ついでに、これはまいったと言うタクシ・ブルースの旅の実話をひとつ。
時は、1983年10月、これから始まるフィールドワークのための定住村落の選択を目的とした予備調査を終え、西北部最大の町アンツヒヒー(Antsohihy)に出てきた。旅の最後は、最北端の港町であると共に美しい風光が売り物のディエゴ・スワレスの町で調査の垢と疲れを落として首都に帰ろうと考えたのが敗因。アンツヒヒーとディエゴ・スワレスの町の間は450kmとうんと離れているわけではないものの、アンツヒヒーから途中のアンバンザ(Ambanja)までの217km間の舗装が無く、タクシ・ブルースの乗客にとっては辛いと聞かされていた。が・・・・。まず、タクシ・ブルースの出発が、発券所で指示された定刻の午前9時を2時間半近く遅れ、マダガスカルで一番暑い町の一番暑い次期の一番暑い時刻となってしまう。次に、点呼が済み荷物を載せたら、プジョー404ファミリアール、屋根の上の荷台はもちろん、後席後ろのわずかばかりのハッチバックとのスペースも満杯となり、会社のあんちゃんがスペースを造るためにスペア・タイヤを降ろしてしまう。いやな予感。さて、これで出発と思ったら、運ちゃんが「この先で検問があるからよ、3km先で待ってるぜ」と数名の乗客を乗せてさっさと走り去った。置き去りにされた大半の乗客、特に抗議の声をあげるでもなく、3kmの炎天下の道をぶらぶら歩いていった。件のプジョー、ちゃんと運ちゃんの指定した場所で待っていたが、乗客が揃いいざ乗り込む段になり、これはとんでもない定員オーバーであることが判明した。先に述べたようにファミリアールは前席2名、中席5名、後席3名の計10名が定員である。しかしこの時は、前席が僕を含め3名プラス運ちゃん、中席7名、後席5名の計15名、そのうち3名が子供であったことを勘定に入れても、扉が閉まったこと自体奇跡に近い。かかる非人間的なすし詰め状態も、うら若い女性との過度な身体接触であるならばそれなりに耐えもしようが、忘れもしない僕の右腕は完全に窓の外、左側は普通人の二倍はありそうな典型的なサカラヴァ系のオバサンの汗ばんだ肌にべったり。道理で、やけに荷物が多かったわけだ。しかし、物語はこれで終わりではない。イスラム帽をかぶりがさつなディエゴ方言を喋るコモロ人かもしれないいかにも利いた風な若い運ちゃん、自分も左腕を窓から車外に出し、右腕一本でやっとこ車を操作していたが、12kmぐらい走ったところで見事にパンク。普通ならタイヤ交換すれば済むところ、出発時にスペア・タイヤを置いてきてしまっている。洒落にもならない。乗客全員降ろされ、運ちゃん「町に戻ってタイヤ治してくるから、ここで待ってろや」と言い残してパンクしたままのタイヤの車を超低速ゴロゴロと転がしアンツヒヒーの町へと帰っていった。気がつけば、じりじりと太陽の焼け付く音のするような昼過ぎに、少しばかりのマンゴーの木陰のある草原のただ中にいた。食事はおろか飲料水も無い中待つこと4時間半、陽も西に傾いた頃タクシ・ブルースが戻ってきた。既にマダガスカルでの生活も二年近くを過ぎ、それなりにマダガスカルのこともわかりそこでの生活の心構えもできたと自惚れていたが、甘かった。僕の方は、運ちゃんに文句か嫌味のひとつでも言ってやらなければ心中収まらなかったが、何と他のマダガスカル人の乗客は戻ってきたタクシ・ブルースの中にしずしずと再びすし詰めに自分からなったのである。郷に入りては郷に従え!
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早朝の発着所に到着 Antsohihyにて
早朝の発着所に到着 Antsohihyにて
人から聞かされていたそれから先の未舗装区間も凄かった。未舗装部分にさしかかる手前で、車は停車。乗客全員一度車を降り、女性客はスカーフで頭をしっかりと包み、身体には腰巻きの布を肩から羽織る。僕もかねて用意のタオルで頭と口を包み眼だけを出した、何やら昔懐かしいパレスチナ・ゲリラ風の格好となる。走り出せば、噂に違わぬとはこのこと。この区間の国道(何ともまあ驚くことに!)6号線、乾季には土埃がくるぶしが埋まるくらいまで堆積しているとかねてより聞かされていた。タクシ・ブルースの後方は巻き上げた埃で全く視界がきかず、沿道の樹木も埃を被って真っ赤、もちろんその埃は暑いため開け放たれている窓からも容赦なく侵入してくる。このタクシ・ブルースに搭載されていたカーステレオ、かわいい花柄のチャックのついた布で乗客より大事そうに包まれていたわけを、痛いほど納得。その後も、深夜コーヒーブレイクに立ち寄ったマルマンディア(Maromandia)の町では空前絶後の蚊に襲われ、アンパシンダヴァ半島(Ampasindava)を抜ける山中では乾季にもかかわらずサンビラーヌ気候帯(Sambirano)特有の雨に捕まり、今度は土埃変じて泥汁粉となった道に降りてタクシ・ブルースを押す羽目となる。翌日の明け方、アンバンザの町に着いた時には、乗客全員が、上から下まで、レニ・リーフェンシュタールの写真集に出てくるヌバ族の男のような真っ白な塑像と化し、誰が誰やら顔の判別もつき難い有様。結局、辿り着いたディエゴの町はまだ乾季の風の中で埃に汚れ、耳の奥から鼻の中までこびり着いた土埃を洗い落とすのと予備調査に倍加した道中の疲れを癒やすためにホテルに三日間閉じこもり、何のために行ったのやら・・・。
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とここまでくれば、どんな楽天家でもタクシ・ブルースの旅を自分が経験することを考えたら、暗い気分になること間違いなし。かく言う僕も、科学研究費という国からの有り難いお金を頂いて調査ができるようになってから、同一路線ならば、タクシ・ブルースよりも飛行機を利用するようになっている。しかし逆に、Lonely Planetなどの影響であろうか、昔はあまり見かけなかった欧米からのバッグパッカーたちが、安くて景色を楽しめる?タクシ・ブルース便を盛んに利用するようになっている。ま、個人的には身長1m80cmを超えるような大男・大女の利用は自主的に止めてもらいたいものだと思う。こんな大男・大女が二人も乗ったファミリアールの前席や後席に押し込められた方は、たまったものではない。
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