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偶然が偶然をよんだような話

堀 博文

 私は,北米北西海岸先住民の1つであるハイダ族のことばを勉強するために,彼らが住む,カナダのクィーン・シャーロット諸島を毎夏訪れている.私が初めてクィーン・シャーロット諸島を訪れたのは今から9年前.言語調査はおろか,海外旅行の経験もなかった私は,果たして彼らに受け入れられ,彼らのことばを勉強することができるか不安でならなかったが,幸い,ハイダ族のゴードンじいさん一家と起居を共にし,曲がりなりにも彼らのことばを教えてもらえるようになった.

  そんなある日,ゴードンじいさんがご自慢のボートの修理をするというので,その手伝いをしていると,どうも修理が思うようにいかないのか,突然「アホー,バカヤロー」と日本語らしき発音で怒鳴りだした.私は空耳かと思ったが,どうもそうではなく,じいさんは日本語のそれとして発したようである.なぜそのようなことばを知っているのかと問うと,戦前,この辺りに日本人が住んでおり,互いの罵りことばを交換して覚えたからだという.日本人で彼らのことばを習ったのは自分が初めてであると勝手に思っていた私は,自分以前に彼らのことばを習った者がいると聞いて唖然としたが,それにもまして感服したのは,じいさんの記憶力である.今から数十年前に覚えた,しかもあまり役に立ちそうにもない日本語をよくもこうやって覚えていたものである(ちなみにじいさんの記憶に残っている日本語は,上記以外に,ここには到底披露できないような表現ばかりである).

  調べてみると,確かに,戦前には,クィーン・シャーロット諸島のみならず,カナダのブリティッシュ・コロンビア州沿岸に日本人の漁業関係者がかなりおり,最盛期には3千人を超す日本人がその地域で漁業を営んでいたそうである.クィーン・シャーロット諸島でも日本人による水産加工場があり,その工場で働いていたハイダ族の人々も少なからずいたようである.ゴードンじいさんは,日本人の友達がたくさんいたといって,例えば,「オオタ」とか「ムカイ」という人の名前をいまだに記憶しており,彼らと一緒に風呂に入ったとか,相撲をとったとかという思い出話を度々してくれた.しかし,それだけいた日本人も世界大戦の影響で,1940年頃にはすっかり姿を消してしまい,彼らとの関わりもそれ以来なくなってしまったそうである.

  それに類する話は他のお年寄りからも聞いており,私もかつてあったハイダ族と日本人との交流に思いを馳せたりはしたが,それ以上のことを調べることもないまま,時は過ぎ去っていった.ところが,去年のことである.かつて日本人の水産加工場で手伝いをしたことがあるというビーおばさんの家にお世話になった時,おばさんが「私が世話になったモリというのは,一体どうしているのか,日本に帰ったら,調べてこい」と言い出したので,私も某かの調査を開始しなくてはならなくなってしまった.しかし,分かっている情報は,戦前にカナダで水産加工場を営んでいた人で,しかも「オオタ」「ムカイ」「モリ」という日本国中に何万といそうな名字ぐらいである.そもそも日本にいるのかどうかすら分からない上,一体どこから手を付けていいものか,到底思い付きそうにもなかったので,暗に断ろうとしたのだが,おばさんは「なーに,どこかの博物館とかで調べればすぐ分かるさ」と,何の根拠もないのに,いとも簡単に片付くかのようにいうので,結局,引くに引けず,この雲を掴むような話に巻き込まれる羽目となってしまった.

  日本に帰ってからも,それ以外のことでいろいろと日々が過ぎていく中,ノートを見返したり,おばさんの声を録音したテープを聞くにつけ,「ほら,例の件はどうなった?」と催促されているようで,忘れるどころか,ますます焦りを覚えるようになってきた.それでも,なるべく思い出さないようにしていたある日のこと,テレビ東京系で放映されていた某番組をみるともなしにみていた私は,思わず素っ頓狂な声を出す程の事実に出くわした.

  その番組は,視聴者から寄せられた宝物を専門の鑑定士が評価するというものであり,私が見ていたときは,向井さんという和歌山県から来られた方が人形を持って,鑑定に現われていた.その人形は,カナダに住んでいたご先祖が日本に送ったものだそうであるが,話を聞いていて驚いたのは,そのご先祖がカナダで水産加工場を営んでいたということである.カナダで水産加工場を経営していた向井さんといえば,ゴードンじいさんの話に出てきた,あの「ムカイ」という人物なのであろうか.

  まさかそんな偶然があるまいと思いながらも,一縷の望みにかけるつもりで,私は,その番組の製作会社を通じて,和歌山県太地町にお住まいの向井さんに手紙を書き,事実を伺ってみることにした.そして,手紙を出して,しばらくたったある日,突然,向井さんからお電話を頂戴し,まさにご先祖であるというお話を伺った.私は,電話の前で立っているのがやっとのほど,この急転直下の出来事に驚愕してしまった.

  向井さんのお話と送って下さった資料によると,太地町では,明治期にカナダへの移民が行なわれ,向井さんのご先祖と太田氏は,幾多の困難に遭いながらも,ブリティッシュ・コロンビア州で水産事業に成功し,クィーン・シャーロット諸島でも水産加工場を営んでいたそうである.ビーおばさんの話の中に出てきた森さんは,10年ぐらい前にカナダで亡くなられたそうであるが,太田さんのご子孫は,現在も同町に住んでおられるという.こうして,かつてハイダ族と交流をもった3名の日本人の消息を一気に掴むことができたわけである.

  それにしても,いくらテレビ好きとはいえ,私が普段は全くみないそのテレビ番組をみたのがそもそもの偶然であるが,その番組に向井さんが出演されたのも偶然であるし,また,私がビーおばさんの命を受けた矢先の出来事というのも不思議な話である.もっといえば,私がハイダ語の勉強をしていなかったならば,たとえその番組をみたとしても,全く気にもとめなかったであろう.まさに偶然と偶然が見事に重なり合った出来事であると言わざるを得ない.

 さて,実は,諸般の事情から向井さんにはまだ直接お目にかかる機会を得ていないが,できれば,クィーン・シャーロット諸島を訪れる前にお伺いして,向井家と太田家にハイダ語の罵りことばが伝来していないかどうか調べてみたいと思っている.

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