シュテルンベルグ・コンフェレンス
(2001年10月9日−11日.ユージノ・サハリンスク)
金子 亨


 サハリン地区博物館(旧樺太博物館)でシュテルンベルグ生誕140年記念研究会「極東の民族と文化―21世紀からの観点」が今年10月中旬に開催された.主催は同博物館で市内で,市図書館の大会議場が主な会場であった.プログラムの作成に直接携わったのは同博物館のタチアーナ・S.ローンさんとその同僚のレーナ・S.ニトククさん達であった.参加者はオーストリア,オランダ,アメリカなどからの言語学者・民族学者の他,サンクト・ベテルブルグ,モスクヴァ,ウラジオストックなどの民族学博物館の研究員総勢80人ほどであった.日本からの参加者は釧路工業高専の中村隆さん,サハリン博物館の白石英才さん,千葉大学博士課程の丹菊逸治さんと金子亨の四人であった.

 会議の基調は,シュテルンベルグの提起した問題が今日どのような展開を見せているかと言う論議であった.すなわち,極東の先住民族の文化と言語に関する研究がその後どのように行われてきて,今日どのような問題が焦眉の急であるかという論議が中心をなしていた.この問題との関係でサハリン地域博物館を中心に行われてきたピウスツキ−遺稿の研究状況についての報告もこの会議にふさわしい重要な論点であった.研究の将来的展望に関してはローンさんが最後に提起したテーゼが3日間の討議の締めくくりにふさわしいものであった.

 今回の会議で著しかったのは,先住民族の参加であった.レーナ・セルゲェエヴナ・ニトククさんはニヴフ語の母語話者として最年少のお嬢さんであるが,すでに博物館の優れた研究員としてローンさんの片腕である.ピウスツスキー手稿に関する発表は優れたものであった.北端の村ネクラソフカからはスヴェトラーナ・フィニモノヴハ・パレチエヴァさんが来た.彼女はニヴフ語中級教科書の著者で,白石君の先生でもある.オハからは,故オタイナさんの娘であるアッラ・ヴィクトロヴナ・シシコーヴァさんが参加して重要な点で盛んに論陣をはっていた.ノグリキからはジェレミャノヴナ姉妹,画家のリジア・キモヴァさんとノグリキ博物館研究員ガリーナ・ロークさんがぞれぞれ優れた発表を行った.ウラジミール・ミハイロヴィッチ・サンギさんは所用で欠席したが彼の義妹でポロナイスク博物館長のスヴェトラーナ・ワシレーヴナ・サンギさんがご自分の博物館の持つ特徴と問題について語った.行政・立法機関にいるニヴフ人やライグンさんも参加していた.また北のヴァルからウイルタの代表が参加する予定であったが,残念ながら来られなかった.またサンクト・ペテルブルグからチュネル・ミハイロヴィッチ・タクサミが期待されていたのであったが,彼も欠席した.ロシア人のニヴフ語学者エカテリーナ・グルージェヴァも参加できなかった.

 日本人参加者は大変な評判であった.中村さんはピウスツキー蝋管の再生技術についてパソコンを使って説明したのであるが,参加者は彼のプレゼンテーションに仰天して感心して,IT技術の導入を州政府にせまるという結果をもたらした.丹菊君はニヴフ語初級教育用に,パソコン紙芝居を使って見せた.これはこれからの子どもの大好きな玩具になること請け合いで,彼は,早く完成してくれ,どうやったら真似できるのだなどといった質問で立ち往生する始末であった.白石君は例のごとくニヴフ語の韻律音韻論を一席ときたのだが,誰が理解したかは別として,ニヴフ語についてこのように不可解な論議が存在し得ることをデモンストレイトしたのは,それはそれで大いに有意義であった.金子は私たちがいままでやってきた科研,もちろんELPRについても紹介して,先住民族言語の研究が国際的な関心事であることを陳べた.総じて日本人はエイリアンみたいなことばかり喋るくせにニヴフ人と楽しげにニヴフ語でおしゃべりができるというのが大変不思議で楽しかったようで,日本人とは,アイヌと並んで,ちょっと南の方の妙な島に住むニヴフの古い親戚ということになってしまったらしい.そういえば,ニヴフ語で日本人はシーザム,つまりアイヌ語のシサム(隣の人)である.