定型に非ざる定型の救い
  ブルトンとエリュアールが決別した1938年に、『ハイン・テーニ』の改訂第二版が、ガリマール社から出版された。それから三年後、迫り来る戦争の足音の中でポーランは、詩・文学・言語についての代表的論考である『タルブの花 文学における恐怖政治』を同じガリマール社から世に問うた。
  創造や精神や思想や観念の優位を掲げ、諺や紋切り型や常套句、果てはいかなる規則や様式までをも文学や詩から追放しようと図る人々を「テロリスト」と名付けた上、花泥棒を警戒するあまり一切の花の持ち込みを禁止したタルブ市の公園の入り口に掲げられているという掲示になぞらえ、その試みの不毛性を論難し、諺や紋切り型や常套句の秘めた可能性を指摘することがこの『タルブの花』の基調である。
  諺・格言・紋切り型・常套句−「テロリスト」によればそれこそが思想や精神を抑圧する言語の代表−がこれまでに培ってきた豊饒性と現在でも孕む可能性について、ポーランは本の全編にわたって繰り返し様々な言葉を費やしながら説いている ;
  「われわれに対してもっともよく隠されてあるものこそまさしく当の陳腐なものであるということも間々あることなのだ。常に詩とは、習慣が被い隠していたところの一匹の犬だとか、一つの石ころだとか、ある陽差しだとかを不思議なものとしてわれわれに示してくれるものなのである」(J.ポーラン 1968 p.43)。
 「ともかくわたしは、言語というものはすべて表現であって欲しいし、表現はすべてわれわれを拘束するものであって欲しい。そうであればあとは、その拘束が恒久的なものであるということを証明することだけが残るだろう。ところがここでも全くその反対で、言葉は一度発せられると、もっとも支離滅裂な深い人生にわたしを連れ戻してしまうようなことがおこるし、また拘束されていればいるほど、それだけいっそう、わたしは自由に感ずるということもおこるのである」(同上 pp.85−86)。
  「常套句という場においてわれわれは言語の創造の恒常的な執拗な試みに立ち会っているのだともいえるのである。−−−あらゆる家庭、あらゆる部族、あらゆる流派は、他人に秘密の意味をもたせた自分たちだけの≪言葉≫や自分たちだけの親しい言い廻しをつくりあげるものである。それは、もっと広い社会におけるスローガンとかはやりの冗談とか歌い文句などについても同様である。こうした数々の新語が生れでて、さまざまな暗示に充ち、やがて単一の意味を帯び−数年間、時には数日間の常套句の道を辿りながら−大概の場合には消え去ってしまうのである。ところで日常経験することだが、こうした語句の使用は、いささかでも贅言の印象を与えるどころか−−−それとはほど遠いものなのである。われわれにとってそれらを使用するときほど、思想が言葉から自由になることはないのである」(同上 pp.106−107)。
  「われわれにとっては、はっきりと確かめられた点が一つある。それは常套句が常套句ではないということである。その名に反して。見かけによらず。その全く反対に、常套句を特徴づけている−無力から混乱にいたるまでこれまでみてきたところのさまざまな欠陥がそこから生じてきているところの−一性質があるとすれば、それは常套句が殊更に二重あるいは四重の解釈を許す不安定な変化しやすい表現であり、言語の怪物、省察の怪物のごときものだということである。−−−紋切り型は、曖昧さや混乱をようやく取り除かれたその日から、文学の世界にふたたび市民権を取戻すことができるであろう。ところでそのためには、ただそれを紋切り型だとみなすことを決定的に認めるだけで足りるはずであろう、というのは混乱はその性質に対するある疑いから生じているのであるから。要するに、常套句を常套句にし−また共に同じ運命を辿り同じ法則に従うところの、さらに広範な常套句すなわち規則や法則や比喩や三単一の法則などを常套的にするだけで足りるのだ。せいぜいいくつかのリストといくばくかの註釈が要るだけであろうし、まず手始めに僅かばかりの善意と単なる決意とがあればいいのだ。」(同上 pp.162−163)。
  「一切の言葉、あるいはほとんどすべての言葉は恣意的であるということをたまたま観察したことがあった。だがそれはまた恐怖政治が常に抱いている郷愁、すなわち無垢の直接的な言語、そこにおいては言葉が物に似ており、どの言葉も呼びだされ、どの語も≪あらゆる意味に通ずる≫ような黄金時代という固定観念でもあるのだ。したがって、言葉がそのように透明なものになるならば、言葉の力なぞ、いささかもそこに忍び込む余地はありえないのである。こうした言語を喚びさまして感動せぬものが誰がいよう?だがしかし、それを手に入れることができるかどうかは、一にかかってわれわれが次第なのである。なぜならば、いかなる常套句も−詩句も脚韻もあるいはジャンルも−そうしたものと見なすや否や−こうした言語に属するものとならぬような、そしてまた、まさしくこうした言葉とならないようなものは一つも存在しないからである」(同上 pp.166−167)。
  「言葉を覚えるのではなかった」という想いあるいは「言葉を覚えていない赤ん坊や原始の人間という存在」への遡行の夢想を抱いたことのない作家は、恐らく存在しないであろう。それはもちろん、自らが他者に対して伝えたい事柄に比べ、言葉によって伝えることのできる事柄がいかばかりかわずかであり、なおかつそのわずかばかりの事柄を成すのにどれほどの時として虚しい努力を必要とするのか、そのもろもろが作家にささやきかける誘惑であり、その時人は「言葉の無い世界の無限の広大さと自由さ」に一瞬の憧憬を抱かないわけにはゆかない。しかし、『O嬢の物語』の跋文においてバルバドス島の解放された奴隷たちが再び奴隷となることを求めて起こした暴動に言及しながら「この世の自由に対する無条件の情熱は、やはりそれに劣らず無条件の闘争や戦争をひき起こさずにはいないということを、誰もが知っている。−−−結局、恋人や神秘主義者によくあるように、他人の意志に身をまかせるということ、自分一個の快楽や利害や複合感情から解放されたわが身を知るということは、崇高なことなのであり、歓びを伴うことなのである」(P.レアージュ 1973 pp.3−5)と書くポーランにとって、他者と係わるものとして言語が存在する限り言語が拘束を伴うことは不可避であり、そうであるがゆえに拘束そのものの中に言語の可能性を見出すことは、ことさらに逆説を弄ぶことなどではなかった。このような視点に立った時、「話し手同士が互いにある表現に通じていて理解し合い、その言葉づかいに決してつまづいたりすることなぞな」い(前掲 1968 p.156)常套句とは、他者との間に既にして開かれた言葉の最大限の自由に他ならない。あたかも、「愛し合う二人が激しくまた生き生きした自由を感じながら互いに求め合ったのも、まさしく一生の間、互いに節を守り通すということだった」(前掲 1968 p.190)ごとくに。
      ポーランは、この言葉と人間との分かちがたい関係の逆説を逆説として拘束を拘束として進んで受け入れることを、繰り返し主張してやまない ;
  「超現実主義者が、聖なる恍惚とか内奥の旋律とかに比して、語の計量や計測を軽視するなら、このうえなく不愉快な仕方で罰せられることになる。というのは、詩作品から離れ去って行くのを示すために彼は書かねばならなくなるだろうし、自分が語になんら拘束されていないのを確証するために語を並べたてるはめに陥るからである。結局、彼には、人間に固有の条件が何もなくても、詩となるには充分だと思われる。鳥は空気の抵抗がなければもっとよく飛べるような気になるが、謹厳に規則を守る詩人も、韻や語が存在せず、音節がなければと思うのである」(J.ポーラン 1986 p.118)。
  では、常套句を常套句として紋切り型を紋切り型として受け入れ用いた時、現実にはどのような詩や文学を書くことができるというのか?あるいは、シュルレアリスムの自動記述などの試みに対し、このような主張の実践がどれほどの可能性を言語とその表現にもたらすものなのか?「ただそれをあるがままに受け入れればいい」とポーランが述べる時、作家ならば必ず糺してみたくなるこれらの問いに対して、ポーラン自身は、何ら作品をもって答えてはいない(註12)。もちろん、「名伯楽」とも謳われた『フランス新評論』誌編集主幹としてのポーランとすれば、『タルブの花』を書き終えた時点で、全ての責は全うしたとも言えよう。がしかし、ここで『タルブの花』に先がけて出版された改訂版『ハイン・テーニ』を、今一度二つの点から振り返ってみる必要があろう。
  その第一点は、ハイン・テーニとは何か、すなわちハイン・テーニをハイン・テーニたらしめるものとは何かということである。この一見自明ともみゆる問いをたてた瞬間、人は堂々めぐりの袋小路に陥らざるをえなくなる。その思いは、「ハイン・テーニ」の説明を求めてマダガスカル語関係の辞典をひもとく時、より一層深い;
  1)「当意即妙のやりとり。格言。諺。通常、愛の事柄についての民衆の格言に対して用いられる」( D. Johns , 1835 , p.93 )(註13)。
  2)「諺、言葉の比喩。当意即妙のやりとり、格言」( R.J.Richardson , 1885 , p.220 )(註14)。
  3)「諺」( Abinal et Malzac , 1885 , p.205 )(註15)。
  4)「愛についてとりわけ身体を求めることについて、男性と女性とが相互に応える美しい単語や諺に彩られたひとまとまりの言葉」(B.F.F.Z.M. 1937-1973 , p.77 )(註16)。
  5)「諺に彩られた例を用いて、知識や頭の良さを示した言葉、昔の人々は忠告の際に用いあるいは恋愛を語りあう際に男女が互いにやりとりしあった」(R.Rajemisa-Raolison , 1985 , p.400 )(註17)。
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