註
  (註1)自身の仕事に直接関係のないアイルランドや日本に旅したことの理由を問われた
1963年のジャン・ポーランの言葉(B. Domenichini-Ramiaramanana , 1983 p.21)。
  (註2)F.T.M.とは、マダガスカル国立測地・地図製作研究所のこと。ここには、フランスがマダガスカルを植民地化した直後の19世紀後半から20世紀前半にかけて各地で撮影された古写真が所蔵されており、その複製サービスが行われている。
  (註3)以下に引用するハイン・テーニは、
  Jean Paulhan , Hain-Teny Merina : poesies populaires malgaches , 1991 ,
Antananarivo : Foi et Justice
  Jean Paulhan , Les Hain-Tenys , 1938 , Paris : Gallimard
の二冊を出典として用いている。上記の1991年出版の『ハイン・テーニ』は、ハイン・テーニについてのポーランの解説文が省かれているが、原文と訳文の点では1913年の初版を底本とした復刻版である。一方、1938年の『ハイン・テーニ』は、ポーラン自身の手になる改訂第二版である。
  (註4)原文およびフランス語訳文は以下の通り;
 
マダガスカル語の原文 1913年のポーランのフランス語訳
Diavolana an-kady
Mazava an-tanana
Izany setrok'afon'ny atsy andrefana
Tsy mba setrok'afo fa angolagola
Izany toto varin'ny aroa atsinanana
Tsy mba toto vary fa haitraitra
Hitsidika aho manan'ila
Hitoetra aho menatr'olona
Clair de lune dans le fosse.
Clarte dans le village.
Cette fumee , vers l'Ouest ,
N'est pas de la fumee , mais une coquetterie.
Ce riz que l'on pile , vers l'Est ,
N'est pas du riz que l'on pile , mais un caprice d'amour.
Irai-je en visite ? J'ai une femme .
Si je reste ici , j'aurais honte.

  (註5)20世紀に入ってから創作され、作者の特定されているハイン・テーニのアンソロジーとしては、Francois RAKOTONAIVO編 Hainteny Ankehitriny , Fianarantsoa :
Ambozontany , 1990 を参照。
  (註6)マダガスカルの農村風景等を視覚的に知りたい人は、文/写真:堀内孝「アフリカの中のアジア マダガスカル」『アサヒグラフ』3985号 1998 pp.1−25および文/写真:堀内孝・文:深澤秀夫「マダガスカル断章」『季刊民族学』86号 1998 pp.3−58を参照のこと。
  以上の二点を考え合わせるならば、改訂版『ハイン・テーニ』は、もはやマダガスカルという個別文化研究の脈絡を離れ、ハイン・テーニという名の許に『タルブの花』で約束することになる言葉の未来について、ポーラン自身が実践した創作集そのものではなかったのか。とすればそれは、マダガスカルという一フランス植民地で青年期の一時を過ごした一人のフランス人中学校教師によって、その言葉への旅の果てからシュルレアリスム運動の最後の花が咲く中に向けて放たれた、「定型に非らざる定型」という新たな救いともあるいは永遠の呪縛ともなりうる見事な実果そのものであったやもしれない。それでもなお、この凛と張りつめられた糸の先にある錘鉛の重さを、人は植民地という歴史的コンテクストに捉えられた一個人のエクゾテイシズムとして語らねばならないのであろうか。
の二冊を出典として用いている。上記の1991年出版の『ハイン・テーニ』は、ハイン・テーニについてのポーランの解説文が省かれているが、原文と訳文の点では1913年の初版を底本とした復刻版である。一方、1938年の『ハイン・テーニ』は、ポーラン自身の手になる改訂第二版である。
  (註7)原文およびフランス語訳文は以下の通り;
 
マダガスカル語の原文 1913年のポーランのフランス語訳
Vitsika aho ka vitsika
Aroa andrefana aroa hono
Misy tanimbary madinidini-bary
Tsy ny tanimbary no madinidini-bary
Fa isika roroa no madinidini-pitiavana
Je suis une fourmi , et une fourmi
La-bas , dit-on , a l'Ouest ,
Il y a des rizieres au riz petit , petit .
Ce ne sont pas les rizieres dont le riz est petit , petit :
Mais c'est notre amour a tous deux qui est petit ,
petit :
  (註8)原文およびフランス語訳文は以下の通り;
 
マダガスカル語の原文 1913年のポーランのフランス語訳
Izaho vary ary hianao rano
An-tsaha tsy mifandao
An-tanana tsy misaraka
Fa isak'izay mihaona
Fitia vaovao ihany
Je suis le riz , et vous etes l'eau :
Ils ne se quittent pas dans le champs ,
Ils ne se separent pas dans le village ;
Mais chaque fois qu'ils se rencontrent ,
C'est entre eux un amour nouveau .
   (註9)マダガスカル語原文およびそれに対する私訳は以下の通り;
 
マダガスカル語の原文 原文からの私訳
Voan-kazo nirina hianao
Akondro notadiavina
Ka na seranin-dolo aza
Dia tsy havela tsy akory
Fa raha matin-java-nirina
Zana-mamba natelin-dreniny
Ka lanin'ny kibo nitoerana
あなたは欲せし果実
探し求めしバナナ
ゆえに立ち寄る蝶さえ
たえて立ち去ることなかりし
探し求めしもの死せる時は
母鰐に飲み込まれし子鰐
かつて在りし腹にて食される
  (註10)1913年版および1938年版のポーランのフランス語訳文は以下の通り;
 
1913年版のフランス語訳 1938年版のフランス語訳
Vous etes le fruit desire,
La banane precieuse.
Meme si le papillon vous affleure ,
L'on ne vous quittera point.
Celui qui meurt pour ce qu'il aime
Est un petit caiman avale par sa mere :
Il est mange par le ventre qui l'a abrite.
Vous etes un fruit desire,
Une precieuse banane.
Meme si le papillon vous effleure,
Je ne vous quitte pas.
Celui qui meurt pour l'aimee
Est un petit caiman que sa mere mange
Il revient au ventre qu'il connait bien.
  (註11)マダガスカル語の原文は以下の通り;
  Kiaka ny andro , vaky ny masova ; Aliny ny andro , vaky ny diavolana .
  Tandrok'i Menagala , tompoko anao , Tsy aza atao kapeky ;
  Tongoan'iMenagala , Merana am-botria ;
  Jaboran'iMenagala , Karaha tamotamo.
  (註12)晩年、ポーランがHAI-KAIすなわち俳諧の名の許に、未発表ではあったものの作品を創って残していることは、この点から注目に値する
La Nouvelle Revue
Francaise
: Jean Paulhan 1884-1968 , Paris : NRF , 1991 pp.300-302 )。
  (註13)この辞書は、ロンドン宣教協会の手によって編纂された、マダガスカル語についての英語はもとより文字によって記され解説が加えられた初めての本格的な辞書である。
  (註14)この辞書は、ロンドン宣教協会によるマダガスカル語研究の集大成と位置づけることができ、現在に至るまで最も詳細なマダガスカル語−英語辞典である。
  (註15)この辞書は、恐らくロンドン宣教協会の上記のマ−英辞典に対抗してカトリックの側がマダガスカル語研究の成果を急いで誇示するために編纂したものであるが、これもまた現在に至るまで最も詳細なマダガスカル語−仏語辞典である。
  (註16)この辞書は、複数の著者によって1937年からAの項目より書き始められ、1973年にMAの項目まで達した時に著者全員の逝去によって終刊した、最も浩瀚なマダガスカル語によるマダガスカル語およびマダガスカルの事物についての解説書ないし百科事典である。
  (註17)この辞書は、1985年に出版され、現在最も新しいマダガスカル語によるマダガスカル語についての辞典である。
前のページへ 12 次のページへ
このウィンドウを閉じる