調査こぼれ話4    

名前の話

永井佳代  

 自分の名前を気に入っているという人は,世の中にどれくらいいるのだろう。生まれてすぐに名付けられてから一生つきあうものであるのに,気に入らなくてもそう簡単に変えることはできない。私も自分の名前をそれほど気に入ってはいなかった。小学生の時には,どう見てもコンパスでくるっと描けるようなまん丸顔なのに,「長い顔さん」などとよくからかわれた。「どうしてカヨって名前なの?」と親に訪ねたことがあるが,姉が「マサヨ」なので,不公平にならないように「ヨ」で揃えたという。それならモーラ数も揃えて欲しかったとよく思ったものである。ちなみに中国語話者の友人によると,私の名前は中国ではスターの芸名にもなれそうな華やかな名前に聞こえる(字面がそう見える?)そうである。日本で言えば,宝塚ばりの名前らしい。

 この名前が,実はアラスカにシベリア・ユピック語のフィールドワークに行き始めてからというもの,とても役に立っている。フィールドで初対面の人に,名前を名乗ると,誰が名付けたのかと訊かれたりする。というのも,シベリア・ユピック語でkayu「カヨ」というのは「魚」を意味する。ユピックの誰かに付けてもらったユピック名だと誤解されていたのだ。はじめてもらったユピック名もkayengenghaghhaq「小さい魚」である。名前のおかげで,「私の名前は魚だけれど,食べないでね」と冗談を言ったりして初対面の人でもすぐにうち解けられるので,今ではこの名前でよかったなと思っている。実は先に挙げた姉の名前「マサヨ」は,なんとシベリア・ユピックでちゃんと人名として存在する。もっとも,男性の名前なのだが。

 そこで,kayuというのは,いったいどんな魚なのだろうか?という疑問がわいてきた。鮭にはiqalluqという語があるので,鮭ではない。皆,口々にすごくおいしい魚だと教えてくれるが,形状についてはあまり情報をくれなかったため,全然想像がつかなかった。しかし,私のインフォーマントの一人で今はもう亡くなってしまったヘレンさんが,ある時声をひそめてこう言った。「kayuっていうのはね,すごくおいしいけど,すごく不細工な魚なんだよ。そんなものと同じ名前でかわいそうな子だね。」ガーン。ショック。私の中ではディズニー映画に登場しそうなかわいい魚を想像していたのに。

 以来,私はずっと,kayuがどんな魚なのか,一度見てみたい,見てみなければ,と思っていた。そしてそのチャンスが今年の夏,とうとう訪れた。

 アンカレッジから車で3時間ほどのところにスワードという港町がある。ここはたくさんの鮭が上ってくる釣りのメッカである。そこに鮭を釣りに行ったとき,誰かの竿に小さな魚がかかった。一緒に行った人が,「あれがkayuだよ」と教えてくれた。遠目からしか見えなかったが,ぬらぬらとした,茶色い,頭の大きい,本当に不細工な魚だった。

 こうして,同じ名前を持つ魚kayuとの対面を果たすことができたのだが,こうなるとkayuの日本名が何というのかとても気になってきた。私は魚についてあまり詳しくない方だ。それでも,kayuという魚は,普段京都のスーパーマーケットでは見かけないような類のものだということはわかった。いったい何という名前なのだろう,そう思っているうちに先月,北海道からきた友人が,飛行機の中で貰ったと言って,北海道の旬の味を紹介する通販のカタログをくれた。なんと,その中にkayuがいるではないか!アラスカで獲れる魚だから,北海道の海にいてもおかしくない。その正体は,「ナベコワシ」,学名「トゲカジカ」だった。カタログには,「鍋にすると,あまりのうまさに箸で底をつつきまわし,最後には鍋をこわしてしまう。このユニークな名前は,学者による正式な命名云々」とあった。北海道出身なのに,ナベコワシのことを今の今まで知らなかったのはお恥ずかしい話だが,このカタログを見るにつけ,自分と同じ名前を持つこの不細工な魚に何となく親近感を感じ始めている。まだ食べたことがないので,機会があれば「ともぐい」しようと思っている。