マラリアの予防内服および予防薬と治療薬について
『マダガスカル研究懇談会会報 Serasera』第19号 pp.26-30. 所収
 マラリアについては、既に『Serasera』1号から3号にわたり私の「マラリア日記」が、また4号に井関基弘先生の「マラリアの予防対策」が、「マダガスカル渡航の手引き」として掲載され、さらにそれらの文章はマダガスカル研究懇談会のHP上においても公開されています(http://www.africa.kyoto-u.ac.jp/~malagasy/routhtm)。しかしながら、舘野さんのマラリアの予防内服としてクロロキン製剤を服用したことに起因するとも推定される重篤な副作用に関する報告「マダガスカルの悪魔の囁き」(『マダガスカル研究懇談会会報 Serasera』第19号 pp.25-26所収)を掲載するにあたっては、予防内服の必要性の有無とその注意点などについて再度記載することが必要と判断しました。マダガスカルへ渡航および滞在される方々におかれましては、以下の情報を基にマラリアへの対処方法を、各自選択下さるようお願い申し上げます。
  1)どのようなマラリアの予防内服薬も何らかの副作用を伴うこと:マラリアの予防薬を内服する際には、薬剤に添付されている使用説明書の副作用の項および服用上の注意事項をよく読み、副作用に該当する症状が服用中あるいは服用後に現れないか、注意深く観察しなければなりません。もし、それに該当する強い自覚症状が現れた場合には、服用を中止し、直ちに医師の診断を受けてください。当該の抗マラリア薬剤の予防内服によってどの程度の副作用があらわれるかは、個人毎の差が著しいようです。したがって、マラリアの高濃度汚染地域で活動したり生活したりする段になってから、用いた薬剤の副作用によって予防内服ができないことに気がついては、予定していた活動の遂行に支障を来す恐れがあります。その危険を避けるためには、マラリアの高濃度汚染地や流行地に入る前に、試験的に当該の薬剤を数週間服用してみることが勧められます。もしその試験服用によって、著しい副作用を自覚した場合には、予防薬の種類を変えるか、あるいは治療薬の持参にとどめ予防内服を行わないかの何れかを、選択しなければならないでしょう。もし予防薬の種類を変える場合には、自分が試験服用した予防薬の有効成分が何であるかを確かめ、同じ有効成分を含有する予防薬を避けなければなりません。例えば、後述するサヴァリンsavarineの有効成分はクロロキンchloroquineとプログアニルproguanilですから、サヴァリンを服用して副作用を自覚する人は、クロロキンが有効成分であるニヴァキンnivaquineを用いても同じ様な副作用を生じる可能性が高いことになります。なおマラリアの予防薬には食欲不振や嘔吐感の副作用を伴うことが多く、このような副作用は、就寝前に薬剤を多めの水と共に服用することによって、いささかなりとも軽減することができますので、お試しください。マラリア予防薬による副作用は、摂食直後や空腹時あるいは朝服用することによって、顕著に現れる傾向があります。
  2)マラリアの予防内服薬は定められた量および用法に従い正確に服用すること:薬剤に添付されている使用説明書に従い、それぞれの薬剤ごとに定められた服用量と服用法を正確に守ってください。同じ有効成分から成る薬剤でも、商品によって薬剤に含有される有効成分量の異なることがあり、使用説明書を用いる薬剤毎に丁寧に読む必要があります。絶対に、内服量や期間を自分勝手に変えてはいけません。
  3)予防効果が百パーセントの薬剤はありません:現在までのところ、それを服用すれば、百パーセントマラリアの発症を防ぐことができる予防薬は、開発されていません。1984年に開発されたメフロキンmefloquine(商品名ラリアムlariam、メファキンなど)は、1990年代までその予防効果がたいへんに高かったものの、その後マダガスカルでもメフロキン耐性マラリアが出現しています。したがって、予防薬を定められた用量を用法に従って定期的に服用していても、マラリアに罹患する恐れがあることを決して忘れてはなりません。予防薬の服用による予防効果を過信しますと、「マラリア日記」にも書きましたように、マラリアの罹患を自覚しないまま治療時期を失して死に至る危険を招くことにもなります。

 では、予防薬を内服することは不必要なのでしょうか?

 これは、なかなか難しい問いです。一部のマラリア専門医や熱帯感染症の専門家からは、副作用のデメリットを第一に考え、予防内服を行わず、マラリアの発症を確認してから医療機関に出向くか、無医村の場合には手持ちの治療薬を服用する対処法が、推奨されています。確かに、医療体制が整い、24時間輸送手段の確保されている都市に居住しそこで活動する人には、この対処法がベストであると思われます。ただしその場合でも、マラリアが発症した時の患者の苦痛は大きく、治療措置後も一週間くらいは、頭痛、発熱、倦怠感、下痢、筋肉痛などの体調不良が続く場合もあることを知っておくべきでしょう。一方、無医村の僻遠地で活動を行う人間にとっては、発症そのものが所期の活動に大きな打撃を与えるものですし、またマラリア罹患の自覚症状は激烈ですから、医療機関のある都市への移動そのものにたいへんな苦痛を伴う点が考慮されなければなりません。
 予防内服には、a.マラリアの発症そのものを防ぐことができなくても、発症までの期間を伸ばすことができること、b.発症時に激症症状に陥る可能性を低め、先駆症状を発症前に生み出すことが期待できること、c.マラリアの高濃度汚染地域とりわけ僻遠地では、マラリアの予防内服なしには、数ヶ月以上にわたり発症を経験せずに活動や生活を継続することは無理であること、などのメリットを挙げることができます。

 マラリアの高濃度汚染地域で生活する人であっても、それがマジュンガやタマタヴなどの都市である場合には、家の窓や戸口に網戸を貼る、蚊取り線香などをたく、蚊帳を吊って寝る、夜間外出時には肌の露出部に虫の忌避剤を塗布するなどの措置を日常生活の中で講じることで、マラリア対策は十分であり、抗マラリア剤を予防内服しない選択が可能です。しかしながら、その場合でも、マラリア罹患の危険性のある環境の中で生活していることを常に自覚し、体調不良を覚えた場合には、自己診断ではなく、専門医の診断を速やかに受けることが大切です。

 問題は、舘野さんの報告に示されるように、医療機関の無い僻遠地で研究や仕事などの活動に従事する場合です。
この場合でも都市部と同じように、蚊取り線香などをたき蚊帳を吊って寝る、長袖の上着と長ズボンを着用し肌の露出部に虫の忌避剤を塗布する、マラリアを媒介するハマダラカの活動時間帯である薄明時間帯から夜間の外出をできるだけ避けるなどの措置をとるようにしてください。しかしながら、このような措置を講じても、マラリアの高濃度汚染地域や流行地において活動する中で、蚊に刺されることを百パーセント防ぐことは不可能ですし、また現実には農村地帯においてこのような措置を全て講じること自体に困難があります。このような状況下においては、次ぎの何れかの薬剤による対処方法を選択する他にはないと言えましょう。

 A.予防薬を定期的に服用し、治療薬をも持参する。
 B.予防薬を内服せずに、治療薬だけを持参する。


 上記の何れを選択するかは、a.現地におけるマラリアの汚染濃度と流行の度合い、b.本人の健康状態および予防薬に対する副作用の有無や程度、c.現地における活動の様態(主として昼間活動するのか、夜間も屋外で活動することが必須であるのかなど)、d.滞在地から医療機関のある都市までの交通の様態、e.蚊に刺されないための措置をどの程度講ずることができるかなどを、総合的に考慮した上で判断してください。なお、滞在地におけるマラリアの汚染度と流行の度合いの簡易判定は、既に「マラリア日記」で紹介したように、4・5歳から11・12歳くらいまでの成長期の児童の腹部を観察することによって行うことができます。栄養失調でもないのに、みぞおちの下辺りから下腹部にかけてぽっこりと膨らんでいる場合には、マラリアの慢性罹患に基づく肝臓や脾臓の腫れが生じているものと考えられ、そのような児童数の割合が全児童数のおよそ3割以上を占める地域は、高濃度汚染地帯ないし流行地と判断して差し支えありません(村の子供数十人くらいを観察すれば、十分に目安になります)。マラリアに対する抵抗性を全くもたない日本人がこのようなマラリアの高濃度汚染地域の中で予防内服を行わずに生活した場合には、数週間の短期間でマラリアが発症することも決して希ではありません。

 最後に、現在マダガスカルにおいて市販され、都市の薬局で簡単に入手できるマラリア関連の薬剤として、以下のものをお勧めします。これらの薬品は、医師の処方箋なしに何処の薬局でも購入することができます。

 予防薬 商品名 SAVARINE(サヴァリン):商品名サヴァリンは、クロロキン製剤とプログアニル製剤の合剤です。毎日一回一錠を服用します。一箱には28錠入っており、ちょうど一ヶ月4週間分の服用量です。毎日飲むため、ちょっと煩わしいように感じるかもしれませんが、一週間に一回服用する薬剤よりもかえって飲み忘れる恐れが少ない利点があると考えてください。メフロキンよりも予防効果は劣るものの、合剤のためクロロキン製剤単体(たとえば商品名ニヴァキンnivaquineなど)よりは予防効果が高い上、副作用が少なく、長期服用も可とされている点で、メフロキンに勝ります。前述したように、1990年代まではメフロキン製剤(商品名ラリアムlariamなど)の予防効果が極めて高かったため、その時点では服用が推奨されました。しかしながら、ふらつき・めまいなどの平衡感覚の障害、むかつきや食欲不振、頭痛や倦怠感、あるいは悪夢などの副作用が強く、さらにメフロキン耐性マラリアの出現した現在では、その副作用のデメリットを差し引いてまで、予防のために内服することの必要性は少ないでしょう。その一方、マラリアの高濃度汚染地帯で二ヶ月から三ヶ月以内くらいの短期の活動を行う場合には(ラリアムの服用可能期間は三ヶ月以内です)、その副作用が自覚される許容限度内であるならば、現行の予防薬の中での予防効果の高さゆえに、メフロキン製剤(商品名ラリアムは一週間に一錠服用)をあえて選択することも考えられます。数ヶ月や年単位の長期間にわたって予防内服を行うのであれば、予防効果の点では劣るとしても、副作用の少ないことが多くの服用例から実証されている、サヴァリンが推奨されます。とは言え、人によっては食欲不振や嘔吐感あるいは下痢や頭痛などの副作用を自覚することもありますので、試験服用をしっかりと行うようにしてください。繰り返しになりますが、サヴァリンを毎日一錠服用していたとしても、マラリアが発症する可能性があることを、常に頭に入れて行動しなければなりません。なお、マダガスカルで広く市販され服用されているニヴァキンは、有効成分がクロロキン製剤単体であり、その結果このサヴァリンよりも予防効果はさらに落ちますので、ニヴァキンを服用するよりは、サヴァリンを服用することの方が有意です。

 治療薬 商品名 COARTEM(コアルテム):商品名コアルテムは、アルテスネイト製剤とルメファトゥリン製剤の合剤です。キニーネ以来の大発見と言われる中国で漢方薬から開発された優れたマラリア治療薬アルテスネイトを基に、その即効性を高めた薬剤です。緊急時の自己内服による治療薬としては、即効性、効力、副作用の少なさの諸点に鑑み、現在最良のものと言えます。それゆえ、マダガスカル滞在中に無医村の僻遠地に行く際には、常時携行することが強く推奨されます。24錠が一箱に入っており、これが一回の治療の薬量となります。マラリア発症時におけるコアルテムの服用法は、初回4錠、それから8時間後に4錠、その後二日目と三日目の朝と晩にそれぞれ4錠、計6回、合計24錠です。頭痛、倦怠感、眩暈、冷や汗、寝汗などの先駆症状の段階でコアルテムを服用すれば、一日で症状が軽快します。コアルテムは、マラリアの治療薬であり、自分で勝手に予防薬代わりに服用してはなりません。また、一度コアルテムの内服による自己治療を始めたら、医師による服用中止の指示が無い限り、上記の治療量である24錠全てを服用してください。自己判断で勝手に途中で治療内服を中止することは、コアルテム耐性マラリアを出現する可能性を助長する行為であり、それはひいてはマラリア汚染地帯での活動に従事する人々全体を危険に陥れる事にも繋がることを、よく自覚してください。予防効果が百パーセントの抗マラリア内服薬の無い現在、医療機関の無い僻遠地で活動しなければならない人間にとって、このコアルテムが緊急救命のための最後の砦なのですから。
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