既に見てきたようにハイン・テーニにおいては、諺や格言がとりわけ喩の構成の上で重要な働きをしているが、ハイン・テーニそのものが諺や格言と同等なわけではない。恋愛が多くのハイン・テーニの主題であり、男性と女性の間でのやりとりもしくは掛け合いがその構成や発話形態の基本であるにしても、いずれの辞書の説明や釈義もハイン・テーニの外延を規定してみせているにすぎない。なぜなら、少数ではあるもののポーランが収集したハイン・テーニの中にも恋愛を主題としないものが存在し、またやりとりや掛け合いが暗示されているにしてもモノローグ形式として伝えられているものも少なくはないからである。
  では、ポーラン自身は、どのような定義を与えているのだろうか。先ず、ハイン・テーニとはマダガスカル語のハイとテーニとの複合語であり、ハイは「解っている」、テーニは「言葉、語」、そのまま直訳すれば「言葉の理解」ないし「言葉の知識」ぐらいの 意味である。ポーランは、これに対し「言葉の学問」との意訳を与えている( J. Paulhan , , 1912 , p.134)。ハイン・テーニが、その主題や形式はなんであれ、その謡を創った人の格言や諺をも含めた言葉総体の知識や理解あるいは当意即妙の度合いを表し、掛け合いの相手や聴衆はその技巧の巧拙を評価の対象とすることを考えれば、「言葉の学問」という意訳はハイン・テーニを支える観念ないし哲学に迫るけだし名訳と言えよう。しかしながら、そこを離れてハイン・テーニに与えられた一般的な説明は、ポーランといえどもその外延をなぞっているにすぎないとの印象が強い;「ハイン・テーニとは民衆詩である。メリナ族の人々はこれをウハトラないしウハブーラナすなわち〈例〉や〈言葉の例〉とも呼ぶ。実際、格言や諺は、ハイン・テーニの基礎ないし切り離すことのできない骨組みなのである」( ibid. , p.133 )、「マダガスカル人の間とりわけマダガスカルの中央部に居住するメリナ族の間で流布されている民衆詩。多様な面をもつ難解で謎に満ちた詩であり、ファトラジーやトウルバドウールと文学史が名付ける解釈の難しい詩に類似している」( J.Paulhan , op.cit. , 1938 , p.7 )。
  ハイン・テーニとはいかなる種類の詩なのか?そもそもそれは、定型詩なのか?脚韻の規則もなければもちろん字句の数に制限があるわけでもなく、また各連の間に対や対照の関係が設定されていることが多いにしてもそれはなんら強制ではなく、口誦した際の律動に対する配慮から出ているにすぎない。それでは、非定型・自由詩なのか?既に見てきたように、叙事や叙景だけから成ることもなく、また逆に叙情だけからなることもない。詩そのものの主題は叙情でありながら、必ず叙事や叙景の部分が挿入されている。さらに、男女の掛け合いややりとりの形式をとり、諺や格言を下敷きに用いている場合が極めて多い。すなわち、ハイン・テーニは定型詩と呼ぶには自由すぎ、自由詩と呼ぶには制約が多すぎるのである。あえて逆説的な言い方が許されるとするならば、「非定型の定型詩」ないし「定型の非定型詩」とでも形容することが最も適切であろう。とするならば、『タルブの花』において主張されている言葉としての拘束を進んで受け入れつつ、その中に言葉としての自由を最大限に見出すような創作の実践例のひとつとして、ポーランがハイン・テーニを措定していることは、たとえ本文において一切の言及がなされていないとしても、疑問の余地はない。
  改訂版の性格をめぐる議論の第二点は、『ハイン・テーニ』1913年版と1938年版との間に存在する隔たりである。両版の違いは、次の通りである ;
  1)初版では解説の後に掲げられていた七つの詩が、改訂版では八つの分類された主題の許での詩群にそれぞれ分散されて収められた。
  2)初版では、第一の詩群の主題は、「愛の告白」と名付けられていたのに対し、改訂版では「願い」と改名された。
  3)初版と改訂版とでは、詩の配列の順番に異同が見られるとともに、改訂版から削除された詩が十篇以上ある。
  4)初版と比べ改訂版では、四章の第十一篇、五章の第十五篇、六章の第三篇、四章の第十五篇など、訳文が大幅に改変された詩がある。
  5)初版では本編の後に置かれていた、収集された同じハイン・テーニの異伝およびハイン・テーニとしては異例に長文のもの三篇を載せた補遺が、改訂版からは全て削除された。
  6)初版では、マダガスカル語原文とフランス語訳文の双方が併記されていたが、改訂版ではマダガスカル語原文が全て削除された。
  ポーランが1913年の出版後も常に訳文を推敲し再版の機会を伺いながらようやく陽の目を見たのが、1938年の改訂版だと常識的には考えることができる。しかしながら、初版がマダガスカル・メリナ族のハイン・テーニの収集・分類と翻訳および解説という民族誌としての十全な体裁を完備していたのに対し、改訂版では口承を考察する上で重要な資料となる補遺の部分が削除されたばかりか、マダガスカル語の原文までもが削除されてしまっているのである。もしこの改訂版を民族誌として考えるならば、たとえ訳文の訂正等がなされていたとしても初版からこれほど後退しまたこれほど不完全なものもないであろう。もちろんガリマールという大手出版社から発行し、ハイン・テーニを広く人に読んでもらうためにポーランが選んだ妥協の結果ないし戦略と考えることも、ひとつの可能性ではある。が、単に上記の六点の改訂ないし改変を施して『ハイン・テーニ』を再版することだけが目的であったならば、果たして25年の時を待つ必要があったであろうか?
  以上の二点を考え合わせるならば、改訂版『ハイン・テーニ』は、もはやマダガスカルという個別文化研究の脈絡を離れ、ハイン・テーニという名の許に『タルブの花』で約束することになる言葉の未来について、ポーラン自身が実践した創作集そのものではなかったのか。とすればそれは、マダガスカルという一フランス植民地で青年期の一時を過ごした一人のフランス人中学校教師によって、その言葉への旅の果てからシュルレアリスム運動の最後の花が咲く中に向けて放たれた、「定型に非らざる定型」という新たな救いともあるいは永遠の呪縛ともなりうる見事な実果そのものであったやもしれない。それでもなお、この凛と張りつめられた糸の先にある錘鉛の重さを、人は植民地という歴史的コンテクストに捉えられた一個人のエクゾテイシズムとして語らねばならないのであろうか。
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