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(1)1903年および1938年に出版された雑誌の中では、jaoと呼ばれる共食慣行が報告されている。それによれば、夕食時には、各戸で煮炊きされた飯とおかずを持って人々は村長の家に集まり、そこで男女が別々に共同で食事を摂ったとのことである(Tralboux 1903 p.228 , Mattei 1938 pp.137-138)。現代では、日常生活の中でこの慣行が行われることはないが、冠婚葬祭の際の共同の炊飯と食事にその名残を認めることができる。
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(2)葬儀において、喪家に対し贈られるお金や籾米などを指す。直訳の意味は、「税ではない好意」。その際、喪家側は贈り主の名前と贈られた物とその量をノートに記載する。ムラ内からの贈与主については、個人名ではなく個人名+フィアナカヴィアナ、すなわち「誰それの家族」と記載されることが多い。その場合は、記載された人名の人物が、自己の家族や親族からそれらのお金や物をとりまとめて集め、贈っている。
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(3)<ムラ八分>は、原語では ariam'pokonolona 、すなわち「ムラに捨てられる」の意。<ムラの決まり> (dinam'pokonolona) に対する意図的悪質な違反者および殺人・邪術などを犯した人間に対する、ムラの制裁方法の一つ。ムラの集会である voria において決定され、<ムラ八分>の対象とされた人々とは、ムラの側の人間は日常の挨拶を除く一切の付き合いおよび協力・援助を行わない。かつては、制裁対象者の居住家屋や作物を破壊し、暴力的にムラからの退去を迫ったこともあったと報告されている(Molet 1956 pp.191-201)。
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(4)ここでのムラはツィミヘティ方言の fokon'olona 、<家族>は fianakaviana ないしtokan'trano に対する訳語として用いている。fianakvianaは親−子関係を軸とした家族的なまとまりを、tokan'tranoは夫婦とその未婚の子女を中心とした世帯をおおよそ指示する。しかしながら、それぞれの単語が相互に排斥しあう独立の領域を指示するわけではなく、指示する関係や領域は脈絡によりかなりの可塑性をもって用いられるため、これらの単語をまとめて<家族>ないし<家庭>などの家内的領域を指すものとする。
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(5)社会学の分野においても構築主義の立場から次のような視座が、近年提示されている;「私たちの世帯の私事についての認識は、家族的なものに対する、はっきりとした公共的な関心から生まれる。この関心は、家族の言説に明確に見られる。私たちは、他の世帯の個々の特徴と比べて自分たちの家族生活はこうだという。私たちは、自分が「家庭では」本当はどんなふうにしているかをほのめかし、それを他人から見てそう見える自分とを対比させる。プライベートな世帯は、家族的なものについての公共の言説を通じて、目に見えるものになるのだ。同時に、公共の言説は、家庭生活にプライバシーを付与して、公衆の目を家庭と家族から締め出す。私たちが家族生活と連想する個々の具体的事実がどんなものであるにせよ、私たちは、お互いに提示しあうものについての方向づけを共有している。家庭生活の記述に関する文化はそうしたものなのである」(J.F.グブリアム・J.A.ホルスタイン 1997 308頁)。
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(6)ヴリア( voria )とは、「集まった、集められた」を意味する vory の命令形、すなわち「集まれ」に由来する(Faridanonana 1977 p.126)。
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(7)<邪術>(mosavy)については、拙稿 1988 を参照。
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(8)ray aman-dreny の直接的意味は「父親と母親」、zokin'olona の直接的意味は「人の兄」ないし「人の年長者」である。
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(9)現在教員2名は政府から派遣されているが、校地・校舎・教員住宅はムラ側が提供しその管理を行っている。政府からの派遣教員が1名だった時期には、他の1名をムラ側が給与を支給し雇用ていたこともある。
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(10)ツィミヘティ族の慣行によれば、水田であれ畑であれ親や祖先からの相続地である場合には、キョーダイ間で用益権の均分割がなされなくはいけない。自分自身がフクヌルナの正式な承認を得て拓いた水田や畑は、その人自身に最終処分権が付与され、当然のことながら同父母キョーダイといえどもその土地に対する請求権はない( 深澤 1996 104−106頁 参照)。
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(11)ヴリアの開催にあたっては、たとえその開催が村内居住者にとって事前に衆知するところであっても、必ず事前に<村長>もしくは代わりの人間が“voria:::ie!”「集会!」と村内をふれてまわる。このことも、ヴリアとその他の人が集まっての会話や議論することとを区別する、外に表れた徴である。
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(12)稲作における協力および協同作業とその組織化については拙論を参照(深澤 1989 )。
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(13)ツィミヘティ方言でzamaと呼ばれる関係にある男性が、このカテゴリーに相当する
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(14)ツィミヘティ族における<土地の主>については、拙稿(深澤 1995)を、参照。
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(15)カプオアカ(kapoaka)はコンデンスミルクの空き缶を指し、秤の普及していない農村地域ではさまざまな物の計量単位として用いられている(N.Rajaonarimanana 1995 p.166)。精米した白米をこの空き缶に盛りきりにした一杯が米の1カプオアカであり、
3カップ半がほぼ1kgに相当する。したがって、白米1カプオアカは285g、この地方の成人一人が一回の食事で消費する白米量に相当する。
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(16)FMGは、Franc Malgache 、すなわち<マダガスカル・フラン>の略で、マダガスカル民主共和国からマダガスカル共和国に至るまでの共通の通貨単位である。
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(17)mahai-は、メリナ方言のmiha-に相当するツィミヘティ方言の接頭辞であり、次に位置する形容詞の程度が次第に高まることを指示する(Faridanonana 1977 p.67)。したがって、sarotra「難しい」という形容詞が後につけば、mahaisarotraは「次第に難しくなる」の意である。
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(18) 村には、ムラが共同で掘削し管理する井戸が3本、村人自身が掘った井戸が6本あり、これが主な水源である。しかしながら、乾季も末期の10月から11月にはこれらの井戸が枯渇することがままある上、雨季には土砂降りの降雨が地表の様々な物を洗い流してこれらの井戸に流れ込むことになる。この<村長>は、山の谷川から簡易水道をひくことを提唱している。県庁所在地の町では国の電気・水道公社が水道を施設しているが、ムラの共同作業によって簡易水道を施設している村も近隣だけで何カ所か存在する。
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(19)ある土地に定住し水田を拓き墓を構えた人間の子孫、<土地の主>(tompon'tany)、の儀礼的な優越権と執行権については、拙論 1995 を参照のこと。
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(20)II章で述べたように、ヴリアには、成立のために必要な参集者の定足数等は特に設定されていない。それでも、あまりに参集者が少ない時は、<村長>の判断でその日のヴリアを流会とし異なる日に改めてヴリアの招集を行う。ちなみに調査対象村落の人口数は、1986年当時凡そ350人、1998年当時凡そ460人ほどであるが、若年人口の割合が極めて高いため、ヴリアの構成員たる18才以上の人口は、その4割くらいである。
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(21)村民自身の口から語られることはなかったが、ムラが建設・管理している小学校の建物をめぐり「周囲の村がトタン屋根に葺き替えているのに、うちの村だけ未だに草葺きでは恥ずかしい(mahamenatra)」と事ある毎に語ってきた村人にとって、フクヌルナからフクンターニへの昇格が、事務上の手続きの実利性のみならず、「村の誇り」ともかかわっていることは否定し難い。
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