<スマトラの昔話> 前のお話 次のお話

ぶらさがり石

 

一人の娘が両親と一緒に小さな村に住んでいました。彼らは、トバ湖のほとりの絶壁近くに畑を持っていました。普段はいつも、その娘は両親と一緒にそこで畑仕事をしていました。しかし、ある日、彼女は一人で愛犬のギプルと畑に行きました。両親は用事があって、別 の村に行ってしまっていたのでした。

畑に着いても、娘はいつものようには仕事をしませんでした。彼女は悲しい顔をして、物思いにふけりながら、トバ湖の方を眺めて座っていました。彼女の愛犬ギプルも彼女の隣に座っていました。昨夜、ある青年と結婚させられるということを母親から知らされて、悲しみに打ちひしがれていたのでした。その青年は父親の女兄弟の息子でした。しかし、娘には、両親に内緒で付き合っている別 の青年がいたのでした。しかし、彼女の両親はそれを知らず、ほかの青年との結婚を決めてきてしまったのです。

一人で畑に座っていると、彼女の心はだんだんと混乱してきてしまいました。彼女は自分の愛する両親の希望をはねのけることはできませんでした。しかし、自分自身で選んだ青年との誓いを裏切ることもできませんでした。板ばさみにあった気分でした。彼女は、「食べれば父親が死ぬ 。食べなければ母親が死ぬ」といわれているマラカマの実を食べさせられる思いでした。

彼女はこの目の前にある困難をどう乗りきればよいのか分からず、失望してしまいました。涙を流しながら、彼女はトバ湖へおちる深い崖の方へゆっくり歩いていきました。彼女はその高い崖から飛び降りようとしていたのです。彼女の愛犬ギプルも心配そうに彼女の後からついて行きました。ギプルは自分のご主人様がこれから何をしようとしているか察しているようでした。

崖に近づくにつれ、彼女の頭の中はますます混乱し、足元を注意することすらできませんでした。そして、崖にたどりつく手前で、彼女は地面 に空いた大きな穴に足をすべらせてしまい、体ごと穴に入ってしまいました。彼女はどんどん下の方へ落ちていきました。周りには黒い岩しか見えませんでした。彼女は頭がぼうっとしていて、その岩が彼女を押しつぶそうと迫ってくるように見えました。それを見て、彼女は「パラパット、パラパット、バトゥ、パラパット(閉じろ、閉じろ、石よ、閉じろ)」と、繰り返し叫びました。彼女は周りの岩に押しつぶされて死んでしまいたいと願ったのでした。

彼女が穴に落ちてしまったので、ギプルは一人取り残されてしまいました。ご主人様が消えてしまい、ギプルは穴の中に向かって吠えつづけました。そばを通 りかかった二人の農民が、ギプルの泣き声に気づきました。二人は、その穴に落ちた娘と同じ村の住民でした。二人の農民はギプルがほえている方へ急いでやってきました。彼らが来てみると、ギプルは目の前の穴に向かってほえていました。突然、穴の中から「閉じろ、閉じろ、石よ、閉じろ。」という声がかすかに聞こえてきたので、二人の農民はびっくりしてしまいました。彼らは、その声の主が誰なのかは分かっていましたが、どうしたらいいのか分かりませんでした。穴の中に入ろうにも、それだけの勇気がありませんでした。助けを呼ぼうとしても、そこには誰もいませんでした。もう辺りも暗くなってきたので、彼らは、ギプルを連れて村へ戻りました。

村に着くと、彼らは直接、少女の両親の家へ行きました。両親も少女を探しに行ってちょうど家に戻ったところでした。両親は、二人の農民がギプルを連れてきたのを見て、娘に何かあったのではないかと心配しました。

二人の農民がトバ湖に落ちる崖近くで彼らが目にしたことを伝えると、少女の両親は、自分たちの娘がその穴に落ちてしまったに違いないと思いました。

その知らせはすぐに村じゅうにひろまりました。その知らせを聞くと、村の人々は少女の両親の家に集まってきました。もう日はすっかり暮れていましたが、みんなはぞろぞろと少女を助けに行きました。

少女が落ちてしまった穴に近づくと、突然、「閉じろ、閉じろ、石よ、閉じろ」というかすかな声が聞こえて、彼らは驚きました。しばらくすると、ごろごろと音がして、穴はふさがれてしまい、もう、娘を助け出すことは出来なくなってしまいました。

数日後、娘が閉じ込められてしまった穴から遠くないところで市が開かれました。市場には、その周辺の村から人々がたくさん集まってきました。市場では、その娘の出来事が噂されました。人々は、穴がしまる前に「閉じろ、閉じろ、石よ、閉じろ(パラパット、パラパット、バトゥ、パラパット)」と穴から声がした、と語りました。その言葉が娘の悲しい物語を伝えるときに繰り返し語られたので、やがて、その市場はパラパットという名前で知られるようになりました。後に、その市場はトバ湖のほとりにある小さな町へと発展しました。

その少女の悲劇がまだ人々の記憶に残っているとき、大きな地震がおこり、トバ湖のほとりの崖が崩れました。そして、石がトバ湖に崩れ落ちました。地震がおさまると、崖から大きな石が突き出ていました。その石の形はちょうど一人の少女の姿のように見えました。そのため、人々は、その石は、きっと昔トバ湖近くの穴に落ちて死んだ少女の変わり果 てた姿であろうと言いました。その石はあたかも崖の面にぶらさがっているように見えたので、その少女の形をした石は、「ぶらさがり石」と呼ばれるようになりました。

 


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