その名はタクシ・ブルース
マダガスカルを疾走中

(21世紀バージョン)
初出:『東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 通信』
1997年3月25日 89号 pp.1-14 を基に、一部加筆・修正
  マダガスカルで、都市と都市、町と町をつなぐ乗り合い自動車のことを、普通taxi-brousseと呼ぶ。ちなみに、brousseとはかつての支配国のフランス語で、「藪の多い土地」、転じて「田舎」・「僻地」を意味する。ゆえに、taxi-brousseは、町中を流す通常のtaxiとは対比を成す。用いられる車も、通常のtaxiが、大人4人が乗ればはみでそうでガーガー・バタバタとうるさくガス欠や首都の旧王国時代からの古い石畳の坂道を上がりきれずにエンコの立ち往生も日々の風景となるシトロエン2CVやルノー4L箱型であるのに対し(首都のアンタナナリヴで用いられるタクシー用の車両は年々改善傾向にあるが、それでもこれらの車種もまた不滅!)、taxi-brousseは乗車定員10人以上の大型車、何よりも藪でエンコされてはたまらないので、車そのものの状態と整備状態がずいぶんとちがう。首都のアンタナナリヴ(Antananarivo)では、taxi-brousseを引退した車達が、今度はパパング(鳶 papango)と呼ばれる大型乗り合い路線タクシーとして第二の人生を送っている。このパパング、市内バスよりも倍くらい料金が高いが、それでも通常のタクシーのそれに比べれば5分の1くらい、それにバスよりはだいぶ速く第一座ってゆけるので、庶民の足として人気がある。否、むしろ交通渋滞が激しさを増し、またお節介などこぞの国がバスを最近援助してくれないせいか、首都ではパパングが大型バスを圧倒し、新型のミニバン型車両も投入され、とても元気である。
 
0108 0058
左:マジュンガ市の発着所 タタ出発準備中
右:マジュンガ市の発着所 発券所とファミリアールとミニ・ビュス
  閑話休題。taxi-brousse、フランス語に忠実であるならばタクスイ・ブルスと発音すべきなれど、日本語と同じく語尾末を必ず母音で終えるマダガスカル語の場合、タクシ・ブルースと発音するのが普通であり、タクスイ・ブルースイとやればこれはもう立派なマダガスカル語。ちなみに、タクシーに<ベ>(be)「大きい」というマダガスカル語をくっつけた日本語の重箱読みみたいなタクスイ・ベ(taxi-be)「大きなタクシー」と言う呼び方もあるが、何故か今一つ用いられていない。
  さて、タクシ・ブルースとはいかなるものかについて知ろうと、マダガスカル関係の本を引っぱってくると、そこには書き手のマダガスカルとの係わり方が見え隠れして面白い。たとえば;
  外務省外務報道官監修と銘打たれた『海外生活の手引 改訂版 第14巻 アフリカ篇 I』1999 世界の動き社 の国別マダガスカルの頁をくくれば、交通の項に、国内航空路線・免許の取得方法・市内タクシーの料金そして混んでいるから市内バスの利用は止めたほうがいいという忠告以外、タクシ・ブルースはおろか国内860km4路線をもつ鉄道に対する言及さえ見あたらない。ま、外務省・JICA・商社などの駐在の人たちは一般に車を持っているので、田舎に行くにしても、タクシ・ブルースなどに乗る必要はないのであろう。
  これが、同じ日本人でもバッグパッカー型旅行者向け情報誌ともなるとちゃんと言及がなされている。
地方に向かうにはタクシーブルースと呼ばれる乗合のバンが一般的。ただ、その移動は精神的、肉体的にかなり苛酷である。幌をかけた荷台の中に固いベンチがしつらえられ、そこに詰め込めるだけ詰め込むので乗り心地は悪い。また行き先によっては夜通し走ることも多い。隙間風がはげしく、たいへん冷え込むので風邪をひかないように防寒対策をたてること。マダガスカルの道は中央の一部をのぞいて非常に悪い。運転も乱暴なので事故も多い。
 『アフリカ旅行情報ノート』凱風社 1993年 54頁より
この文章を書いた人の旅の様子が、目に浮かぶようである。眠気と疲労で瞼は重いものの、身体の圧迫と腰の痛みそれに身を切る夜風に結局まんじりともできず、はや車窓の外は白々と明けてゆく。ちなみにこの文章の筆者は、乗っていたタクシ・ブルースが横転事故を起こして負傷した経験を持ち、最後の「運転も乱暴なので事故も多い」の一文は通り一遍の注意ではない。
  タクシ・ブルースに関する記述は、個人旅行者の世界的バイブルLonely PlanetシリーズのMadagascar & Comoros では詳細を極めている。車種、車の整備状況、切符の買い方と予約の仕方、良い席の取り方、車内の乗客の様子などなど、その世評に掛け値のないことをあらためて認識させてくれる。
長い間走るスクラップ状態におかれてもなお動き続けているという事実は、フランスやドイツのテクノロジーとマダガスカルの町の修理工の巧みさの賜物に他ならない。何割かのタクシ・ブルースの車体は、針金とぞんざいな溶接で繋ぎ止められているようである。タクシ・ブルースはよく故障する。と言っても、皆さんが思うほどしょっちゅうではない。−中略−もしあなたが次のような旅行者を演じれば、車内の前席を与えられる確率は高い。:a.マダガスカルの地方の景色を良い眺めのもとで楽しみたい b.背中や足のしびれと車酔いにうちのめされた気の毒な旅行者 c.私自身はまだ体験したことはないが、客に対するマダガスカル人のすばらしいホスピタリティーを伝え聞いた あるいはd.もっと直載に運転手にチップかタバコ一箱を進呈する。ま、時には、そんな面倒もなく、前席がガイジンに提供されることもある。−中略−ほとんどの場合、タクシ・ブルースは満員になるまで待っているし、さながらオイル・サーディンのごとくに詰め込まれるわけである。ミニ一台に人間何人を詰め込めたかのギネスブックの世界記録なんぞ、このマダガスカルの空間利用に比べれば児戯に等しい。どれくらいわずかばかりの空間に人間の身体を圧縮しうるかは、驚くばかりである。地元の人にお近づきになる良い機会ではあるが。−中略−しょっちゅう、運転手や会社のボスが出発を決めるまで、定刻から一時間やそこらは待ち続けなければならない。彼らが一人二人の乗客をひろうために一時間待っている時は、本当に頭にくる。マダガスカル人は待つことにも押し込められることにも気にしていないが、あなたは軽い閉所恐怖症を覚えるかもしれない。とは言っても、物事は良きに解釈しよう。なぜなら、一旦荷物と人の積み込みが終わったら最後、あなたは車内で上にも下にも右にも左にも身動きひとつならないのだから。
  R.Willox , Lonely Planet Madagascar & Comoros , 1989 , Berkley:Lonely Planeto Publications p.54 より
率直さと皮肉の入り交じった文体、タクシ・ブルースによる旅およびタクシ・ブルースそのものへの想いをこのような形で表すことは、何もLonely Planet の著者一人の作為ではない。むしろ、マダガスカルでの旅がそこに圧縮されたディスクールともあるいはタクシ・ブルースそれ自体がマダガスカル全体のミクロ・コスモスとでも見なしうるかのようである。現在最も詳しく実用的なマダガスカルの旅行ガイド書の一つも、次のように記している。
快適で速く正確で定刻に出発する交通機関に慣らされたヨーロッパ人にとって、かなりの距離ひどいぎゅう詰めの車を体験することは、驚愕であろう。身をすぼめなければならないことは言うまでもなく、一台のルノー4L型に11人とかプジョー404小型貨物車に25人とかいった「容量」と積み過ぎの「記録」の光景は、印象深いことであろう。ま、幸いなことに、これは、短距離の例であるが。とは言え、国内航空路線のチケット一枚の代金すら支払うことのできない庶民や、しばしばとてつもない距離を「家財道具一式」を携えて旅する庶民には役だっているのである。長い道中は、車のあらゆる機械部品と同様、旅行者にも精神的また肉体的我慢を味わせてくれる。また、機転の才が運転手や助手に求められる場面は少なからずあり、しばしば「やりくり算段」が様々な故障に際しての唯一の解決策である。たとえば、パンクは、応急修理接着剤の代わりに godro と呼ばれる現地の木の樹液で、修復されている。
  V.Verra , Madagascar , Le Guide de la Decouverte et de l'Aventure , 1995 , St.Denis:Azalees Educations , pp.303-304 より
とこのように書き並べてきて、それでもタクシ・ブルースにに乗りたいという奇特な人もあまりいないであろうが、自家用車を持つか、賃料・運転手の給料・保険料・燃料代をあわせると日本でのそれと大差ないレンタル料を支払えるか、あるいは航空路線のある町以外には行かない確固たる方針を持つ人以外、好むと好まざるとにかかわらず、タクシ・ブルースと付き合わざるをえないのである。私も、国からの補助金が運良く支給された時でさえ首都から調査地までの800kmのうち飛行機便の無い最後の80kmだけは2時間半のタクシ・ブルースの旅に身を委ねざるをえない。と言うわけで、以下はこの20年間の体験的タクシ・ブルースとの付き合い方。

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