王爺廟調査記録抜粋



18. 水美宮


18-1. 廟の外観
廟の外観 96.12/23 
地点:厦門市海滄鎮鐘山村

18-2.
創廟年代:不明(村の歴史は、700年くらいらしい。21代前まで遡れる。全人口の70%が蔡姓)。古い廟と新しい廟あり。

18-3.
主祀神明(生日):三府千歳(朱、池、李。三人の「生日」は6月18日、8月18日、10月18日だが、誰がどの日かはわからない)。

18-4.
配祀神明及び同祀神明:呉真人、虎爺、王船。

18-5.
祭祀圏:鐘山村。しかし、巡境には東嶼村も参加。


18-6. 王爺像
王爺像 96.12/23 
王爺の起源:明代の36進士。皇宮の地下室で皇帝に音楽を吹奏するように命令された。
皇帝は張天師の法力を試そうとして、奏楽しているのが鬼かどうか訊ねた。
張天師は違うと答えたが、皇帝に法力で確かめるようにと命令されたので、法力で彼らを殺すことになってしまった。
死後これらの魂が皇帝にまとわりついて、殺されたわけを訊ねた。そこで、皇帝は彼らに「出巡王爺」という封号を与えた。
張天師は、彼らが殺された後、彼らの霊魂を封じ込めるために、黄色い「封条」に印を押して竹筒に入れてこれを海に流した。
これを拾ったのがこの村の人で、竹筒を開けたところ中から王爺の霊魂が出てきた。だから、ここでは、彫像して祭ることはしない。

18-7.
送王船儀礼:三年に一度送王(仙船遊境)を行い、船を焼く。かつては流していたこともあったらしい。
95年(亥年)は、10月24日に行った。木造の船に紙製の神像をのせる。「保佑人民」、治病、金儲けなどを祈願する。
百年前位までは、瘟疫予防という意味もあった。
王船は、古い方の廟で8月18日に造り始め(「安槧」)、冬至以前に完成させなければならない。
10月24日に船にのせるのは、米、豚肉、果物、野菜など。午前中9時頃から村の中を一周し、午後4時半頃送り出すために村を出発する。
午後10時頃焼く。焼く場所は以前は村の前が海だったのでそこでやったが、今は埋め立てて海は遠くなった。
現在は決まった場所はない。隊列には、獅陣、楽隊、蜈蚣棚、大棚などが入っている。
これらは、集まった信者の寄付を使って、理事会が雇ってくる。個人で雇ってくる場合もある。村人の中から、で王船の「水手」を決める。


18-8. 王船
王船 96.12/23 
巡境(有無及び範囲):あり。送王船の当日午前中。村の中。

18-9.
分霊:晋江、白礁(龍海県角美鎮)、鴻漸(龍海県角美鎮)等多数。白礁では、瘟疫が流行ったとき、村の人が来て三府に願掛けをしたところ効果があったので、分霊した。そこで、8月14日に彼らは進香に来る。

18-10.
管理組織:有り。理事会。理事は三年で交代。主な仕事は祭りをすること。祭りのために特別に「炉主」「頭家」等は選ばない。




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