(1) 発話者は、このヴリアの最年長男性。当時、<村長>よりもこの60代後半の男性が、そのtsotraすなわち「付き合いやすい」と評される性格ゆえにライ・アマンドレニないしズキ・ヌルナ層のまとめ役ないし代表と目されていた。
(2) メリナ方言のnoないしmankoやmantsyに相当する、ツィミヘティ方言における強勢の助詞もしくは副詞(Faridanonana 1977 p.15)。
(3) メリナ方言で「だから」・「それで」を意味する接続詞kaのツィミヘティ方言における訛音形。
(4) 発話者は、訴人。ここで初めて訴人が、発話した。
(5) zokyは、話者よりも年長の人間を男性と女性の区別なく指示する単語。関係名称として用いられる時は、<兄さん>もしくは<姉さん>の意になる。A-3が最後に<あなたの子供>と自分を表現し位置づけていることとちょうど対の形。ライ・アマンドレニ達に対して、まだ若い訴人が<兄さん>とその年長性を確認している。
(6) ツィミヘティ方言で、米を作る水田と焼き畑以外の野菜や果実やサトウキビやサツマイモ・マニオクなどの芋を栽培する土地を指す(Faridanonana 1977 p.124)。牛の侵入を防ぐ柵に囲われており、この土地は、耕作中に限り用益権が認められる焼き畑地と異なり、相続の対象となる。
  訴人の<母方オジ>の陳述を受け、ライ・アマンドレニ層を代表する年長男性もまた、この係争事項は訴人とその姉の間で話し合われる事柄であることを、いささか婉曲に述べている。これに対し、訴人自身が初めて不満を爆発させるように口を開くが、「姉との間で話し合いを続けるべき」との先行の二人の発言に対し怒りに近い感情を抱いたことは、a.年長男性の発言が終わるのを待たずに同時発話を行った b.「そんな裁定を求めているんじゃない」と前者の発言内容を直接に否定する言葉を使用した c.問題とムラ、二カ所で吃音した 以上三点に明確に示されている。メリナ族ほど公的場における婉曲語法や謙譲語法を発達させていないツィミヘティ族にあっても、この訴人の発話形態および発話内容は、“tsy manaja oloña” すなわち「人を尊敬していない」体のものとしてヴリアの場に居合わせた人々によって共通に受け取られた可能性が高い。一方訴人にとってこの段階から既に、姉との間の畑の相続分割争いとは、ムラによって裁定や調停がなされるべき自明の事柄であるとの自己の考えに揺るぎがない。
G-1:Eehen , ny zavatra mihamahagaga tamin'izikeo dia sarotra .
   いいや、その時からますます驚いた問題は厄介だ。
Anao mandratra ampirahavana(1).
おまえは親族関係を傷つけたんだ。
Iny tsy ataon'ny oloña atao manana ampirahavana
izy iny mo(2) atao amboriana .
Ke inze:::ny izany mandratra ampirahavana izay .
それは(すなわち)親族関係を持つ者たちのようにせずに
(人を)招集したことだ。だからそれによって
親族関係を傷つけた。がしかし、問題は争いを耳にしたことだ。

Kanefa dikany mahareñy sôsotra(3) . Aleoko fa mpaka ady ,
tsy maintsy ho sosotra hely(4) avakeo ho milamina .
私ならば争いを引き受けることの方を選ぶ、(なぜなら)しばらく
ごたごたするに違いないがそれからは静かになるからだ。

Aiza mahaisarotra zavatra vita izy io ?
ますます厄介になる問題を終わらせるにはどうしたらいいのか?
Re mañato(5) tsy atao fihavanana mo atao amboriaña .
(おまえは)親族関係をとるよりも(ヴリアを)招集することを好む。
Io boko(6) tirainy maha-izy amobori-be fañao .
それが引き起こした結果、集会の開催というおきまりだ。
Ny olaña avakeo . Mañadala . Izany mahaisarotra vita izy io .
これからも問題(が続く)。バカなこった。だから、解決が一層困難になるんだ。
 
(1) havanaの語根に由来する単語。havanaは、自己を基点に親子関係およびキョーダイ関係によって結びついた全ての人々を指示する。ampirahavanaは、havanaと指示する対象および範囲に違いはないものの、<親族関係にある人びと>の意で、「親しい間柄の仲間」の意をもつ havana よりも、さらに一層親族関係の部分に強調がかかっている。後に出てくる fihavanana は、<親族関係>という関係そのものを指示する。
(2) メリナ方言の fa に相当する、ツィミヘティ方言における逆接を表す接続詞。 (3) 「静まっていない」・「混乱している」の意のツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.103 )。
(4) メリナ方言のkelyすなわち「小さい」・「ちょっと」を意味する形容詞ないし副詞のツィミヘティ方言における訛音形(Faridanonana 1977 p.38)。
(5) 「盛んにする」・「好む」の意のツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.71 )。
(6) 「打撃」・「一撃」・「殺し」の意のツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.19 )。
   先に述べた訴人のいささか感情に駆られた<不敬>とも思われる発話に対する、ライ・アマンドレニ側からのこれもまた直接的な内容による反論である。ここでは、訴人の証人であるAおよび最年長者であるEの発話内容よりもさらにはっきりと、訴人の抱える問題が具体的に指摘されている。すなわち、ムラの集会であるヴリアに争いを提訴したり持ち込んだりすることは、<親族>や<親族関係>と対立しあるいはそれを損なう行為であるという視点である。なぜなら、<親族>や<家族>の家内的領域とムラという公的領域とは異なる位相に属するものであり、ある争いやもめ事や問題が当該の<親族>や<家族>の内部の話し合いで決着できないためにムラの集会の場に持ち出された場合、そのことは両当事者がそれまで存在した<親族>や<家族>の関係の断絶や切断を相互に確認し公示することに他ならないからである。<家族>や<親族>関係という家内的領域に含まれない者同士の間に存在する共同性こそが、ムラの置かれている公的領域の位相である。後にも述べられているように、同母キョーダイの土地相続争いは依然として<家族>や<親族>内での問題であるというのが、訴人を除くこの時のヴリアに参加していた大方の人々の考えである。
F-2:Izikoa(1) arahina ohatry ny nitenenan'ny dady(2)
zany tsoko(3) tsi・tsi'sy zany hono zany efa .
   もし<祖母>の言ったことの通りなら、これまでに述べたことは
   無かったところです。

Safe (4) dady , “andraso” , hoy izy mba mbola misy
raha atao no malôha(5) izy mbola lôsô .
すなわち、<祖母>は、まだこれからやることがあるので
出かけるから「待って」と言ったんです。

Nitenenin'ny dady dade(6) . Lambilamby(7) teña .
Izy avy , avakeo・keo mahamandinika reha
anontaniana ambolena azy zany , hoy izy dady .
<祖母>が言ったことなんです!残されたことがあるんです。
<祖母>が戻ったら、それからその土地を耕作することについて
問われたことをよく調べてみると<祖母>が言ったんです。

“Ia” , hoy izy . Asa , afaka・afaka herinandro hisy izy ?
Plus tard(8) . Izikoa dady mbola tsy akeo eh .
「そうだ」と言ったんです。はっきりしないけれど、
一週間後には彼女は帰っているでしょう。

Zoky dia tao , zoky Safia(9) . Izaho tsy teo , toy izaho nandeha .
Izao reha vantana , ingahy . ( 3秒 ) Izy efa milaza hoe ,
“lova raha jiaby(10) akao ambon'ny viloño ihony” .
遅くとも。<祖母>がまだその場にいない時、
姉はその場に居た、姉のサフィアです。私は出かけていたので、
その場には居なかった。

Io tsy laniny・tsy lany izi-eo tao taminazy . Rizareo mahareñy teñy .
Efa dady teo , mbola ho avy izy ,. avakeo hifidy reha omeña
tany hanaovañao tsakotsako(11) voalazanazy zany . ( 4秒 )
みなさん、これは急を要する問題なんです。(3秒)
<祖母>は既に「その土地は畑以外も全て相続地だ」
と言っているんです。

Izy nañao hoe , “ lova viloño jiaby ” . Izany tsy lany zoky .
Izy tao . ( 3秒 ) Izaho tsy tao taminy izany . Sa tody zaho ?
Iziteo tsoko andrahabe eh .
そのことを姉は認めていないんです。
姉たちは(その<祖母>の)言葉を聞いているんです。

Ah , mbola ho avy izy , hoy izy dady ,
avakeo kifidiana omeaña(12) anao famboleaña tany
tsakotsako , hoy zany dady . Izany voalazany .
“Mangataka tany amboleaña tsakotsako ” , hoy izy.
その場に<祖母>が居た時、「まだ戻ってくるから、
それから言っていたトウモロコシを作る
土地を与える件を決めよう」と(言った)。(4秒)
 
<祖母>は、「畑は全て相続だ」と言ったんです。そのことを姉は認めない。姉はその場に居たんです。(3秒)その時、私はその場に居なかった。それとも私が戻っていたとでも?その時、もう少しで(耕作が)始まるところだったんだ!ええ、彼女はまだ戻ってくると言っているんです、「これからトウモロコシを植える土地をおまえに与えることを決めよう」と<祖母>が言っているんです。それが、<祖母>の言ったことです。「トウモロコシを植える土地を要求する(ように)」と彼女が言っているんです。

 
(1) メリナ方言のrehefaもしくはrahaに相当する「〜する時」や「〜ならば」を意味するツィミへティ方言の接続詞ないし副詞( Faridanonana 1977 p.42 )。
(2) 親族関係にある+2世代の女性を指示する関係名称。<祖母>と訳出しているが、訴人との関係はMMFDにあたり、訴人および係争中の姉とは一つ屋根の下の家屋に暮らしている。
(3) メリナ方言のsaikaすなわち「〜するところだった」・「ほぼ〜」に相当するツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.121 )。
(4) フランス語のde ce faitに由来する単語。「従って」・「以上によって」の意。
(5) malohaないしmalohaka。メリナ方言のalohaに相当し、「始めに」・「前に」の意(Faridanonana 1977 p.69)。
(6) 単語もしくは文全体を強調するツィミヘティ方言の間投詞。
(7)  lambyは、メリナ方言のambyもしくはsisaに相当し、「余り」・「残り」・「その他」を意味するツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.61 )。lambilambyは、lambyの重畳形。
(8) 「遅くとも」を意味するフランス語。
(9) 訴人の異父同母姉の個人名。
(10) メリナ方言のrehetraないしdaholoに相当するツィミヘティ方言。「全て」・「みんな」を意味する形容詞もしくは副詞( Faridanonana 1977 p.45 )。
(11) トウモロコシを指すツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.115 )。
(12) メリナ方言で「与えられる」を意味するomenaのツィミヘティ方言における訛音形。
  途中3回の間を入れての訴人の長い発話であるが、内容的には「<祖母>が、帰ってきたら問題の土地は相続地だから訴人にも分け与えるよう計らおうと姉に言い置いて出かけて行ったが、姉はそのことを認めないままである」ことの繰り返しである。この時のヴリアに出席した訴人以外の誰もが、それならばその<祖母>の帰りを待って訴人と姉の三人で話し合うのが当然であり、なぜ訴人はそうできずにヴリアの場に訴えたのかと思ったとしても不思議はない。それに対する訴人自身の思いは、おそらく発話途中の「これは急を要する問題なのです」という言葉に込められている。すなわち、トウモロコシの作付けは、乾季も終わる頃一番最初の雨が降った後に一斉に行われ、それは例年10月の末から11月にかけてであり、このヴリアが10月の13日に招集されているということは、訴人は早急にトウモロコシを栽培する土地を姉から分与されないとこの年の作付け時期を失してしまうという焦慮感に突き動かされていたことは確実である。ちなみに、ツィミヘティ族の主食は米であるが、成長の早いトウモロコシは11月上旬に播種すれば1月末から2月には収穫が獲られ、米の端境期である1月から4月にかけての重要な副食ないし主食となる。しかしながら、この訴人の焦慮感は、<家族>や<親族>の頭越しに問題をフクヌルナに持ち出す事由として他のヴリア参加者の共感を呼ばず、ライ・アマンドレニたちからのより厳しい発話を招くことになる。
E-2:Ia , izany baka marina . Ary anao inona moa io miresaka ?
Ary io ohatry kibo raiky(1) rasaiña (2)?
   ああ、それは間違いないだろう。でおまえは何が言いたいんだね?
   例えば同母キョーダイが(相続を)分割するってことかい?

Tsy mba afa-marina loatra reha ny korañanao(3) zany ?
Ia . Izany baka tsy tokony hamboriaña izahay eky(4) .
おまえの話たことは当然ではないのかい?
だからだね、私たちを招集しないでおくれ。

Aleo afa-mahavita azy . Eto ny oloña kibo raiky ,
oloña irery , reny raiky .
その問題を決着させておくれ。ここには、
同母の人間、すなわち一人の母の一人の人間がいるんだ。

 
(1) kibo raiky の直訳は<一つの腹>、すなわち同母キョーダイを表し、メリナ方言ではiray tampo に相当する。これに対し同父キョーダイは、 baba raiky もしくは iada raiky すなわち<一人の父>と称する。ツィミヘティ族にあっては、異父同母キョーダイと同父異母キョーダイとでは、異父同母キョーダイに遙かに強い感情的また社会的繋がりを認めている。父が亡くなり、異母キョーダイ同士が残された場合、相続財の分割は同母キョーダイを一つの単位として、先ず均等に分割される。
(2) 「切る」・「切り分ける」の意から転じて、ここでは土地などの相続財を分割すること。
(3) 「会話」・「言い方」などを意味するツィミヘティ方言で、メリナ方言のresaka・dinika・filazana・fitenenana に相当する( Faridanonana 1977 p.58 )。
(4) メリナ方言のreないしlahyに相当する、ツィミヘティ方言の強勢もしくは強意の間投詞( Faridanonana 1977 p.27 )。
  ヴリアの参加者を驚かしめている「<家族>や<親族>を傷つけている」ことの内容がさらに詳細に、一番の年長者の口を通じて語られている。すなわち、訴人と係争相手の姉とは異父とは言え同母キョーダイだということである。離婚や再婚あるいは未婚の出産の珍しくないツィミヘティ族社会においては、異父同母キョーダイおよび同父異母キョーダイ関係が数多く存在するが、同父異母キョーダイよりも異父同母キョーダイにはるかに強い社会的また感情的な繋がりが認められる。離婚や再婚に際し、乳幼児は母親と行動を共にすることが普通であり、父が亡くなり複数の妻や女性との間に子供をもうけていた際には、その財産は二人の女性なら二等分に三人の女性なら三等分に均分されそれから同母キョーダイの間で分割されるのである。したがって、同父異母キョーダイ同士ではその父親が亡くなると稲作における協力関係も速やかに解消されるのに対し、異父同母キョーダイ同士では母親の死後もそのような協力関係が継続されることさえ存在する(12)。このようなツィミヘティ族社会の人びとの感情に照らした場合、訴人とその姉が同母キョーダイ同士でありなおかつ現在部屋は異なるとは言え一つ屋根の家屋で生活しているにもかかわらず、相続地問題をキョーダイ同士の話し合いで解決できないことは驚き以外のなにものでもない。これが、異母キョーダイ同士の相続争いならばごくありふれたことであり、自ずと村人の問題を討議する姿勢も異なったことであろう。さらに、問題の鍵を握る<祖母>がほどなくして戻ってくるにもかかわらずであり、となればいくら訴人一人がトウモロコシの作付け期を前にしての焦慮感に駆られていたとしても、「ヴリアの場への提訴が<親族関係>を傷つけた」とのG-1の発話内容は一個人の考えに留まるものではなく、その場に居合わせた聴衆の共通の確信に他ならないことは明白である。
F-3:Satria zaho manamarina teny ny vilaninao zany ,
zoky dada eh . Izaho tsy manaraka dady .
   <兄さん>・<父さん>、あなたたちがそれについて
   述べたことを私は認めます。私は<祖母>に従わない。

Tahaka zany koa . Tanimbary , anao mahazo .
そういうことですか。水田、あんたは得ていると。
Ary aiza izikeo ifidianako ataonao nitenenana zany,
zany tsy lanin'ny zoky .
じゃあ、あなたたちはその問題について
述べられたことをこれから私が選択しろと、

Mamory fokon'olona mo fokon'olona tsoko atao lovan'ny
zoky , viloño io . Mamory fokon'olona , anao zoky ,
izikoa ataonao lova zany .
(でも)姉はそのことを認めていないんです。ムラを招集したけれど、ムラはその畑を姉の相続地だと決めようとしたじゃないですか。あなたたち<兄さん>、あたなたちがそれを相続地だとするなら、ムラの人びとを(何度でも)招集します。
  録音テープ上では、訴人の興奮した口調が際だつ発話である。しかし、ここで訴人は、ヴリアの聴衆に対し決定的に不利な心証を与える発話を行っている。それは、<兄さん>や<父さん>と呼びかけライ・アマンドレニ層を年長者に自己を年少者と位置づけることによってムラの共同性や権威の構図を受け入れる発話の形をとりながら、先の最年長者の発言に感情剥き出しの反論を加えたことであり、さらには問題の土地が姉の相続地であるとムラが裁定する限り何度でもムラに提訴しヴリアを招集すると言い放ったことである。いずれの発話と発話内容もムラおよびライ・アマンドレニ層に対する挑戦を意味しているが、とりわけ後者の「自己にとって有利な裁定が下るまでは提訴を繰り返す」との態度は、それらの否認や否定になんら異ならない。フクヌルナというムラの共同性やライ・アマンドレニの権威とは、<家族>や<親族>の内部にはない<家族>と<家族>、<親族>と<親族>との間の問題をムラという公的領域の位相に一旦投げだし、そこでの討議結果を受け入れる往還的了解の過程にこそ存在する。したがって、もし訴人がムラやライ・アマンドレニによる討議や裁定に自己の立場や主張に対する利益を事前に見出し措定しているとするならば、それはこの往還的な了解と承認の過程の図式を当初から否定していることになる。この訴人の発話に続いて、ライ・アマンドレニ側から厳しい意見が続出したことは、けだし当然である。しかも、訴人は同母キョーダイ同士の問題をなぜムラが話し合わなければならないのかとの問いに、依然として答えていないままなのである。
H-1:Oh , zandry(1) eh .
   おおい、<弟>よ。
 
(1) zoky<兄>・<姉>に対する単語。キョーダイ関係の中では<弟>もしくは<妹>の意だが、自己よりも年少の者に対する指示や呼びかけとして広く用いられる。
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