V.ムラをめぐる家内的領域の自閉と再編成
調査村落における白米価格は1986年当時1カプオアカ(15)115FMG(16)、1998年当時750FMGであり、12年間に凡そ6.5倍に上昇した。他にも砂糖は500FMG/kgから4000FMGの8倍に、灯油は300FMG/リットルから2000FMGの6.6倍に、隣県の県庁所在地の町までの85km間の乗り合い自動車大人一人分の料金は2000FMGから7500FMGの3.75倍に値上がりしている。これらの急激な物価上昇は、1982年から実施されたIMF−世界銀行からの融資の見返りとして提示されたマダガスカルフラン(FMG)の切り下げや輸出入の自由化・国内経済の民営化などの勧告、いわゆる構造調整計画、によって引き起こされたものに他ならない(千代浦 1988 pp.59-62)。このような経済状況を背景に、村人たちは「生活が次第に困難になってゆく」(mahaisarotra ny fiainana)(17)という言葉を、この12年間の事ある毎に口にしている。「生活」と訳出したフィアイナナ(fiainana)の単語は、「生命」を意味するアイナ(aina)を語根とし、「息をする」・「生きる」という自動詞ミアイナ(miaina)の焦点形名詞(focus noun)である(Richardson 1967(1885) p.12)。したがって、米価を始めとする物価の上昇が人それぞれの「生きることそのものとしての生活」を脅かしつつあることは、数値の上からもまた生活者の視点からも等しく追認される変化である。
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1998年1月9日の集会を主導していた上述の<村長>は、同じ年にその職を解任された。その時に村に滞在していなかったため、事の詳細はつまびらかではないが、集会における討議の席上、自分をなじる声が高まったことに我慢できなくなった<村長>が辞任を申し出たものである。形式は辞任であっても、実質は解任と呼んで差し支えないであろう。村人の側にこの時の<村長>の評判を訊ねた時、人びとが異口同音に述べた言葉は、masiakaである。masiaka、リチャードソンの辞典では「野蛮な・残酷な・獰猛な・ひどく辛い」(Richardson 1967(1885) p.569)などの単語が充てられているが、この脈絡では<厳しい>・<厳格な>・<うるさい>の意味が適切である。「彼は厳格すぎたため人に嫌われた」(masiaka izy ke tsy tian'ny olona)というのが、この<村長>解任劇を説明する村人の最大公約数の言葉である。これに対するこの時の<村長>の村人を評する言葉は、maditra に他ならない。maditra、同じくリチャードソンの辞典によれば「頑固な・言うことをきかない・しつこい」(Richardson 1967(1885) p.122)と説明されている。このmaditraは、子供が親の言うことを聞かない時や、あるいは人が異性の間を渡り歩く時、また人が酒を飲んだ上での喧嘩やあるいは盗みを常習とする時、常套句のように用いられる言葉である。その<村長>自身の私と二人の間の語りによれば、「村に水道を造れば、乾季に水不足で困らないし、汚れた水を飲んで腹をこわすことや子供が下痢で死ぬこともなくなる(18)。なのに、いざ水道造ろうと呼びかけても村人の誰もやろうしとしやしない。やれ俺は他に仕事がある、やれ俺は忙しいとか言いだす。それでもって、雨季にはまた豚や人間のうんこやらゴミやらの混じった水を飲んで腹こわすわけか。見てみろ、この村の汚さ!馬鹿なことだ」というのが、村人がmaditraであることの具体的な内容である。
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これに対し、1986年当時、実質的なムラの相談役ないしとりまとめ役だった長老男性への村人の評価は、tsotraという言葉に集約されている。tsotra、リチャードソンの辞典では「平明な・簡単な・容易な・寛大な」(Richardson 1967(1885) p.718)、またラゼェミッサ−ラウリスンの国語辞典では「曲がらず真っ直ぐな・簡単ですることや扱うことで困らない・婉曲ではなくすぐ理解できる・人を害する悪い考えを持たない・考えを包み隠さない・まぬけな・あまり難しくしない・あまりその通りにはしない」(Rajemisa-Raolison 1985 p.1004)との説明が与えられている。ある人の性格や行動を評する際に用いられた際のtsotraの意味は、リチャードソンの「寛大な」、ラゼミッサの「考えを包み隠さない・人を害する悪い考えを持たない」に相当するが、それでも抜け落ちる部分が多い。「寛大で考えを包み隠さず、尊大にしたり人を見下げたりすることもなく、また物事にうるさかったり厳しかったりすることがないため、人付き合いのしやすい人柄」とこの一語が指示する事柄は、多岐に渡る。このtsotraの反意語の一つが「尊大な・横柄な」を意味するmiavonaないしmiavonavonaであり(Richardson 1967(1885) p.73)、もう一つが上に挙げたmasiakaである。この長老男性は、父からの水田や土地の相続、退役軍人恩給の受け取り、導水路の開削による水田の開発などにより、村内一の資産家ないし富裕者(oloña manan-kariana)であることは衆目の一致するところであった。村人の説明によれば、「人は富裕な老人を好みこれを尊敬する(manaja)が、老人であっても貧乏な者を尊敬することはない」と言う。その基準に照らせばこの長老男性は、富裕であること一つをとっても人びとに尊敬される立場にあるのにその上尊大なところが無く誰とでも付き合うとなれば、ツィミヘテイ族の人びとにとって社会的理想の人間を体現していたことになる。現に1986年の集会の中でのこの長老男性の発話回数は挿入的なごく短いものを含めても6回ばかりであり、訴人の青年に対しその性急さと身勝手さをたしなめるいささか強い口調の発話があるにしても、それは長老個人の意見ではなくその集会に出席した村人の大方の意見を集約したものであることは、それに続く他の村民の発話内容を見れば明らかである。長老男性は、集会における討議を自らが考える方向に主導することはなく、あくまでもまとめ役ないし調整役に徹している。しかしながら、長老男性が自らの意見をあえて押し通すことなく、むしろ集会の出席者の大方の意見ないし考えを集約する内容の発話に終始していることこそが、「共に住むこと」であるfiara-moninaの持つ日常生活の中の権力の源泉に他ならない。なぜなら、オバと姉を含めた自分たちの話し合いで相続問題を穏便に解決して欲しいとの長老の穏当な提案を訴人が自らに有利なムラの裁定を求めて拒絶した瞬間、訴人はムラと対峙し、ムラによる裁定の道を閉ざされたからである。
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この長老男性が1992年に亡くなった後、老齢男性であること・裕福であること・人に好かれ付き合いやすい人柄であること、この三つの条件全てを体現する人間を村内に見出すことはできなくなり、この頃からムラの共同生活としてのfiara-moninaがより一層「困難になっていった」ことは容易に想像することができる。1998年時の<村長>は、自らが述べまた自負するようにムラを行政的に率いてゆくことに対して頑固であるほどに真摯であるとしても、老人ではないこと・裕福ではないこと・厳格であることは、その真摯さをムラに対峙する外部からの力へと転移させるのに十分であった。1986年の集会における先の長老男性の発話と比較した時、1998年の集会における<村長>の発話回数の多さと発話の長さは、言葉の過剰とさえ呼ぶことができる。また、村人に対する問いかけとして成された発話も、村人からそれに対する反応や回答が引き出されることを真に期待していたかどうかはその後の会話の推移を見るとき疑問が多い。この集会の場において当時の<村長>が、討議を自ら考える方向に主導しさらにまま自らの意見を押し通そうとしたことは否定しがたい。しかしながら、ムラが<家庭>や<家>内の紛争やもめ事を扱うことが妥当であるかどうかについての一般的討議を求める<村長>の繰り返しの発話は、「自分の<家庭>の事柄にムラは関与するな」との村人の個別具体例をめぐる声によってかき消されている。この<村長>の言葉の過剰が村人の耳に達することなく浪費される様は、「首長達は、くる日もくる日も、人々に向かって伝統に遵って生きるよう鼓舞する。・・・・「これらの長々しい演説は、通常、平和、調和、誠実さという、部族全員に奨励される美徳をテーマとする。」首長は時には、砂漠で説教する者といえよう。なぜなら、・・・・人々は多くの場合、リーダーの言葉には少しも耳を傾けず、リーダーは一般の無関心の中で語り続けねばならないのだから」(P.クラストル 1987 p.41)とのクラストルの記述を彷彿とさせる。とりわけ、討議を主導し自らの意見を押し通そうとした<村長>の発話の内容が自分に対する利益の誘導などではなく、「<家庭>はムラの中に含まれるのだから、<家庭>の事柄といえどもムラの討議や裁定の対象とすることができる」という穏当な一般論であることが、人びとのために奉仕することを求められながらも人びとの外部にあることを強いられているクラストル描く南米の首長像をこの<村長>へと重ね合わせる。
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1986年の事例も1998年の事例も、ムラという公的領域と家内的領域との対比の構図およびムラが家内的領域の事柄を扱うことをめぐる問題の討議という点では、さほどの違いがあるわけではない。違いは、家内的領域の語られ方の実体化の程度とムラの集会の場における討議の進行役の発話形態の二点において顕在化する。ここでもまた、クラストルが南米の首長について次のように述べる事柄が、奇妙な符合性を帯びて立ち現れる;「首長の役割は控え目なものではあるが、だからといって世論による統御をまぬがれているわけではない。リーダーは集団の経済活動、儀礼活動の領導者ではあるが、決定を行う権力は一切もっていない。彼は、彼の「命令」が執行されるという保証を得ることは決してない。間断なく異議申し立てに見舞われる権力のこうした変わることのない脆さは、その行使のあり方にも特有の音調を付与する。すなわち、首長の権力は、集団の意志によって左右されるのだ。このことから直ちに、首長にとっては平和の維持が自己の利益に直接つながるということが理解される。内的調和を壊す危機の発生は、権力の介入を要請する。だが同時に権力の介入は、首長にとって手におえない異議申し立てへの志向を呼びさましてしまうのだ」(P.クラストル 1987 p.48)。
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ツィミヘティ族のこれらの長老も<村長>も、自身が村の開祖の男系子孫にあたる最年長男性であるならば<杖を持つ者>(ampitana-kobay)として儀礼の領導者たることはありえても(19)、ムラという公的領域に係わる事柄に関して決定を行う権力は一切与えられていない。けれども、1986年の集会の討議の中で長老男性は、発話を主導することもなく自らの意見や考えを押し通すこともなくその場の大方の意見を集約するという調停役に徹することによって、富裕者でありながらも気さくな人柄ゆえに村人から尊敬されまた好かれる立場をムラという「集団の意志」の中で確固たるものにし、その結果自らの発話に沿った討議の決着を手にした。一方、1998年の討議の中の<村長>は、年長者でもなくまた富裕者でもないにかかわらず、発話を主導し自らの考えを押し通そうとした結果、その発話内容の妥当性を検討されることさえなく、各自の<家庭>や<家>への権力の介入を嗅ぎ取った村人による執拗な異議申し立てに出会い、なんらの合意も手にすることができなかった。
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先に述べたように、家内的領域の語られ方は、成員相互の関係の規定を欠落させると共に、家内的領域の境界の認定をムラの討議に委ねるという相対論的視点をも後退させ、ますます実体論的視点のみが顕在化している。1986年の集会では、ムラに対し自ら家内的領域の境界の裁定を申し立てながらそのムラの討議結果を受け入れることを拒否した訴人が、「言うことを聞かない」(maditra)としてムラによって退けられていた。1998年の集会では、家内的領域のムラに対する治外法権的な閉鎖性の主張をムラへともう一度解き放そうとした村人によって公選された役職者である<村長>が、「きつく厳しい」(masiaka)として同じムラによって退けられていた。1986年の訴人の錯誤とは、姉と自分との争いが既に家内的領域間の争いに達していると思いこんで疑わなかったことにある。それでもそこには、家内的であることが公的領域に対する秘匿された自閉性を形成するとの考えは胚胎していない。しかし、1998年の集会に集まった村人が<村長>に対して申し立てたこととは、ムラが介入することのできない家内的であることによる秘匿性と自閉性が自ずと存在することを認めよとの一点にある。そこには、家内的領域の境界をムラによって裁定されることを求める相対論的な視点は、もはや存在しない。あるのは、ムラから遠ざかりながら家屋という空疎な空間を唯一の拠り所に閉じてゆこうとする個人の意志であり、この時の<村長>の錯誤とは、自らの職務に対する真摯さと無私性がそのような意志の前では、外部からの権力として拒絶される対象となりうることを何ら疑わなかったことにある。
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近年、このムラにおけるヴリアの開催頻度は、以前にもまして増加している。村に居住する人口が増大し討議すべき事柄そのものの増加したことが、第一の原因であろう。しかしながら、かつては生じたことのない、ヴリアの招集を行ったものの参集者があまりに少ないためにヴリアが成立しない事態が時として起きるようになっている(20)。1998年の<村長>の「辞任」後を受けて選出された次の<村長>も2年経たずに購入品の領収書を残さないなどムラ運営上の経理の不透明さと使途の妥当性を指摘され、同じように「辞任」に追い込まれている。またとりわけ土地の相続争いなどに際し、ヴリアにおいて問題の討議がなされたものの、そこでの裁定結果に当事者双方が承服せず、結局県庁所在地の町にある国の裁判所に上訴する事例が増加している。表に現れた出来事だけを羅列しても、共同生活としてのfiara-moninaは、確実に困難さを加速している。そのような中で、2000年にこのムラは、それまでのフクヌルナ(fokon'olona)からコミューン(commune)を構成する正式な単位であるフクンターニ(fokon'tany)へと、昇格が市側の行政当局によって承認された。村人によれば、このフクヌルナからフクンターニへの昇格を求めた最大の理由は、多くの手続きや書類の発行がフクンターニの事務所のある村にまで出向かなくとも自分の村の内部で処理できるようになること、ムラ独自にコミューンからの補助金を申請する計画書を作成できることの利便性であると言う(21)。この昇格によって、既存のフクヌルナ時代からのムラの役職に新たにフクンターニ長(président fokon'tany)1名・副フクンターニ長(vicépresident fokon'tany)1名・評議員(conseiller)7名が追加された。
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行政的単位としてのムラは、フクンターニへの昇格によってマダガスカル共和国の行政機構により一層近づきつつあると共に、より実体的な組織の体裁を整えつつある。その一方、共同生活としてのムラの活動は困難さを増し、何よりもムラが「集団の意志」である限りの権力と権威の行使さえも承認しない家内的領域の自閉性を生みだしている。この後者の現象を、村人自身は「自分勝手」(tiany teña)、「それぞれが自分の考えを持つ」(
samby manana ny nihinazy)という言葉で語る利己主義の台頭として説明している。しかしながらここで、新設されたフクンターニの役職の内フクンターニ長と副フクンターニ長が公選であるのに対し、評議員7名は別名<家族長>(chef de famille)と呼ばれることにも示されるように、ムラを構成するfehitryと呼ばれる<一族>の中から1名の推薦を受けて構成されていることに注意を向けなければならない。fehitryについて『ツィミヘティ方言辞典』の著者ファリダヌナナは「一族(taranaka)・家族(fianakaviana)」と説明を与えているが(Faridanonana 1977 p.30)、同語反復以上のものではない。このfehitryも1987年の論文で扱った<家族>を指示するfianakaviana同様明確な境界や範囲を持つわけではないものの(深澤 1987 pp.121-124)、ムラを構成する単位であること、しかしムラとは異なる親族−姻族関係によって結ばれた一団の人びとであること、なおかつ複数の<家庭>や<家>をその中に含むものであること、以上の三点が村人によって共通に理解されている。ムラ主催のダンス大会における入場料の各戸からの徴収、ムラの共同の牛の放牧場の囲いを作る分担、これらは現在、isampehitryすなわち<各一族ごと>という形で、各fehitryの長が自己の属するfehitryについてその執行の責任を分担している。また、フクンターニの評議員7名の内、1名は村の開祖の出自に繋がらないいわば<よそ者>(vahiny)であり、また1名は同じフクンターニを構成するもう一つの村(tañana)の居住者であることは、このムラを構成する下部単位としてのfehitryの性格をよく表している。すなわち、フクンターニ昇格に伴う評議員7名の新設とは、<家庭>や<家>を核とした利己主義の台頭がムラの行政に支障を与えている現状を村人自身が認識し、そのことの打開策として<家庭>や<家>などに代わる新たなムラを構成する家内的単位としてfehitryが設定された可能性が極めて高いのである。かつては、ムラの共同作業の分担は、<各戸ごと>(isan'trano「各家屋」の意)に配分されていたが、1990年代に入ってからこのfehitryを単位とした分担の配分方法が頻繁に登場するようになっている。言葉としてのfehitryが新しいわけではなく、ムラの責任分担配分のための単位としての設定が新しいのである。ムラの公的領域と対比される家内的領域として自閉性を高めている<家庭>に代わって<一族>が再設定されたとするならば、この試みのムラ行政の実践上での成否と同時に、そのことが家内的領域同士を対比させた相対論的視点に基づくムラという公的領域の再編成なのか、それとも成員相互の関係を欠落させて語られるようになった<家庭>に代わる成員相互の親族関係の存在について共通の了解が成立している<一族>による実体論的視点に基づいた再編成なのかを、これからの時間の推移の中で見極めてゆく必要があろう。とりわけ、2000年12月3日の州議会議員選挙の終了と同時に本格化する、各地方自治体に1975年以来の<地方分権制>(décentralisme)の許よりもさらに多くの財政的独立と政策決定権を付与する<地方自治制>(province autonome)の具体的諸政策が、この一稲作農村において日々進行している小さな政治劇にどのような影響を与え、それに反応して村人はどのような公的領域と家内的領域についての解釈を絶えず生成させてゆくのかの諸相を、マダガスカルにおけるすぐれて今日的な問題として注視してゆかねばならない。
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