ここ数年,3月の春休みには沿海州のウデヘの村を訪ねるのが年中行事化している。今年(2002年)も一年ぶりで訪れたところ,今までとは違った動きを体験した。わりに研究者がよく訪れる村ではあるが,今回訪問中に,日本のNGOグループのエコツアーの一行がやって来た。学生など若い日本人を中心に18人ほどが村に分散してホームステイし,3日間にわたって,ウデヘ語教室やら,古老の話やら,森歩きやら,伝統芸能の交歓会など,盛りだくさんの内容を楽しんでいた。私の下宿先にも2名の若者が割り振られてやって来たが,変な先客がいるのでびっくりしていた。おかげで,彼らからツアーの様子をいろいろ聞くことができた次第。そのような試みがなされていることは聞いていたが,この不便な村がどれだけ今時の若者を惹きつけられるのかは,正直疑問に思っていた。こんな所に好きこのんでやって来るのは,目的のある学者か業者(材木買い付けなど)ぐらいだろうと。しかし変わり始めた旅行者の意識と,村おこしをもくろむ少数民族の思いが,うまく合致したようだ。
今回,私はたまたま居合わせた傍観者に過ぎなかったが,その気になれば,言語学者としてできること,やるべきことがあるのではないかと考えさせられた。つまり教材作りや現地語教育だけではなく,村と外部とのパイプ役という形でも,現地への貢献が可能だろう。外部に対して,少数民族の言語と文化への理解を深めてもらうと同時に,村にとっても自分たちの言語と文化を見直して誇りを取り戻し,さらに経済的援助にもつながる手伝いができるのではないかと。具体的には今後こうしたNGOグループと連携しながら,専門知識を提供したり,ガイド役を果たせる部分もあろう。そんな中から少数民族言語や文化に関心をもつ若者が(旅行者側でも現地サイドでも)増えてくれば,大変結構なことだ。ちなみに今回の参加者の多くが,私が翻訳出版した現地ウデヘの執筆した自伝(アレクサンドル・カンチュガ著『ビキン川のほとりで:沿海州ウデヘ人の少年時代』北海道大学図書刊行会,2001)を読み,その著者との会見を楽しみにしていた。こういう形で自分の仕事が少しでも役に立てたとしたら,うれしいことだ。
たぶんアメリカあたりでは先住民の村のエコツアーというのは珍しくもないだろうし,日本でもおそらく,単なる観光旅行ではない「異文化体験ツアー」がすでに各種用意されているのだろう。今後ロシア極東・シベリアでは,そのような行き方を前向きに考える余地が十分にあると思われる。もちろんエコツアーの問題点・デメリットについてもあわせて考えていく必要があることは言うまでもない。
なおこのNGOはホームページ上でエコツアーを含めた各種の活動報告をしている。今回のツアーについてはまだアップされていないが,過去の同地訪問の参加者の声などが掲載されている:http://www.foejapan.org/siberia/
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