IV. 「生存」のα項
- 米の消費から見た「生存」の形
調査地において満腹感を与える(mahavoky)成人の一日の米の消費量は、一食1カプアカ(kapoaka)(19)、一日三食で3カプアカ、脱穀した白米約1キロ弱に相当する。一年間成人が毎食三回白米を食べ続けたとすると、その総量は350キロに達する。下記の灯油缶ダバ(daba)を単位に換算すると、籾米30ダバから35ダバに相当る。以上より、夫婦二人に12歳以下の子供三人いる世帯を試算した場合、この世帯が一年間に自家消費する白米の量は、1200キロから1400キロと推定される。
毎日の食事に際して炊く米の量は、食べる人の人数、おかずや副食あるいは残ったお焦げ(ampango)(20)の量などを考慮しながら、そのつど決定される。また村人びとたちは、自分が何らかの権利を行使した水田全てからその年どれだけの米が穫れたかを上記のダバを単位としてかなり正確に知っており、自分の世帯で一年間に自家消費として必要とされる白米の総量もほぼ把握している。しかしながら、現在手許にどれくらいの米ないし籾米が残っているかについて「まだたくさん」(mbola fônty tavela)、「もう少しだけ」(efa hely sisa)などの形容詞ではなく量的に把握している村人は、ほとんどいない。なぜなら米ないし籾米は、自家消費だけに充てられるわけではなく、小商品として売却されることも常に想定されているからにほかならない。米の売却には、現金が必要とされる状況とその時々の米の価格が大きく影響するが、その両者とも村人たちには統制はもとより予測も不可能であり、結果、ある年の収穫量の何分の一を売却し、また何分の一を自家消費のために手許に残しておくのかとの計画の基に「生活」を営むことには、多大の困難が生じる。米の貯蔵量が少なくなってきたことを察知した瞬間、粥にして食べ延ばしたり、さまざまなハニン・ブルッカを副食から時には主食にしたり、あるいは豚や牛を売ったりと、まさに「生存のやりくり」の機略が発動するのである。
- 1967年の家計調査から見た「生存」の形
調査地村落から徒歩2時間くらいの同じツィミヘティの村において、第一次共和政下の1967年にフランス人農業技術者が行った家計に関するアンケート調査が、公表されている[ROUVEYRAN 1967:55-100.]。フランス語による一家族ないし一世帯についての簡単なアンケート調査のため、耕地面積や米の反収および現金収入額をめぐる数値の信頼性には疑問があるが(21)、1967年当時のこの地方における農家家計の傾向性を知ることができるだけではなく、「生存」の数値化された形をも見ることができる。通貨の単位は、フラン・マダガスカル(franc malgache 略号FMG)である。
- 農産物総額 : 35,020FMG
- 農業収入 : 34,620FMG(農産物総額とほぼ同じ)
- 家族収入 : 94,420FMG
- 自家消費 : 45,470FMG(内農産物の自家消費分は21,470FMG、息子たちの現金収入分が20,000FMG)
- 現金収入 : 32,800FMG(この大半は、牛の仲買人として働いている息子の現金収入分である この村は牛市の開催場所から1km離れた所に位置している)
- 世帯の現金消費: 35,250FMG
購入品:砂糖とコーヒー・塩・肉・小麦粉・石鹸・灯油・タバコなど
医療費・雑費:6,250FMG
- 鋤購入費 : 150FMG
- 人頭税 : 250FMG
- 赤字分 : 8,800FMG
この家族の所有地面積は2.45ha、その内水田0.4haであり、直播き稲作によって籾米55ダバ、715キロの収穫を獲ている。その他に0.4haの水田を父親から借り、そこでも直播き稲作によって籾米50ダバ、650キロを収穫している。家長の男性は、水田の賃料として10ダバの籾米(130キロ)を、父親に支払っている(22)。籾米の収穫総量は1,365キロ、反収は1.7t/haである。
同家族はまた、水田以外にも0.5haの畑でトウモロコシ70kgを収穫、0.15haの畑でマニオクを栽培、トマト60キロ、葉野菜、バナナの株50本を栽培、また牛4頭を飼育している。
家族構成は、成人3人と子供5名の8人家族である(45歳と35歳の夫婦と24歳の息子、14歳の娘、9歳の息子、5歳の息子、3歳の娘、1歳の娘)。
調査者のルヴェイランは、これらの数値からこの家計の特徴として、a.農産物の大半は自家消費に充当され、商品化される部分がごくわずかであること、b.農産物の総額は、家族の自家消費分に満たないこと、c.家政や農業経営に対する出費が見られないことを指摘している。
この8人家族の米消費量は、調査表によれば一日あたりの換算にして籾米3キロであり、一年間の自家消費総量は約1300キロ、およそ100ダバである。自己の「所有水田」および父親からの貸借水田双方での収穫の総量が籾米ベースで1,235キロ、95ダバであり、収穫された稲の全てが自家消費に充当できる場合には、収穫量は消費量を100キロ以上上まわっている。しかしながら農産物総額に匹敵する現金での購入品があり、牛一頭を25ダバの籾米(325キロに相当)と交換し、また22ダバの籾米(286キロに相当)を4000FMGの現金で購入し、自分が耕作した水田から収穫した95ダバの内から60ダバを充当した分とあわせ、107ダバ、1391キロの籾米が自家消費されている。これらの数値そのものは、マダガスカル北西部地方における1967年時点の一世帯の家計の例に過ぎないが、ルヴェイランの指摘する家計の特徴にも、既に述べてきた現在のこの地方の村人たちに共通する「生存」に基づいた生活様式が色濃く反映されていることを、見てとることができる。
- 「農産物の大半は自家消費に充当され、商品化される部分がごくわずかであること」は、商品として特化した農産物も無い代わりに、余剰や機会があるならば米だけではない全ての農産物が何時でも商品となりうることを、示している。すなわち、自家消費としての農産物と商品化対象としての農産物との間の閾値の極めて低いことが、この地方における「生存」に基づいた「農業」の一つの特徴である。
- 「農産物の総額は、家族の自家消費分に満たないこと」は、まさにこの地方の家族や世帯が「農業」だけに依存して生活しているわけではないこと、および何らかの「やりくり」によってその不足分を埋め合わせている生活が常態であることを、示している。この家族の場合は、県庁所在地の町と牛市の開催場所に近いと言う居住の立地が、息子の就労と現金収入をもたらし、それが生計の大きな支えとなっている。もちろんこのことは、この家族だけに与えられた条件であるが、稲の栽培だけでは食生活を充当できても生活全体を支えることができない村人たちにとって、その不足分をどうやって埋め合わせるかが個別世帯ないし家族に課せられ、日々遂行しなければならないヴェルンテンガ「生存」であることは、同一の構図である。
- 「家政や農業経営に対する出費が見られないこと」は、田植えにおける賃雇いの増加した現在では必ずしも首肯しえない点があるやもしれないが、ほとんどのこの地方の村人たちが土地の利用とそこからの産物の生産においては、自分でそれらを決めることのできる立場にあることを示している。すなわち、世帯や家族の個別の生活レベルにおいては誰かに借金をしたりあるいは米を借りることも頻繁ではあるが、その一方誰かの命令によってある土地を耕作したり、そこに特定の作物や特定の品種を植えなければならないことはなく、それらの借金や負債といえども、自分が管理権をおよぼすことのできる土地の総体を利用する中から最終的には返済すれば良いわけである。北西部地方の村人の大半は、自己の管理する土地の内部では、自己決定権を持っており、そのことが多様な活動と生産に基づいた「生存」を生みだしているのである。
- 小学校教員報酬に示された「生存」の形
調査地の村には公立小学校が一校あり、そこでは政府派遣教員2名とムラ雇い教員(karamainan'ny fokonlona)1名の計3名が、勤務している。政府派遣教員には、政府から学歴や経験および職制に基づく俸給表に従った現金が支給されているが、一方ムラ雇い教員の場合には、それぞれのムラが決めた物品や便宜が、教員個人もしくはその家族に対し供給されている。すなわち、ムラ雇い教員に対して支給される物品と便宜とは、この地方の人びとが「生存」のために必要だと考えている具体的な物の量をあらわしている。
籾米だけが支給される場合には、独身者で年間50ダバ(650キロ)、夫婦と未就労の子供3人くらいで年間100ダバ(1300キロ)である。この数値は、上記の1967年の家計調査に記載された一世帯8人の年間107ダバの籾米収穫量とほぼ一致する。それはすなわち、ムラから支給される籾米だけで家族が一年間に必要とする自家消費米を含めた全ての支出を賄うには十分ではないが、それ以外の「やりくり」を含めれば十分に生活できる数量を意味している。現在の調査村におけるムラ雇い教員は、村に居住する村出身の人間であり、したがって村内に水田も「畑」も持っており、教員である夫自身はそれらの耕作にかかわる十分な時間を確保できないにしても、代わりに妻が中心になって耕作が続けられている(23)。そのためムラ雇い教員本人が、100ダバの籾米支給について「生きてゆく上では十分」と語っている。また、ムラ雇い教員が村の出身者でない場合には、ムラが耕作するための水田を用意した上、その水田における田植えに教え子の小学生を動員することを認めるなどの便宜を供与する場合が多い。この百ダバの籾米収量を、水田面積に換算すると0.8ヘクタールから1ヘクタールに相当し、面積的にも村人が耕作権を有する水田の平均的な値となる。
以上より、成人一人50ダバの籾米+α(現金/産物)、一世帯100ダバの籾米+α(現金/産物)が、村人たち自身によって示された「生存」の量であり、+αに何が入るかは、個人によってまた世帯によってそしてその時々によって多種多様であることが、「生存」に基づいた稲作生活の特徴である。
- 村内における消費と売買に見る「生存」の多様性
では、「稲+α」から具体的に成り立っている「生存」のαの部分を、調査地においてはどのような活動や産物によって具体的に埋められているのか、その諸相を列記する。
4−1. 村で作られている物・村内で獲れる物
- 米:祝い事や儀礼や葬式などの際に、主催者が不足分の米を村内で購入することがあるが、村内で売買される機会は少ない。
- 牛・豚・山羊・ニワトリ・バリケン・アヒル・ホロホロ鳥:村内で売買されることもあるが、牛は牛市で売買され、他の家畜や家禽も値の高い町の市での売買が主である。これらの家畜や家禽が、稲や野菜や果実などの農産物に被害を及ぼした時、その飼い主は損害を弁償しなければならないが、牛と豚を除き飼育するための占有の場所は存在しない。肥育された豚は、牛の三分の一くらいの値で取引され、町に居住するメリナの人びとが買い付けにやって来て首都アンタナナリヴまで搬送してゆくこともある。
- 牛肉・豚肉:牛や豚が病気やケガで死んだ時、あるいは死にそうな時、その解体された肉は、しばしば村内で販売される。
- 野生動物:ジャコウ猫、野生猫、キツネザル、猪、テンレックなどであり、食用として個体や肉が村内で販売される。捕獲される個体数が少ないため、ほとんどは村内で自家消費、または売買される。猟場としての土地に対する権利は設定されていない。唯一テンレックだけは個体数の保護のため、育児期を禁猟とし、毎年3月1日から捕獲を開始することが、「ムラの取り決め」(dinam-pokonlona)となっている。
- 淡水魚・亀・水生昆虫:乾季の減水期に池や沼で行われる掻いぼり漁によって捕獲される生物である。ほとんどは自家消費されるが、亀やウナギは売買の対象ともなる。河川はムラの管理下にあるが、池や沼には所有者があり、釣りには所有者の許可が必要とされないが、網や筌を使っての漁を行う際には、所有者の許可が必要とされる。乾季、池や沼の所有者は、全村民に対して漁を許す特定の日を定めて、開放することが多い。
- 葉野菜・野菜:インドクレッソンの葉、白菜、サツマイモの葉、カボチャの葉、浅葱などが、売買される。葉野菜は鮮度を保つことが難しく、また乾季には水不足により栽培が難しいため、葉野菜を作ることのできる水源に近い「畑」ないし「菜園」を持つ人にとっては、確実な現金収入をもたらす。野菜の大半はトマト栽培であり、他にはトウガラシ、カボチャなどが栽培されているが、種類は少ない。
- 果物:バナナ、マンゴー、オレンジ、ジャックフルーツ、ライチ、バンレイシ等が栽培されている。村内では、同じ時期に同じ種類の果実が登熟するため、あまり売買の対象とはならない。バナナは痛みやすいため、他の果物に比べれば村内で売買される確率が高い。サトウキビは広く栽培されているが、各世帯が栽培しているため、ほとんど売買の対象とはならない。多くの果実は、「畑」内において栽培されている。ほとんどの果樹には所有者がいるが、野生種マンゴー(manga lava)には所有者がおらず、誰もがこの実や樹木を利用することができる。
- 芋類・穀類:稲以外の穀物は、トウモロコシが栽培されているだけである。芋類では、マニオク、サツマイモ、タロ芋、ヤム芋が栽培されているが、トウモロコシ同様、副食ないし米の端境期を埋め合わせる食物として自家消費され、売買されることは少ない。「畑」で栽培される。
- 粗製砂糖:サトウキビの絞り汁を煮込んで作ったものである。そのまま食べることもあれば、ベツァ(betsa)と呼ばれる発酵酒を作る原料となることもある。調査地村落における産額はわずかであるが、スフィア川(Sofia)流域地方では、粗製糖は重要な商品ないし特産品となっている。
- 発酵酒:サトウキビの絞り汁や粗製砂糖を水に溶かしたものを発酵させたベツァと呼ばれる酒である。発酵酒のため村内で製造され、村人たちによって売買され消費されることが多い。
- ムフ(mofo):米粉と砂糖と油を練り、鍋に入れて焼いたグジュグジュ(godrogodro)、米粉に水と砂糖と酵母を入れて発酵させてから型に入れて焼いたムカーリ(mokary)、バナナと米粉を搗いてからバナナの葉にくるんで茹でたムフ・ラーヴィナ(mofo ravina)などの、ムフと総称される副食ないし間食が、ときおり村内でも販売されている。
- レンガ:原料の土をはじめ、レンガ造りに必要な資材は全て村内で調達できる。調査地は町まで七kmある上、村人たちが有する運搬手段は牛2頭で曳かせる牛車であるため、重いレンガを町まで多量に運ぶことは困難であり、村内での需要に応じてレンガを焼くことが主である。村人の家もレンガで作ることが多くなり、乾季レンガ造りに対する需要が高まっている。
- 炭:村における炊飯や料理のための燃料は薪であり、薪は男性が森に行って倒木や枯れ木を集めて来るため、炭は村内ではほとんど売り買いの対象にはならない。
- 薪:もともとは男達が森に行って取ってくるものであったが、薪を大量に必要とするレンガ造りの普及と共に、薪が村内で売られるようになっている。
- 家具・板・柱:男性が、村内にある樹木を加工して、椅子、机、ベッドあるいは板や柱を作製している。村内でも販売されているが、とりわけ家具は牛市や町での販売を目的として作製されている。ラフィアヤシや栽培マンゴーの木などの特定の樹木を除いて、ムラの構成員による山野の樹木の伐採は、自由である。10年くらい前までは、ムラ以外の人間がやって来て、これらの樹木を伐採しても構わなかったが、現在ではムラが管理する資源の一つとなっている。
- ハチミツ:養蜂された物と天然物の二つがある。村の家の軒下や畑の中に、ヤシの木の幹を刳り抜いたり、あるいは毀れた土器を置いて、ミツバチの巣とする。産額は少ないが、手軽な副産物の獲得方法として、養蜂を行う人は多い。保存がきくため、自家消費分と販売分とを分けずに貯蔵し、適時売ったり消費したりする場合が多い。ハチミツは、牛肉、鶏肉および米と共に神や祖先に対する供物とされ、また養蜂されているハチミツを盗むことは牛を盗むことと同じ重罪と見なされ、かつてはその場で捕まった村人ではないハチミツ泥棒は殺されることもあったと語られる。
4−2 村外で作られ村で売られている物
調査地の村内に、常設の商店舗は存在しない。下記の物品を仕入れた人たちが、村人の求めに応じて自分の家の内部で販売している。米の売却などである程度まとまった現金を入手した時、村人たちは下記のような物品を多量に購入し、村や町で販売することが多い。村人たちは、確実に利益が出ると語り、それによって元手が増えた時、最後には牛を購入する欲求が強い。
- 酒:サトウキビの絞り汁を発酵させてから蒸留した30度以上あるトゥアカ(toaka)と呼ばれる酒である。ベツァは何処の村でも割合容易に作ることができるが、トゥアカは蒸留器具と技術が必要なため、北西部地方でも作っている村は限られている。村人たちはこのトゥアカを、生産地の村に仕入れに行くか、あるいは生産地の村から売りに来るものを買って仕入れる。このためトゥアカは、発酵酒で自家製のベツァの3倍から4倍の値段で、村内では売買される。
- 塩:町で購入し、利益分を上乗せして村内で販売する。
- 砂糖:塩と同じ。
- 洗濯石鹸・合成洗剤:塩と同じ。
- マッチ:塩と同じ。
- 魚の干物:塩と同じ。農村における日常のおかず。
- 小エビの乾物:塩と同じ。農村における日常のおかず。
- 乾燥白インゲン豆:塩と同じ。農村における日常のおかず。
- 衣料品:首都アンタナナリヴで仕入れた中国製やインドネシア製あるいはマダガスカル製の新品衣料もしくは古着が「小売商」(entan'madinika)と呼ばれるメリナの商人やあるいは元手を持ったツィミヘティの人たちによって町に持ち込まれ、そこからさらに借りたり、買ったりした人びとが村々で売り回っている。調査地の村は町に近いため衣料品は町で購入するが、町から30キロくらい離れた村々などでは、米の値段の高い年は、よく売れると言う。
4−3 村で作られ町で売られている物
- 米:町の青空市場で売ったり、あるいは仲買業者に売ったりする。米の仲買業者には、県庁所在地の町または牛市の開催場所に店を構えている人間、そして異なる地域から一時的にトラックでやって来て現金で購入する人間、二つの営業形態が見られる。
- 牛・豚・山羊・ニワトリ・バリケン:牛は、二週間に一回開催される牛市で売買される。豚や山羊は特に定期市がなく、売り手は個人的に買い主を捜す。家禽は、町の市場で売買される。
- 葉野菜・野菜:7km離れた町の市場に持ってゆけば確実に売れるが、周囲の村々で採れる野菜の種類はほとんど同じなため、単価は安い。
- 果物:葉野菜や野菜と同様である。
- 薪と炭:町に持って行けば、確実に売れる物品である。ムラの構成員である限りは、所有者の決まっているラフィアヤシや栽培マンゴーの木などを除き、樹木の伐採は自由である。乾季に炭焼きを行う村人は多いが、野火をだす危険があるため、山での炭焼きは「ムラの取り決め」によって禁止されている。
- 木材と家具:家具は最近作る人間がこの地方に多いため、市場としては飽和状態に近い。むしろ、建築素材としての板や柱の需要が、高まっている。
- 山刀・斧・鋤:村内には、二ヶ所鍛冶場がある。鉄の原材は廃車の部品などから調達する。村内に鍛冶を専業とする人間はおらず、新品を作って売ると言うよりは、これらのものを修理する依頼に応じる仕事が多い。また鍛冶屋は世襲身分ではなく、儀礼的に特殊な役割を果たしたり、特別な力を持つ人間とも扱われてはいない。
- ゴザ・カゴ:素材は、カヤツリグサの茎かラフィアヤシの葉である。カヤツリグサは、池や沼に生えているため、これらを採取するためには、その池沼の所有者の許可が必要である。ラフィヤヤシは、木一本一本について所有者が決まっているため、その許可を得るか、あるいは葉柄や葉を購入しなければならない。女性が、乾季に行う手間仕事である。北西部地方におけるゴザやカゴは、日常生活における実用品であるものの、各村で作られているため、作っても必ずしも売れるわけではない。しかしながら、買い手がいれば売り、買い手がいなければ自家消費すると言う点では、作る手間そのものにむだはない。
- ハチミツ:養蜂された物(tariminy)と天然物(dia)の二つがある。村の家の軒下や「畑」の中に、ヤシの木の幹を刳り抜いたり、あるいは毀れた土器を置いて、ミツバチの巣とする。産額は少ないが、特に手間を必要としない手軽な副産物の獲得方法として、養蜂は、この地域で広く行われている。
- 食用昆虫:村ではゲンゴロウやセミをはじめ様々な食用昆虫が採取されるが、その大半は自家消費用である。その中で、マダガスカル・オオコオロギ(sahobaka)の成虫とハゴロモ科の幼生体であるサクンドゥリ(sakondry)は「おかず」として好まれるため、市場で売買される商品としても扱われる。またムラでは、オオコオロギの捕獲を毎年12月24日から認める「ムラの取り決め」(dinam-pokonolona)を定め、その資源の保護をはかっている。
これらの多様なα項を埋めるための活動や生産の最後には、村人自身の身体が置かれる。すなわち、労働力としてあるいは性的対象として買い手があるならば村内であれあるいは徒歩で一週間かかる東海岸地方であれ、出かけて行くことをこの地方の人びとは厭わない。
- 田植え:現在の稲作作業の中で、最も集約的な労働力の投下が必要とされる局面であるにもかかわらず、後述するように従来の協同労働組織が対象とする作業ではなくなったため、いかに労働力を確保するかが各世帯にとっての重要な問題になっている。これに対しては、賃雇い(karamaina)が最も多く見られる対処法である。田植えの賃雇いの支払い単位は、移植法が導入された直後の1980年代には日割り計算であったが、ここ10年ほどの間にフランス語で「正方形」や「平方」を意味するcarreに由来するカレ(kare)と呼ばれる5m四方の一定面積へと移行した。このことは、日割り単位の頃には一人前の稲作作業における労働力とは見なされなかった小学生くらいの子供たちも、カレを単位とする田植えを完了すれば、大人と同じ手間賃をもらえるようになったことを意味する。2005年現在でこのカレを単位とした労賃は、4000FMGから5000FMGであり、これは白米1キロの価格にほぼ相当する。田植えに慣れた大人ならば、一日に3カレの田植えを行うことができる。この結果、村内はもとより村落間の田植え時の労力の移動がたいへんに活発化している。
- レンガ造り:柱の間に渡した粗朶木の中に泥を積み上げて壁を作るのがこの地方の在来の工法であったが、1980年代から焼きレンガ造りの技法が普及し始め、近年では町の周辺部や製品の運搬が容易な幹線道路沿いのムラでは、乾季の重要な現金収入をもたらす活動として盛んに行われている。レンガ造りは、泥をこね型に入れて抜き、一週間天日干しにした後、それを火入れ穴を残しながら長方形状に積み上げ、最後に積み上げたレンガの表面に藁を混ぜた泥を塗って密封し、薪を一昼夜燃やし続ける。レンガ完成までほぼ一ヶ月を要するかなりの重労働な作業であり、レンガ造りの盛んな村や地方では、このための労働力を広く求めることがあり、乾季の数ヶ月をレンガ造りのために100キロ以上離れた他村で過ごす男性も見られる。
- 家造り:レンガ造りとも重複するが、家造りも男性にとっては農閑期である乾季の昔からある手間仕事の一つである。
- 木挽き:調査地の村から直線距離でおよそ100キロから150キロ、徒歩で5日から一週間かかるアンダパ(Andapa)からアンタラハ(Antalaha)にかけての北東部一帯は、年間降水量4000mmにおよぶマダガスカルの最多雨地帯であり、そのため現在でも熱帯降雨林帯が広がり、15mを超える巨木が成育している。ここ7年から8年の間にこの地方へ乾季の間木挽き(manapaka kakazo)に出る男性が、調査地の村からだけでも毎年十人近くにのぼった。自分で木を切りだして原木なり加工材を売っているのではなく、業者に雇われて伐採作業に従事している。同地方の村人たちはヴァニラ栽培と加工によって高い収益をえていたため、同地方では木挽きに携わる人手を徴募することが困難であったことが、このような北西部地方からの季節的労働力の移動を引き起こしたわけである。しかしながら、2005年頃からのヴァニラ価格の下落によって、かつてのヴァニラ生産者たちが木挽きにも従事するようになり、それに伴い村からの季節的出稼ぎ者の数もここ数年は数名に減ってしまった。
- 売春:「売春婦する」(manano makorelina)と名指される村出身の女性たちがいる。ツィミヘティの人びとの慣行(fomba)では、婚姻関係もしくは一つの家屋で同棲する関係にない男女が性的関係を持つ場合、男性から女性に対し現金が渡されるが、これを村びとたちは売春とは呼ばない。性的関係に際して女性が現金をえる事そのものに対してではなく、その現金が「生活」ヴェルンテンガの大きな部分を占めていると見なされるような女性がこのような言葉をもって呼ばれる。村にも家があるものの、主として町に住み、売春していると周囲から見なされている女性が約3名いる。兄弟姉妹や親たちはそれらの女性たちについて「恥ずかしい」(mahamengatra)とは語るが、強制的にこれを止めさせる行動はとっていない。さらにその約3名の女性は、農繁期には村に戻って稲作に従事しており、まさに「稲+α」の生活として売春を行っているのである。
北西部地方の人びとが、このαの部分を埋めるための活動や行為として手を出さないものは無いと言ってもよい。人間と犬以外の食べられる物は全て食べる(24)、買い手があるものは全て売る、対価をもたらす活動は全てやってみる、自家消費と商品生産の閾値が限りなくゼロに近い「生存」ヴェルンテンガの感覚が、人びとの日常行動の隅々にまで浸透している。この感覚を良く示す出来事が、ここ10年の内に活発化してきた骨泥棒と大麻の栽培である。
北西部地方のツィミヘティの人びとの墓制は、遺体を直接土中に埋葬し上を石で覆う形態(fasan-davaka)、一度埋葬した遺体を掘り出し骨だけを洞窟などに納める形態(fasan-davavato)、同じく骨をコンクリートやブロックでできた家屋状の墓に納める形態(tranon-drazana)、以上の三つに分かれる。後者二つの墓の形態をとる村では、「改葬」(famokarana, famokaran-drazana)を行い、その結果、墓内には代々の祖先の骨が大量に納められている。1990年代から、この骨を盗み出す「墓暴き」(mamakivaky fasana)が行われるようになった。その骨の使途については「海外で薬品を作るために持ち出される」との話しが流布されているが、真偽のほどは不明である。しかしながら、盗み出された骨をキロ単位でかなりの高額をもって買う人間がマダガスカル国内にいること、そのために墓を暴いて骨を盗みだし、憲兵に逮捕されて刑務所に収監され、時には村人たちに現行犯で捕まり殺された人間がいることについて、疑いを挟む余地はない。このような行為は、ツィミヘティの人びとにとってかつてはそれを行うこと自体が考えだにつかなかった祖先に対する冒涜であるにもかかわらず、マダガスカル国家の法律では単純窃盗犯であり、憲兵隊に逮捕されても、長くて数年の刑務所における収監で済んでしまう。このため、「自分の祖先の骨ならいざ知らず、他人の墓の骨ならかまわない」とうそぶく人間も珍しくなくなり、現在北西部地方では墓内にある改葬を終えた骨のことを「白いサファイア」(safira fôtsy)と呼び、新たな商品資源と化す様相を見せている。
マダガスカルにおいても大麻(jamala)の栽培、販売、吸引は国家の法律で禁止された不法行為である[MINISTERE DE LA JUSTICE 1983:177]。しかしながら、北西部地方においては憲兵隊(gendarmerie)の監視の目が行き届きにくい山岳部や森林地帯を中心に、古くからこの大麻の栽培と売買が密かに行われてきた。自家消費される一方、一部は乾燥大麻としてマジュンガや首都アンタナナリヴの都市部へも運搬されていた。憲兵隊もタクシ・ブルースの荷物検査を強化したり、あるいは山岳部や森林地帯にパトロール隊を派遣したりして、大麻栽培と運搬の摘発を行ってきた。この大麻栽培が、近年北西部地方において再び広がる気配を見せている。そのきっかけは、大麻油(menaka jamala)製法の導入である。乾燥大麻として流通していた当時の問題点は、乾燥大麻は単価が安いため大量に運搬しなければ利益が薄く、そのため米袋などに大量に詰め込むとその特有の匂いによって大麻の存在が明るみに出てしまうことであった。そこに大麻油の製法が導入され、薬瓶一本の分量で子牛一頭を買うことのできる値段となると共に、輸送時の秘匿性も格段に高まり従来の問題点が払拭された結果、逮捕される危険を犯してでもその利益を目当てに大麻を栽培しようとする人びとが増大したわけである。
骨泥棒は村人に捕まればその場で殺される危険があり、大麻栽培者は国家によって逮捕、収監される危険があるにもかかわらず、向こうに買い手が確実に見えるならば、そしてそれが高い対価をもたらす可能性が十分ならば、あえて危険を冒すこともまた、この地方の人びとが選択し実践する「生存」の形であろう。
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