III.1986年10月13日の集会の会話資料と分析

  資料を提示し分析する前に、この時のヴリア、<ムラの集会>、で討議された事柄の概要を簡単に述べておく。ヴリアの場における問題の採決を求めた訴人は、20代半ばの男性である。問題とは、訴人がトウモロコシを作付けるための土地を母親からの相続地として分割することを同じ村内に住むその異父同母キョーダイである姉に求めたところ、姉は当該の土地は母親からの相続地ではなくしたがって訴人に分割する必要はないと拒絶したことである(10)。訴人自身は、問題の土地が母親からの相続地であり姉は自分にその畑を分割して用益させるべきであることをムラが裁決してくれるものと思いこんでいた。しかしながら、この時の集会に集まった人びとは、姉を含めた<家族>内での話し合いを尽くす前に問題を性急に集会の場に提訴した訴人の安易なやり方および自身の勝訴の裁定を手に入れるまでヴリアでの討議を続けようとする訴人の利己的な態度に不快感を示し、いわば門前払いのかたちで訴人の訴えをキョーダイ同士の話し合いに差し戻したのである。この時のヴリアは、女性の参加を招集しない形式で開かれ、また参加した人数もライ・アマンドレニ層の<年長男性>を中心に20名にも満たない少人数であった。しかしながら少人数とは言え集会のふれが事前に村内中になされ(11)またその場には<村長>および最年長男性の一人も参加していることからも、この時の集まりが単に人びとが寄り集まった日常のお喋りではなく公式なヴリアであることにいささかの疑いもない。
A- 1:Izaho mandravaka tsy lava resaka .
    私は長い飾った話しはしない。
Ny olana izikeo teña sarotra . Ary ohatriny rizareo roa
これからの問題はとても厄介だ。というのもかれら二人が
mazana tsy lava resaka misy zany .
ふだんちゃんと話し合っていないからだ。
Voalohany maloha , misy fara teo maha-izy azy donko(1)
最初に、いつものように最後の言い争いがあってから
avakeo izy mandry ziska(2) izy ao . Ahafantaran'ny olona mizaha io .
現在まで静まっている。人が見ておわかりの通り。
Faharoa manaraka , ahan(3) , izy manao na ・・・・・.
第二に、いや、彼はするあるいは・・・・。
Izany nanontany tao tsika , Zaman'ialanana(4) , chef(5) , niaraka .
ザマニ・アラナナと<村長>と私たちが一緒の時、
Inona ny dikany teny , hoy zaho taminy chef taminy
そこでそのことを質問したんだ。その言葉の意味は
tsika niaraka avy tany , avy taminy ・・・
どういうことだと私が<村長>に言ったんだ。私たちが一緒に
・・tsika natomony , izaoby izy ?
・・・・から来た時に。私たちに近づいてきたのは誰だっけ?
 
(1) フランス語のdoncに由来し「だから」「それゆえ」を意味するメリナ方言のdonkoないしdonkyと異なり、ツィミヘティ方言のdonkoは「おそらく」「たぶん」など推量・推測の意を表わす(Faridanonana 1977 p.24)。
(2) フランス語のjusqu'aに由来する単語。「〜まで」の意。
(3) メリナ方言のaanに相当するツィミヘティ方言の否定を表す間投詞。
(4) テクノニームによる個人名。<砂の母方オジ>が直訳の意。
(5) フクヌルナのchef de villageを指す。ここでは役職名としてよりも、その役職にある個人の指示として用いられている。
  ヴリアの進行は、およそ次のような順番を踏む。先ず<村長>からヴリアを招集した理由や主旨の説明があり、その後先述のライ・アマンドレニやズキ・ヌルナと呼ばれる年長者たちが再度理由や主旨を確認しまた意見や感想を披瀝する。それが終わってから、採決や調停を求める争い事の場合には、訴人がそれについての詳しい陳述を行う。訴人の陳述が終わると、争い事やもめ事の他方の当事者に陳述の機会が与えられる。続いて、訴人や相手方に対し、ヴリアに参加した人々からさまざまな質問や証言などがなされる。最終的にフクヌルナとしての採決や調停が下される場合には、その討議の間、訴人とその相手方はそれぞれの<家族>と共に一旦その場から離れることを求められる。最後に両者が呼び戻され、<村長>ないし年長者から討議の結果が伝えられる。
  この時のヴリアでは、訴人自身が係争中の事柄についての陳述を最初に行うのではなく、訴人のMMFSSすなわちツィミヘティ族の関係名称上は<母方オジ>にあたる30才代の男性が、最初にヴリア招集の理由についての陳述を行った。<母方オジ>が訴人自身に先だって陳述を行った理由は、a.<母方オジ>が訴人と姉との畑の相続争いの話を他の人も聞いている場に居合わせたため、証人としての役割を果たすことができる b.訴人が結婚しているとは言えまだ20代半ばと若い上に子供も無いため、結婚し当時既に5人の子供をもうけていた<母方オジ>が代弁者として適任である c.<母方オジ>の家屋は訴人および係争対象のその姉の居住家屋に隣接し、日頃から付き合いがあるため、訴人とその姉との会話や言い争いを知る可能性がある d.係争の焦点は土地の相続であり、訴人のMMFと<母方オジ>のFFとは同じ人間であるため、当該の土地の相続関係について詳しい経緯を知りうる立場にある 、以上の四点が村人によって考慮されたことによるものである。
B-1:Zaman'iPiso(1) .
   ザマニ・ピスだ。
 
(1) A-1の(4)と同じく、テクノニームによる個人名の指示。<猫の母方オジ>の意。ツィミヘティ族では、子供が幼児期病弱や虚弱な際に、犬・猫・鰻・コオロギなどの生物の名前を呼び名として与える習慣があり、そのような呼び名が与えられた子供のチチやハハやオジやオバに対してはその呼び名を加えたテクノニームが用いられる。
A-2:Natomory Zaman'iPiso ? Tsika fanjoko(1) voholefo(2) ireny .
   ザマニ・ピスが来たんだっけ?その時私たちはヴフレウ池の前にいた。
Nanazavany ary hoy izy , “ misy ombilahy ” , hoy izy ,
彼が説明して言った、「牡牛六頭がいて、そこに行くところだ」と、
“enina” izy handeha any , dianazy .
それが彼の用向きだと。
 
(1) ツィミヘティ方言で、「〜の前で」・「〜の向かいで」・「一列に並んで」・「面と向かって」を意味する(Faridanonana 1977 p.23)。
(2) ムラの領域内にある池の名前。
C-1:Hoon , ja , azoko hono .
   ああ、うん、言うことはわかる。
 
A- 3:Ja , dikan'ny teny , hoy zaho . Izany hoe ,
   ああ、言葉の意味はと私が言ったんだ。
tantara entina izy entina . Asa izy ・・(1)・・ao
すなわち、彼が語ったことさ。さあ、それはそこで・・(1語)・・ああ
karaha tantara mamory raha , eh . Eo le fanomezana
ちょうどいろいろ寄せ集めた話のようだった。その場に居合
didy amin'ny lefa toerana izany tsy afaka
わせたことで(話すことになる)羽目になったが、
zaho minenana be izy . Izany dia mahazatra , oh ,
私はそれについてあまり語ることはできない。
fe manazava izy . Tsy afaka zaho hanazava izy
私は、彼等がそれぞれするようにあるいは
io ohatry ny ninenana na sambo(1) hanao rizareo
語ったようにそれについて説明することは
lany na ・・(1)・・na izaho tsy afaka , na
できないし、・・・・あるいは
nohon'ny angovavy(2) akao . Ary izany hitanareo
あそこの<オバ>のようにはできない。
tokony tsy afaka zaho . Izikoa raha ohatra misy
したがって、みなさん私ができないことは mahavita minenana ohatra akeo , izany tena tsara ohatry
おわかりだろう。もしそこでのように
ny teny iada-hely(3) . Ny zavatra tokony
喋り終えるなら、<オジ>の言ったように
mbola ho vita sambo adaraño(4) . Manjary vareraka ary
できるなら大変良いのだが。これはまだ
io ohatry ny vola(5) izy io , ma(6) , maro ,
それぞれの家で解決すべき問題だ。
karaha maro talohaka izy io . Ny vola dia miady
開いた口がふさがらないし、そこでの言葉ときたら、
miasa izikeo , isaka maro . Ary ataonao
ああ、以前と同じようにたくさんとくる。というわけでみなさん、
avakeo izy iny mbola reha(7) nihin'ny fokon'olona(8) ve ?
これからそのことをまだムラの問題と考えるんですかな?
Mandry zanakao(9) mandehadeha
あなたたちに言葉を連ねた<あなたの子供>は、
volanao .
これで終わります。
 
(1) メリナ方言で「それぞれの」を意味するsamy のツィミヘティ方言における訛音形。sambo もしくは samby と発音される(Faridanonana 1977 p.98)。
(2) FMやMMなどを指すツィミヘティ方言の関係名称で、<女であるチチ>の意
(Faridanonana 1977 p.12)。この文脈では、訴人およびその姉双方の母の母の妹すなわちMMFDの女性を指し、訴人と姉はこの女性と部屋は違うものの同じ屋根の家屋で生活している。
(3) 自己の父よりも年少のFBやFFBS等を指すツィミヘティ方言の関係名称。<小さなチチ>の意。この文脈では、Aの男性よりも年長の男性を指す、敬語表現として用いられている。
(4) メリナ方言において「家で」・「家の中で」を表すan-trano のツィミヘティ方言における訛音形。この場合のtrano 自体は、「家屋」の意。
(5) メリナ方言における volana 「言葉」に相当する単語。 volana もしくは volana と発音する(Faridanonana 1977 p.126)。
(6) ツィミヘティ方言で多用される間投詞。驚いた時もしくは否定の感情をともなった際に発せられる。
(7) reha もしくは raha 。メリナ方言の zavatra に相当し、「もの」・「こと」あるいは「霊」「物の怪」の意。この文脈では、「問題」の意。
(8) nihiny は、メリナ方言の an に相当するツィミヘティ方言で、「〜のもの」・「〜の所有」を表す(Faridanonana 1977 p.83)。
(9) <あなたの子供>は、zanakaoの直訳。ヴリアに参加しているライ・アマンドレニ<チチとハハ>と呼ばれる戸主層の人々ないし年長者達に対し、発言者が「自分はまだ子供にすぎない者だが」と謙譲による敬意を示している語法。上位者をチチと置き、自分を子供という劣位者に置く、ムラ内における上下関係を親族関係内部の優劣関係に準える構図に注意する必要がある。
  訴人に先だってその<母方オジ>が陳述を行ったものの、それはヴリアを招集したことの理由の開示というよりも、自分が陳述を引き受けるに至った理由といかに自分が訴人の訴える問題を具体的に述べるにはふさわしい人間ではないかとの弁解に、この一連の発言は終始している。冒頭の発話の部分で既に、「<家族>同士で十分に話し合われるべき問題をなぜムラとして討議しなければいけないのか」というこの時のヴリアそのものに対する忌避感ないし嫌悪感が率直に示されている。その感情は、manjary vareraka すなわち「開いた口がふさがらなくなる」というかなり強い否定表現の言葉に集約されている。
D-1:Manaraka izany , tsy afaka vola ataon'zany .
   その次に、そうは言えない。
 
  A−3の「ムラの問題と考えるのか」との問いかけに対する、応答の発話である。
 
A-4:Karazany zavatra mahaisarotra(1) toy manjary (2) .
   このことは、一層厄介になる性質の問題だ。
 
(1) ツィミヘティ方言のmahai-は、メリナ方言の「より一層〜になる」を表す接頭辞miha-に相当する( Faridanonana 1977 p.67 )。
(2) この文脈におけるmanjaryは、「結果」・「収穫」の意のツィミヘティ方言( Faridanonana 1977 p.74 )
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