東地中海における人間移動と「人間の安全保障」

研究会報告

2004年度(平成16年度)

第1回研究会報告

日時:2004年7月17日(土)14:00~18:00
場所:東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所セミナー室(301)



屋山 久美子(東邦大学非常勤講師・国立民族学博物館共同研究員)
「ハラビーム(アレッポ系ユダヤ人)」の移動と宗教歌唱「シラート・ハバカショート(嘆願唱)」の伝承―アレッポからエルサレムへ、そして…(報告要旨)

「ハラビーム(アレッポ系ユダヤ人)」は自らのコミュニティの歴史や文化に対する意識が高く、組織力が強いコミュニティとして知られている。その彼らが誇る伝統がヘブライ宗教歌唱「シラート・ハバカショートShirat ha-Baqqashot(嘆願歌唱)」である。これは、アレッポからエルサレムに移住したハラビームによって19世紀にエルサレムに伝えられ、他のミズラヒーム(中東系ユダヤ人)の音楽文化や中東音楽の動向と絡み合いながら現在に継承されている。

ハラビームは、アレッポを「アラム・ツォバAram Zoba」と呼び、そのコミュニティはローマ時代から20世紀に前半まで存続した。中世から多くのユダヤ賢人が訪問し、16世紀から18世紀までスファラディームや「フランキーム(イタリア・フランス系のユダヤ人)」の移住が繰り返されたこのコミュニティは、独自の高いユダヤ宗教文化を築いた。宗教歌唱文化は、ルーリア派のユダヤ神秘主義カバラーの思想のもと、アラブ・トルコの世俗音楽を基盤にしてヘブライ宗教歌を作詞するというかたちで花開いた。

19世紀後半、ハラビームはエジプト、アメリカ大陸、パレスチナへの移動を始めた。エルサレムへは特にユダヤ賢人、ラビなどが多く移住した。彼らは、西エルサレムの「ナハラト・ツィヨンNaharat Ziyon」と「シュクナット・ブハリーム Shkhnat Bharim」の二つの地区に居住し、これらの地区は「シラート・ハバカショート」の中心地になる。同時期、各地域のミズラヒームのエルサレムへの移住の波があったことも忘れてはならない。ハラビームの「シラート・ハバカショート」の伝承は様々な出自のミズラヒームとの出会いの中で転換していく。

「シラート・ハバカショート」は、歌詞が記された宗教歌集と歌い手自身の声によって伝承される。エルサレムでは19世紀にアレッポで出版された歌集を基にして、ヘブライ宗教歌集が次々に出版された。それらの歌集を紐とくと、その編集や出版に関わった者、また重要な歌い手たちが、ハラビームだけでなく、イラン系、イラク系、イエメン系、ウズベキスタン(ブハラ)系などのミズラヒームであったことがわかる。アラブ音楽の旋法体系である「マカームmaqam」に基づいた音楽は、合唱で拍節的に歌われる部分と独唱によって即興的に歌われる部分から成る。前者の旋律は、アレッポから伝承されたものが墨守されるが、後者の即興部分では、歌い手が自分の出自や地域の表現を個人的な表現として表明し、様々な音楽的表現を織り込むことを可能にする。

この歌唱伝統は中東の音楽様式の坩堝であり、ハラビームのエルサレムへの移動と中東系ユダヤ人の移動が音楽表現というかたちで反映された世界である。多くの様式がバランスと緊張を伴って歌われるとき、中東各地を移動し、現在エルサレムに生きるユダヤ人たちの軌跡が浮かび上がる。

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