東西ペッレイッ寺院のジャータカ粘土板
Terra Cotta Tablets of Jataka Stories, East and West Hpetleik Temples

West Hpetleik Temple East Hpetleik Temple
西ペッレイッ寺院 東ペッレイッ寺院
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東西ペッレイッ寺院は、バガン旧王城の南側、ティリピッサヤー村のさらに南にある。1907年の発掘開始当時には、両寺院とも土や崩れた煉瓦の中に埋もれ、上部の鐘形部分だけが見えていたという。発掘の結果、西ペッレイッ寺院の壁面に、ジャータカ(釈迦本生譚)各篇の場面や、地獄の様子を表現した粘土板レリーフが発見された。東ペッレイッ寺院からもジャータカの粘土板レリーフが壁面から剥がれた状態で発見され、これらはジャータカの番号順に配列され修復された。発掘後、粘土板レリーフを保護するために、セメント製の屋根が設けられた。

オリジナルであるインドをはじめ、スリランカ、インドネシア、カンボジア、タイなどに残るジャータカが全547篇であるのに対し、ビルマのジャータカは全550篇である。ビルマ版だけに見られるのは、第497篇ヴェーラーマ=ジャータカ(ウェーラーマ=ザッ)、第498篇マハーゴーヴィンダ=ジャータカ(マハーゴーウェインダ=ザッ)、第499篇スメーダパンディタ=ジャータカ(トゥメーダパンディタ=ザッ)の3篇である。西ペッレイッ寺院には第497-499篇のレリーフが現存し、また破損して篇名を確認できないが550の番号の入ったレリーフの断片も存在する。このことから、少なくとも西ペッレイッ寺院が建立された時代には、ビルマ独自の3篇がすでに付け加えられていたことがわかる。

寺院内で発見された古文物や粘土板に描かれたモン=ビルマ文字の字形、建築様式などから、東西ペッレイッ寺院はアノーヤター王治世(1044-77AD)に建立されたとみられている。ただ、そうすると、それより後のチャンズィッター王治世(1084-1113AD)に建立されたアーナンダ寺院のレリーフ、およびナラティーハパテ王(1254?-87AD)が緬暦630年(1268AD)に建立したと伝えられるミンガラーゼーディーのレリーフに描かれたジャータカの総数がインド伝来の547篇であるという点が疑問として残る。


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