N-1: Lefaka raha angatahinareo , ia .
おまえたちが求めていることは馬鹿げている、ああ。
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(30秒)
O-1:Tsy lova eh .
相続地じゃないぞ。
F-11:Zany no rabe , zoky eh . (Ahahaha 笑い)
それが答えですか、<兄さん>。(Ahahaha 聴衆の笑い)
Tsy mandidy manapaka raha jiaby , ry ray aman-dreny tsy akeo .
ここに出席されていないライ・アマンドレニのみなさん、問題は全く何も裁定も解決もされていませんよ。
N-1の発話からO-1の発話まで、30秒と異例に長い沈黙が続いている。ヴリアの聴衆の大半がこの時点でさしもの訴人も諦めて引き下がったのではないかと予期した一方、まだ訴人は納得していないのではとの不安も半ばしていたに違いない。30秒の沈黙を破ったO-1の発話は、その内容においても極めて唐突であった。なぜなら、ここまでムラないしヴリアでは問題の土地が相続地か否かについて実質的な討議を全く行ってきていないからである。ではにもかかわらず、「相続地ではない」とあたかもムラの裁定であるかのような事柄を、ここでO-1はなぜ述べたのか。その答えは、次の訴人の発言内容と聴衆の笑いに集約されていると言えるだろう。すなわち、O-1の発話は、上記のような30秒間の沈黙の意味を訴人の態度として半信半疑に捉えていた聴衆を代弁したいわば訴人への「探り」であり、そのために訴人が強く求めているムラの裁定事項に焦点を絞り、それも訴人には「敗訴」となる内容をぶつけたのである。O-1の思惑通り、それまで沈黙を守っていたとも見えた訴人は口を開き、案の定かかる裁定内容の不満を再び述べたのである。O-1の「探り」とそれにもののみごとに「引っかかった」訴人という瞬時の社会劇に、聴衆は哄笑というよりも失笑を禁じ得なかったことであろう。訴人が、ムラの権威と共同性を承認し受け入れる気配は依然として無いことは、明白であった。そればかりか、訴人は、「この場にいないライ・アマンドレニのみなさん」とほとんど捨て台詞とも聞こえる言葉を最後に口にしてしまっている。
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A- 7:Oh , andry tsy mety na tsy mahita na tsika ka
na mnazavaza::va ny oloña . Karaha izy ny biriñy(2) .
あーあ、待つことはできねんじゃしょうがない、
おれたちゃそいつによーく説明してやらにゃ。
Hazavaina oloña . Afantoka anao nanao raha voa anaty
mafy donko izy karandohan'oloña , po . Inona maloha ?
まるでやっこさん一人気取りだから。そいつに説明せにゃ。
おまえさん一人相撲やらかして、
Andehadeha naninona afa-fara . Ah , maninona rahe ?(3)
人の頭ん中は多分めちゃくちゃよ。なんだい?そっちで何が起きたんだい?
Izany dia ohatry ny volaniny akeo tsi'sy hadino raha .
Iny zavatra tena mbola mahavoa tsika ,
fandaminana ransaina aminy tsy mety rava akaminao .
あ、何事だい?やつがそこで言ってきたように、
要は忘れたためしが無いというこった。
それがおれたちを依然として悩ましてるってわけで、
相続分割の話し合いはおまえのところじゃ決して解決つかないよな。
Satria oa samby handresy foana anilany zany anilany .
なぜなら、一人一人が相手を負かそうそうとだけしているからさ。
Raha tsaraina misy le raiki-be aminy reha grippage(4) .
もし裁定したとしても、一方がエンコってことよ。
(1) フランス語のplaceに由来する単語で、直訳は「あなたの場所」。「そこがあなたの場所」ということは、文脈に則してみれば、「あなたにふさわしい」・「あなたらしい」の意。
(2) 「分離」や「剥離」を意味するツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.18 )。
(3) ここまでの三つの問いかけはヴリアの内容に係わるものではなく、この時犬同士が激しい喧嘩を始めたため、それについての言及である。
(4)(機械の)「故障」・「焼き付き」を意味するフランス語。
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15秒の沈黙の後、ヴリアの冒頭でこの提訴の経緯について歯切れの悪い説明を行った訴人のMMFSSの<母方オジ>の放った発話は、同じことの繰り返しそれも自己の立場と利害の一方的主張に終始する訴人に対し極めて辛辣な表現および内容となっているが、それが上記で分析したようにこの時のヴリアの聴衆の「本音」を代弁していることは誰もこの<オジ>の発言を訴人以外にこれ以降遮らなかったことからも推測することができる。
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P-1: Inona moa ?
どういうこと?
A- 8:Io iada aminy raha iadan'i Geto(1) .
<おやじ>、そのことについての<ゲトのおやじ>のことさ。
Ady raha tsy maintsy misy resy foana rizareo
he hoy izy , ia . (hahaha 笑い)
ああ、彼が争い事はかれら(の間)に必ず敗者を生むって言ったのさ。(聴衆の笑い)
Tsy maintsy misy resena hoy izy , ia . (hahaha 笑い)
負けるほうが出るって彼が言ったんだ、ああ。(聴衆の笑い)
Aiza fananjoko aiza ?
いったい何処で終わるってんだ?
Ia . Io tsy maintsy resena foaña . Ary -
そうだ。争いには負けるものがいる。それに−
(1) <ゲトの父>を意味する、テクノニームに基づく個人名。 |
ツィミヘティ族社会において母の兄弟すなわち母方のオジはその甥に対し、日常生活において経済的援助や庇護を与えること、割礼において切除された包皮を飲み下すこと、儀礼において必要とされる牛を無償で提供することなどが期待されている。もちろん、この役割を第一に果たすべき人間は、男性にとって母の兄弟その人に他ならないが、その他の関係の類別的な<母方オジ>(13)でさえ、甥に対しなんらかの援助や庇護を与えることの期待が全く存在しないわけではない。したがって、発話者Aが訴人のMMFSSという関係にある<母方オジ>であることは、Aが訴人の立場や主張の擁護者や理解者でありうるもしくはあるべきとのいささかの含意であったとしても、A-7からのAの発話は完全にそれを否定し去り、あくまでも自己の勝訴をなりふり構わず求める訴人をあたかもムラの意見の代弁者として完膚無きまでに追い込んでいる感がある。
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F-12:Ia . Anao maloha -
そうです。あなたは最初に−
A-9:Anao naninona ?
おまえは、何だって?
同時発話ではないにせよ、一瞬の発話の間をついて喋り自己の話の腰を折る形となった訴人に対し、<母方オジ>は不快の色を隠そうとはしていない。
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F-13: Tsy hadio akao tsi'sy raiky resena ?
そこでは、一人も負けた者はいないことをお忘れでは?
訴人は、まだムラが問題の土地が相続地であるか否かについての裁決や裁定を下したわけではないのだから、この時点で自分が負けたとも姉が負けたとも言えはしないと述べている。しかしながら、ヴリアの冒頭から訴人の発言内容を聴いてきた聴衆にとって、この発話が訴人のムラの裁定を進んで受け入れることの態度表明と解釈することはほぼ不可能である。
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A- 10:zisok'any(1) . Iny izy tokony manakana ke
anjoby zisokan'ny tampony ? Miady an-fo .
行ってもいいんだぞ、あっちまで。そのことを止めるのが当然で、
誰がてっぺんまで(行くの)か?意地の争いか。
Alahady(2) baka any toy miakatra . Ataovy fa amabani-be akany .
日曜日にそっちで(起きたら)今日は提訴だ。
Resy anao izikoa ke resy avy fokon'olona na io ,
mandehana fokontany(3) kôndikeo anao .
そっちを一番下としてみよう。もしフクヌルナにおまえが負けたら、
それからおまえはフクンターニに行きな。
Resy koa anao , miakatra firaisana(4) .
おまえがまた負けたら、フィライサナに上訴だ。
Resy anao , mandeha fivondroana(5) .
おまえが負けたら、フィヴンドルアナに行きな。
Resy anao , mandeha minentana .
おまえが負けたら、下から上に行きな。
Resy anao , mbola misy namana foana hatrany hatrany .
おまえは負けても、まだ何処までもお仲間はいるぜ。
Ary izikeo misy resy foana anatiny jiaby .
それに、全ての(訴訟・裁判の)中に負ける者がいるんだ。
Ia , mazava toy korana toy .
ああ、これはあたりまえの話さ。
(1) zisoko は、フランス語のjusqu'a に由来し、「〜まで」の意。したがって、zisok'any は「そこまで」・「あっちまで」を意味する。
(2) このヴリアが開催されたのが月曜日のため、日曜日に問題が起きたら翌日の今日にはもう提訴だとの現実に則した皮肉が込められている。
(3) 第二共和制の下で法的に定められた最小の行政単位。フクヌルナがムラならば、フクンターニはさしずめ<行政村>に相当する。
(4) フクヌルナの一つ上の行政単位で、正式名称はfiaraisam-pokontany。<郡>に相当する。
(5) フィライサナの一つ上の行政単位で、正式名称は fivondronam-pokontany。<県>に相当する。ツィミヘテイ族の人間が、訴訟等で日常的に係わる行政単位は、このフィヴンドルナの段階までである。フィヴンドルナの上の行政区画には、faritanyすなわち<州>がある。
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もちろん、この訴人の<母方オジ>の発話は、訴人に対し上訴を勧めているわけなどでは決してない。「まだおまえたち<家族>ないし<親族>の間で話し合いを続けなさい」とのこのヴリアの場におけるムラの実質的な裁定に真っ向から、「姉はその土地が相続地であることを認めていないのだから、ムラはその土地が相続地であることを確認するか裁決するべきである」と執拗に異議を唱え続ける訴人への強烈な皮肉であることは論を待たない。訴人は徹頭徹尾ムラに裁定や裁決そのものを求めているわけではなく、自己の勝訴ないし自己の主張の追認をムラに迫ってきたにすぎないことは、ヴリアの聴衆の誰もが強く感じていたところである。先に述べたように、この訴人の論を受け入れるならば、ムラの成立する基盤は無くまたヴリアの開催さえ初めから無用である。<家族>内や<親族>内の問題や争いはその内部で話し合いによって解決することができるしまたそうするべきであるが、<家族>間もしくは<親族>間の問題や争いはムラという<家族>や<親族>を超える共同性を合意に基づいて設定することによって裁定や調停することの可能性を人は初めて手にすることができるというのが、おそらくツィミヘティ族の人々にとっての社会の原初でありまた核であろう。そのことは、かれらにとって、<社会>と翻訳することのできる単語 fiara-monina が<一緒に暮らすこと>ないし<共に生活すること>とが原義であることとも無関係ではありえない。さらに、ツィミヘティ方言には、<単独生活>ないし<一人住まい>を意味する jônñ という単語がある。この言葉は「独身」や「単身世帯」を指すと言うよりも、家屋が集まっている村(tanana )から離れて森や原野で暮らしている状態のことを指し、稲作農繁期の出作り小屋での生活は典型的なこの jônñ である。したがって、jônñ は fiara-monina ではなく、また fiara-monina の中にこの jono の占める位置はない。いわば、訴人がこのヴリアで固執し展開した主張と立場とは、fiara-monin のそれではなくまさに jônñ のものに他ならなかった。「勝手に上訴でもなんでも好きにすりゃいいのさ それでおまえが勝つとは限らないがな」との<母方オジ>の言は、自己と他者との関係性を視野に含み入れない訴人に対するムラの論理からの最終宣告であった。
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Q-1: Iny zavatra tampitra(1) ny hikorananareo .
これで、あなたたちが話す事柄は無くなった。
(1) メリナ方言で「終える」・「尽きる」を意味するtapitraのツィミヘティ方言における訛音形。
この後もヴリアそのものは話題を移して続けられたが、この訴人の提訴した相続地問題に立ち返ることはついになかった。
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この時のヴリアに参加したライ・アマンドレニ側からの、この訴人に対する事後の評価は “tiany tena mahagaga” 「驚くほど自分が好き」すなわち「とんでもない自分勝手」、「たいへんな利己主義者」というものであった。ヴリアの最中に終始訴人がとった態度が、<共生>(fiara-monina)としてのムラに鋭く対峙するものであったことは繰り返し各発話の分析において指摘してきたところであり、このような否定的言辞が訴人に下されること自体にはなんらの不思議もない。しかしながら、いくら訴人が若いとは言えツィミヘティ族の村の中で生まれ育って20有余年、その人間がトウモロコシの最適作期を目の前にした焦慮感に駆られてのこととは言え、かかる評価がやすやすと下されるまで自らの主張に固執続けざるをえなかったのはなぜなのだろうかと今一度問うてみることも無駄ではないだろう。ライ・アマンドレニとムラは、ヴリアの発話の中で既にそれが訴人の特徴であり<性格>に由来するものであるとの見方を示している。確かに、自分にとって都合が良いもしくは自分が望む裁決や裁定の言葉を聞くまで問題の提訴を続けようとする訴人の態度は、そのような見方を支持するに吝かではない。けれども、最後の最後まで、ムラと訴人との間で合意点を見いだせなかった事柄とは、実は「この相続地問題が<家族>・<親族>内の問題なのかそれとも<家族>・<親族>間の問題なのか」の一点ではなかったのだろうか。その後訴人が姉との間で畑と水田を分割しそれまで住んでいた姉と同じ屋根の家を出て自分と自分の妻と子供のための新しい家を造ってそこに住んだことを考えれば、このヴリアの時点においてはや訴人の視線からは自己と姉とは異なる<家族>であり、問題は既に自分の<家族>と姉の<家族>との間のことであることは即自的に何らの疑いもないごく当然のことであった蓋然性が高い。一方、ムラやライ・アマンドレニの視線からは、訴人と姉とはまだ同じ屋根の家屋に住み、何よりも二人は母は亡くなっていたものの同母キョーダイであり、両者を同じ<家族>ないし<親族>と一括することを否定するいかなる理由も見出し難かった。とするならば、この問題の<厄介さ>とは訴人の個人的性格に由来するというよりも、訴人が即自的に措定した<家族>の自明性の前にムラが対自的に措定した<家族>を対置することそのものの困難さであり、結局訴人はこの対自的な<家族>の範域を受け入れることができないという点で我執を公然化させてしまったのではないだろうか。それは、個人的性格に基づく我執という側面よりも、<家族>という家内的領域がムラという公的領域との構造的対比においてのみ存在しまたその具体的な境界を獲得すること、実体としての両者の区分は何処にも存在しないことから派生する我執であった。その証拠に、このヴリアの参加者は全員、訴人・姉・弟は言うに及ばず<祖母>・<母方オジ>・村長・最年長者・<オジ>も、単に関係名称で呼び合うだけではなく互いに親子・キョーダイという具体的な関係の連鎖によって結ばれた<親族>そのものなのである。もしムラが<親族>集団に立脚するものであるならば、またヴリアが<親族会議>という性格のものであるならば、訴人が位置する自らの<家族>と訴人が同時に所属する<親族>とは何処でどのようにして分断されまた誰がそのことを認定するのであろうか。確かに、ヴリアの発話の中ではしばしば関係名称に基づく呼称の使用がなされていた。<兄さん>と<弟>、<父さん>と<子供>、<お母さん>、<母方親族>そしてライ・アマンドレニという<父と母>、これらの用法はムラもしくはヴリアが対等もしくは平等な成員同士から構成されているどころかその内部は常に上位者と下位者・優位者と劣位者という非対称な二者にはっきりと区分されていることを示している。しかしながら、M-4の<村長>の発話の中で、<兄さん>という呼称が用いられていることに注意を向ける必要がある。この時村長は48才、10人の子供と8人の孫をもつ、ライ・アマンドレニの名に全ての点でしっかりと値する社会的条件を備え、さらにこのヴリアの出席者の中で自分よりも年長者はEの男性ただ一人であった。その<村長>でさえ、ヴリアの聴衆に呼びかける際には、<弟>ではなく<兄さん>の呼称を敢えて用いているのである。したがって、ムラやヴリアにおける成員の非対称性とは、親族内の系譜的関係や世代的位置づけに基づいた絶対的なものではなく、人がムラやヴリアに対し発言者や訴人として向き合った時に発動される相対的なものであるということに他ならない。そのことは、ムラを構成する大半の成員が親族関係を持つにもかかわらず、それらの人々と親族関係を持たないムラの成員が存在するだけではなく、そのような非親族成員も結婚し子供と孫を持つならば立派にライ・アマンドレニと呼ばれまたヴリアでは<父さん>や<兄さん>と集合的に呼びかけられる対象として扱われることにも示されている。このように、ムラとヴリアとは、その内部の成員の親族関係の在り方のいかんにかかわらず、<家族>や<親族>を離れた位相に当初から成立しているのである。しかしながら、このムラとヴリアの<家族>や<親族>からの超越性は、その土地に最初に定住し水田を拓き、村を作り、そして墓を設置した人間とその集合的な子孫たち、すなわち<土地の主>( tomon'tany )(14)、と親族関係を持たない人々をもその成員とする最大値の点を別にすれば、最小値の点が何処から始まるのかは誰にも予測はできないしまた共通の合意さえもないのである。そしてこのことが、おそらく訴人の我執の根源であろう。このヴリアの時点では、ムラ側の「訴人とその姉とはまだ一つの<家族>ないし<親族>であり、ムラでの討議や裁決には馴染まない」との声が訴人の声を圧倒したが、全く同じ関係が次には当のムラによってその<家族>や<親族>に対する超越性を発動するに十分なものと見なされる可能性が存在する点を、見逃してはならない。住む家屋も水田も畑もことごとく分離され、話中のMMFDの<祖母>も亡くなった2000年の現在、仮にこの訴人と姉との間に再度もめ事が生じムラの集会に提訴された際には、これを両者の<家族>内での話し合いに差し戻すとの意見の方が、今度は逆に少数派であるに違いない。したがって訴人は、自己と姉との間の関係について少し未来を見過ぎ、また自分たちとムラとの関係について他の村人よりも少し実体論者だけであっただけにすぎないのかもしれない。
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