II. 「生存」と言う行為世界

  ヴェルンテンガ(velon-teña)と言う単語を、マダガスカル北西部地方の人びとの会話の中でよく耳にする。
ヴェルンテンガとは、ヴェルナ(velona)「生きている」、「生活している」とテンガ(teña)「身」、「自分」との複合語であり、「自分が生きること」、「自分が生活すること」、「身を立てること」が直訳の意味であり、会話の脈絡からは「暮らし」や「生計」や「やりくり」あるいは「生活」や「生存」と、翻訳することができる。彼らが学校教育で習う公用マダガスカル語であれば、おそらくフィヴェルーマナ(fivelomana:veolonaを語根とし、「生計」、「生業」を意味する)ないしフィアイナナ(fiainana:「生命」を意味するainaを語根とし、「生活」、「暮らし」を意味する)の単語に相当する。これらの単語と意味を調査地の人びとも知ってはいるものの、自分たちから積極的に用いることは少ない。また一方、ヴェルナもテンガも、単語一つ一つは公用マダガスカル語ないし、公用マダガスカル語の基礎となっている中央高地のメリナの言葉と共通する(3)。さらに、マメルン・テーナ(mamelon-tena)あるいはマハヴェルン・テーナ(mahavelon-tena)、すなわち「活かす」ないし「支える」を意味するマメールナ(mamelona)ないしマハヴェルナ(mahavelona)、「身」や「自分」を意味するテーナ(tena)の複合語で、「自分を支える」、「身を活かす」を意味する動詞は[Andro Vaoavao sy Trano Printy Loterana 1973:43]、メリナの人びととツィミヘティの人びと双方によって等しく用いられている。しかしながら、ヴェルンテンガと言う名詞形だけの日常会話における汎用は、北西部地方ないしツィミヘティ(Tsimihety)の人びと(4)に特有な用法であり、彼らの生活世界を表現する単語である。
 ヴェルンテンガの会話における具体的な用法は、下記のようなものである。
「暮らしがたいへんになってゆく」、「生活は困難になってゆく」
(Mahaisarotra ny velon-teña.)
「あいつにゃ生計(の手段)がない」
(Tsi'sy velon-tenanazy.)
「生活手段が見つからない」、「暮らしができない」
(Tsy hitako ny velon-teña.)
「あいつの生計手段はなんだ?」、「彼(彼女)は、どうやって暮らしているんだ?」
( Inona velon-teñanazy?)
「この生活(のやりくり)をどうしよう?」、「どうやって暮らしてゆこう?」
( Atao karakory tôy velon-teña tôy?)

 以上の用法が示すこととは、マダガスカル北西部ないしツィミヘティの人びとは、自分たちは日々ヴェルンテンガとかかわりヴェルンテンガを遂行すると共に、それが人間である限り不可避かつ根元的なものと考えているが、当然この単語は結果としてある特定の生業や職業や仕事を指示するとしても、一義的に何かの生業や職業や仕事を名指しているわけではないと言うことである。ヴェルンテンガ一語の中には、様々な仕事や職業や生業が入ってくることが当然であり、またそこには特定の目標や目的があるわけでもない。しかしこの単語が表す彼らの生活の可塑性と複数性および包括性こそが、この地方における「農業」であり「農民」であることの特徴を表現している。すなわち「生活」や「生存」には、あらかじめ描かれたあるべき形が無いのである。と考えるならば、「〜を栽培する」と言う表現が用いられる一方、「稲栽培民」や「稲作農民」と言う表現が聞こえてこない理由にも、説明が与えられる。「〜を栽培する」とは単なる事実表現にすぎないが、「稲栽培民」や「稲作農民」は自己規定に言及する表現であり、その時この地方の人びとは、稲以外の作物を栽培し、あるいは家畜や家禽を飼育し、あるいは小商いや賃労働にも携わる具体的な自分の生活の在り様を思い浮かべるのである。ツィミヘティ方言に、「生活人」なる単語や概念があるわけではない。けれども、栽培にしても飼育にしても商いにしても賃労働にしても、単一の行為のみに依存して生活している人は調査地域では無いに等しく、個別の人格の中では複数の「生存」にかかわる行為が同時に進行していることこそが常態であり、したがって彼らは「農民」として特化した自己規定ではなく、「生活人」として可塑性の高い自画像を持ちあわせているのである。
 本稿においては、このマダガスカル北西部の人びとが語るヴェルンテンガに対する翻訳として「生存」もしくは「生活」を以下で用いながら、このような観念に支えられた生活様態と小規模商品生産、なかんずく稲作の様相について記述することを目的とする。
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