先ず、タクシ・ブルースに乗るにはどうすればよいのか?道の途中でも、空席がある場合には手を挙げれば止まって乗せてくれる場合もある。特に、車掌というか助手というか係りを乗せているバス型のタクシ・ブルースは、道中のピックアップをある程度前提としているので、その確率は高い。が、普通は最初に出発地の町のタクシ・ブルースの発着所に行かなければならない。首都、州都、アンツィラベ(Antsirabe)、フォードーファン(Fort -Dauphin)などの大きな町を除けば、発着所はとりたてて捜すほどのこともないであろう。大方は、その町の市場かガソリン・スタンドの近くにある。ただ、首都のアンタナナリヴだけは、タマタヴ(Tamatave)線およびマジュンガ(Majunga)、ディエゴ・スワレス(Diego-Suarez)などの北行便はAndravoahangy、フィアナランツア(Fianarantsoa)、チュレアール(Tulear)、フォードーファン、ムルンダヴァ(Morondava)などの南行便およびマナンザーリ(Mananjary)、マナカラ(Manakara)などの東南行便それにツィルアヌマンディーディ(Tsiroanomandidy)など西行便はAnosibeとAmbohijanahary Andrefanaの二大発着所に行き先別に分かれている。さらに、北行便の一部はAmbohijanahary Andrefanaから、また100kmくらいまでの近距離東行便はAmpasampito、近距離北行便はアンタナナリヴ駅北のスタジアムの裏、Ambatondrazaka行きはIsotryの市場を抜け鉄道の踏切を渡った先のAmbodinisotryとたいへんに複雑なため、首都から初めてタクシ・ブルースに乗る人は事情に詳しい人に同行してもらうのが賢明かつ無難。

左:マジュンガ市の発着所 スペール出発準備中
右:マジュンガ市の発着所 スペールとミニ・ビュスとバッシェ
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さて、タクシ・ブルースの発着所に着いたとしよう。ここで、僕なぞは構造調整計画が施行され始めた第二次共和制後期から国是としての社会主義を放棄した第三次共和制へのこの10年間の移り変わりを実感せずにはいられない。と言うのも、社会主義当時からタクシ・ブルースには、国営会社から車1台で商売している零細民間会社まで中小さまざまな会社が参入していたものの、何処も同じ外貨準備不足のあおりをくらい車両・部品・オイルの調達に各社とも苦心していたため、7月から8月のバカンス期や年末年始の繁忙期にはことのほか切符の入手が難しかった。それゆえ、切符売り場のおやじの態度が「売ってやる」「乗せてやる」式の尊大さを漂わせていたとしても無理からぬところであった。それが、構造調整計画の具体的効果が現れはじめた1985年頃から徐々に改善され、今では大都市の発着所の主要路線の切符売り場周辺では、ガイジン客を見つけた各会社の客引きが素早くあなたの袖を引く。曰く、「どちらへ?あ、うちには今から出る便の席がまだありますぜ」、「こちらへ、こちらへ、うちはミニ・ビュス(後述)が出ますぜ」、「うちに来なせえ 良い席さしあげますぜ」。ただし、路線と車種が同じならば、会社ごとの運賃の差は無い。このような競争の口火を切ったのが、1984年のアンタナナリヴ←→タマタヴ路線の開通だったと言われている。それまで、首都アンタナナリヴと東海岸第一の港町タマタヴとの間には、フランス植民地政府が開いた国道2号線が通ってはいたものの、全線の半分近くが未舗装のため、大型トラックがかろうじて走行できるほど、旅客はこれもフランス植民地政府が造った鉄道の列車便を利用するより他にはなかった。その未舗装部分を、社会主義国同士の連帯?により中国が修復した途端に、二つの会社がタクシ・ブルースの運行を始めた。タクシ・ブルースと列車、いずれが乗り心地が上かにわかには判断し難いものの、所要時間では12時間以上と6時間、倍の差をつけたタクシ・ブルースの勝ち、旅客が列車からタクシ・ブルースに殺到することとなった。こうなると二つの会社間での旅客の奪い合い、最初は料金の値下げ合戦、それが行き着くところまで行くと次は車内設備や乗客へのサービス合戦へと発展した。皮肉屋のマダガスカルの友人が、「マダガスカル人は社会主義になってようやく資本主義がわかってきたようだ」と言っていた。結局、ビデオテレビ付きバスまで走らせ始めたタクシ・ブルースに、料金面でも完敗したマダガスカル国営鉄道のタマタヴ線はやがてあわれ隔日運行となり、最近では旅客部門は当然のごとくに消滅。時速30kmくらいでごろごろ走るため車窓からの眺めを楽しむにはかえって適しており、各駅では季節の果物や土地の食べ物を買う楽しみも加わり、消滅する前にこのタマタヴ線の鉄道の旅を勧めたいところであったが。現在、タクシ・ブルースやトラック輸送便との競争で苦しい局面に立たされているマダガスカル国営鉄道は存続の危機にあり、まだ細々と運行されているらしいアンタナナリヴ←→アンバトウンドラザッカ線、フィアナランツア←→マナカラ線には、時間と心の余裕のある旅行者は是非乗ってもらいたいものである。とは言っても、保線や車両の保守点検が十分ではないため、馬の背に揺られるよりもひどく飛び跳ねたりするくらいはまだ良い方、時には連結器がはずれたり脱線したりすることもある(らしい)・・・・。

左:マジュンガ市の発着所 タクシ・ブルース会社の発券所
右:アンツヒヒーの発着所 スペール出発準備中
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第二次共和制末期から第三共和制初期の一時、えげつない外貨獲得方法として旅行者には国内航空運賃や四つ星クラスのホテルさらには鉄道の一等車の支払いが外貨で求められるということがあったが、タクシ・ブルースは何時でもマダガスカル人であろうがガイジンの旅行者であろうが、マダガスカル国内通貨のマダガスカル・フラン(FMGと表示)払いである。タクシ・ブルースの席の予約と切符の事前購入の必要性は、路線および季節ごとに異なる。200km以下の中・近距離のタクシ・ブルースの場合は、概ね朝の7時か8時頃から発着所に来ていれば、その日のうちに乗れるはずである。同じ長距離線でも、車台数の多い先ほどのアンタナナリヴ←→タマタヴ線・フィアナランツア線・マジュンガ線などの場合には早朝に行けばその場で乗ることのできる可能性が高いが、ま、一日か二日前に席を予約した上切符を事前購入した方が安全。

左:アンツヒヒーの発着所 ファミリアールとタタとバシェ
右:アンツヒヒーの発着所 スペール出発準備中
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タクシ・ブルースの発券所や待合所と言っても、ほとんどは3畳か4畳そこらのトタンの掘ったて小屋で、中には木の長椅子がごろんと置いてあり、ポケットに札束を無造作にねじ込んだおっさんが汚らしい大学ノートと切符の束を手に座っている。強いてタクシ・ブルースの発券所らしきものを室内に捜すとしたら、壁の黒板に書かれた行き先別の料金表と今そこに待機している車両と他地域に出発した車両別に分けられた各車のナンバープレート番号の列くらいであろうか。先の大学ノートがすなわち座席の予約表であり、切符におっさんが行き先・乗客名・人数・発券日・出発日時・支払った金額を書き込んだ上で最後に署名をして渡してくれたら、粗末な印刷と紙質の紙切れもこれで立派に切符である。乗車時に切符の提示を求められることはまずないものの、何かの際には支払った料金を返してもらうための証拠となるので、目的地で下車するまでは大事に手許に持っていた方が無難である。予約表も、ただ大学ノートの一頁に出発日と座席数分の番号を打った乗客名が書いてあるだけで、これで本当に大丈夫かなと少し不安を呼び起こすものの、体験的には数十回タクシ・ブルースに乗って予約ミスをされたのは2回か3回で、国際航空路線の予約ミスの確率と大差ないと思う。 |
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切符を購入する際のポイントは、上に書いたように券売所のおっさんに 、行き先・出発日・人数それに旅行代表者1名の名前を告げることである。首都や同レヴェルの大きな町の券売所のおっさんならこれぐらいの内容はフランス語で対応してくれるが、英語は望み薄と思った方が間違いがない。通常は、こちら側からこれだけの情報を与えれば、後は当日出発便に空席があるかないかだけの問題だが、主要路線によってはこちら側からさらに三つの事柄についてチョイスないしリクエストをしなければならない。それが、車種と出発時刻、それに座席位置である。
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