宗親組織である「菲律濱済陽蔡宗親總会」との関係をいち早く結んできた。当宗親会が、海外華人の国際的な宗親組織のネットワークに参入しようとしたのは、現在の国家と地方社会、さらに、本土社会と海外華人社会のそれぞれの相互作用の結果と考えられる。

 1980年代から「改革開放」が進み、社会が急激に変化したために、村落や宗族間の紛争も増えてきたが、宗親会はこうした紛争を調停し、地域社会の安定と発展に大きく関与している。宗親会は政府との協力関係をうまく保ちながら、その必要性から地域社会において再興してきている。




2.「南農村における神々信仰 -- 福建省晋江市農村での実地調査に基づいて」/聶莉莉

 中国の民間信仰について、今までの文化人類学的な研究は、台湾、香港に関するものが多いが、大陸部については比較的少ない。本研究の目的は、三つほどある。
1.大陸中国で人類学の手法で行う民間信仰に関する基礎的調査として、地元の人々が神々と交流する様態をできるだけ具体的に把握し、現状を紹介する。
2.人々の信仰する様々な神明について記述するとともに、共存することなる宗派の神明を、話者の主観をよりどころに分類し、さらに人々の信仰心の分析を試みる。
3.南という特定地域の民間信仰研究を通して、漢民族の精神世界に対する認識に一例を提供したい。

 まず、信仰されている神々の分類について。南地域では、土着な民間信仰は道教や仏教、儒教などと習合した。そのために、ことなる宗派の神々がともに祀られ、人々が仏教の寺を参拝するさいも他の俗神を祀る祠廟での参拝法とほぼ同じようなかたちで仏や菩薩を拝む。その諸宗教が混合する民間信仰の本来の姿を尊重し、信仰者の主観と、神々が民衆生活に果たした機能に基づいて、神々を「生」の神と「死」の神、「出神」の神(神の神性が一定の媒介を通じて直接的に現れること)と「不神」の神(神の神性が直接的に現れないこと)、地域保護神などに分類した。

 また、現地調査のデータに基づいて、諸宗教信仰が習合した理由や、仏教や儒教が神々信仰に与えた影響、人々の神々を崇拝する心理と関連して人々にとって「聖」と「俗」・「正常」と「非常」・「普通」と「怪奇」の区別が何か、などの様々な問題について研究分析を行った。




3.「中国福建の王爺信仰:実地調査資料から」/三尾裕子

 今回の発表では95年末から96年初め及び96年末から97年初めに行った実地調査資料をもとに、当該地区における王爺信仰の歴史と現状について整理し、王爺の起源は何か、王爺が信者にとってどのような意味づけを与えられたシンボルであるかを考察した。王爺は、台湾では最もポピュラーな神であり、民族学・民俗学の分野でも、その起源をめぐって、また霊的なシンボルと地域社会との関係などが研究されてきた。しかし、特に起源をめぐる議論においては、従来台湾以外での調査データがほとんどなかったために、台湾でのデータと歴史的な文献(大陸についての地方誌や道教の経典)が直接結びつけられて論じられる傾向があった。

 二回の調査では、福建省の旧泉州府下、旧州府下の沿海地域を中心とした30あまりの廟の事例が採取できた。それらの廟で伝えられている王爺の起源伝承は、以下の五種類にまとめられる。即ち、1:360人あるいは36人の進士、2:ある一族の祖先が神となったもの、3:国家あるいは地域の発展に後見した人、4:無祀主の霊魂、5:原住民のトーテムである。この他、人によって王爺であると分類されたり王爺でないと分類されたりする霊魂もあった。これらは、三忠王、開聖王、北山尊王であった。三忠王についは、廟に掲げられた額、祭典のやり方、三忠王にまつわる伝承に、王爺との親縁性が見られる。また、後二者については、台湾における鄭成功が台南周辺で王爺と見なされていた事例と比較すると、ある地域の開発に貢献のあった人物を死後王爺と見なす神観念の共通性が指摘できる。

 王爺は、従来瘟疫の神が起源である、という研究がなされてきたが、二回の調査では、ある程度の関連は見られるものの全ての王爺が瘟疫神である、とは考えられていたわけではなかった。ただ、瘟疫と王爺との関係が密接なのは旧泉州府下の廟であり、瘟疫との関連が指摘できる王爺については、その起源伝承の多くが第1のタイプの伝承(即ち、進士)を持っていることが指摘できる。また、瘟疫の放逐と関わっていると考えられる王船を流す儀礼を持ち、進士という伝承を持ちつつ王爺と瘟疫の関係が指摘されていない地区の場合を見ると、王爺が瘟疫と関わっていたにもかかわらず、その伝承が失われた可能性と、そもそも王爺と見なされる霊魂は瘟疫とは必ずしも関わっていないケースもあったという可能性が考えられる。

 現時点では、まだ調査の事例が充分とは言えないが、当該地域では、王爺という範疇に含まれる霊魂は、宗族内において「祖先」として祀られる霊魂や、皇帝や玉皇大帝等によって封号を別個に与えられ、南地域を越えて認知された個別の神格を除いた全ての男性霊魂と考えられる。



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