東地中海における人間移動と「人間の安全保障」

研究会報告

2007年度(平成19年度)

第1回研究会報告

日時:2007年7月21日(土)14:00~17:30
場所:東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所3階大会議室(303)


北澤義之(AA研共同研究員、京都産業大学)
「パレスチナ問題の現状と人間の安全保障―イラク・パレスチナ難民を中心に―」
(報告要旨)

2003年の「イラク戦争」の後、イラクから逃れたパレスチナ難民がヨルダン国境で入国を拒否され、国境付近のキャンプで長期間、非人道的な状態で放置された。イラクのパレスチナ人が、前サッダーム政権下で「優遇」されたことが、少なくとも一部イラク人の反発の原因となったとされている。しかし、人権関連のNGOやPLOの報告によると、ほとんどのパレスチナ人は「優遇」されていたというよりは、実際には保護の名の下に自由を制限されていたのである。今回の問題には、イラクの社会的混乱の中で、様々な不満が弱い立場のパレスチナ難民に向けられたことが背景にあったものと思われる。

パレスチナ難民は一般的にはUNRWAの保護下に置かれていると見なされているが、イラクのほとんどのパレスチナ難民のように、UNRWAとUNHCRの管轄の狭間に取り残されて、十分な保護を受けていないケースもある。2003年時点でUNRWAに登録されている1948年難民397万人に対して、1949年難民であってもUNRWA未登録の154万の難民や75万の1967年避難民は、制度的に国際組織の手の及びにくい部分となってきた。また、国別に見るなら、西岸・ガザ、ヨルダン、シリア、レバノンといったいわば難民問題の中心地ではなく、イラク、リビア、エジプト、湾岸諸国にいる少数派のパレスチナ難民は、諸国の枠組みの中で自由を束縛されながら、国際的保護の枠外に置かれてきた。

翻って、パレスチナ人全体を代表するPLOや占領地パレスチナ人を代表するパレスチナ自治政府は、1990年代以降は、中東和平プロセスの枠組みでの活動に重点を置いてきた。立場上、致し方ないとはいえ、これまでのPLOは、対イスラエル関係や対米関係など「安全保障」や「独立」や「領土」をめぐるポリティクスの一部として難民問題一般を扱う傾向が強くなっていた。例えば和平交渉進展のためには、難民問題を先送りするといったやり方もその一つである。

このような状況に鑑みて、人間の安全保障概念が重要な役割を担うものと思われる。難民をめぐるNGOやNPOの活動は、国際政治のせめぎあいの中に忘れられた難民個々人の基本的権利を重視した対応の必要性を喚起して止まない。今後、地域研究者は特に難民問題を巡っては、人間の安全保障概念の貢献やNGO活動の役割を念頭におきつつ、各国の難民への制度的対応を整理し、更に広く歴史的・地域的・社会的コンテクストから位置づけていくことで、人間の安全保障概念を鍛え直すことを求められているのではないだろうか。


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