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西ペッレイッ寺院 | 東ペッレイッ寺院 |
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オリジナルであるインドをはじめ、スリランカ、インドネシア、カンボジア、タイなどに残るジャータカが全547篇であるのに対し、ビルマのジャータカは全550篇である。ビルマ版だけに見られるのは、第497篇ヴェーラーマ=ジャータカ(ウェーラーマ=ザッ)、第498篇マハーゴーヴィンダ=ジャータカ(マハーゴーウェインダ=ザッ)、第499篇スメーダパンディタ=ジャータカ(トゥメーダパンディタ=ザッ)の3篇である。西ペッレイッ寺院には第497-499篇のレリーフが現存し、また破損して篇名を確認できないが550の番号の入ったレリーフの断片も存在する。このことから、少なくとも西ペッレイッ寺院が建立された時代には、ビルマ独自の3篇がすでに付け加えられていたことがわかる。
寺院内で発見された古文物や粘土板に描かれたモン=ビルマ文字の字形、建築様式などから、東西ペッレイッ寺院はアノーヤター王治世(1044-77AD)に建立されたとみられている。ただ、そうすると、それより後のチャンズィッター王治世(1084-1113AD)に建立されたアーナンダ寺院のレリーフ、およびナラティーハパテ王(1254?-87AD)が緬暦630年(1268AD)に建立したと伝えられるミンガラーゼーディーのレリーフに描かれたジャータカの総数がインド伝来の547篇であるという点が疑問として残る。
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