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ヤシの木シアウ島の首長ビキビキ

テキスト提供:小澤俊夫さん

 

       
 むかしシアウ島に、ひとりの首長とその妻が住んでいた。ふたりはビキビキとマンガングビといった。首長は偉大で、知恵のある賢人だったので、島の人びとはみんな首長の命令と指図にいつも従っていた。ビギビキは熱心に狩りをしたり、漁をしたり、畑を作ったりして暮らしを立てていた。収穫は絶えずふえていったので首長はすぐに金持ちになった。

ところが、シアウ島の人びとは片時も首長の晴ればれした顔を見たことがなかった。何が一体首長の心に重くのしかかっているのだろう? 土地は肥えているし、島民はよく従っているし、人びとの生活は豊かなのに。首長とその妻がいつも悲しそうなのは、ふたりに子供がいないためだということがとうとうわかった。

ふたりは夫婦になってから何年もたっていたけれども、まだ子宝に恵まれていなかった。神がみが子供を恵んでくれるようにと、ふたりはいろいろの生贄やお供物をささげ、米や野菜を奉納した。しかしふたりがどんなに努カしてもまったくむだだった。ところがただ一度だけ、たったひとりだけれども子供に恵まれるだろうという夢をみた。そうするうちにまた数年がたったが、ふたりは、神がみが約束してくれたものをまだ受け取っていなかった。

 ある日、首長と妻はサゴやしの実を取りに出かけた。たくさんあるサゴやしは長いこと切られていなかった。サゴやし林に着いたとき、ふたりは驚いた。大きなサゴやしの木の枝が、もの言いたげに突然ふたりに向かって揺れ、葉っぱがざわめいたかと思うと、「首長さん、首長さん。ぼくを切り倒してください」というかすかなやさしい声が聞こえたのである。

その木を急いで調べてみたけれど、木にはこれといって変わったところはなかった。ふたりは木を切り倒しにかかり、やがて地面に倒した。そしてふたりがまさにその木を割ろうとしたとき、突然かすかなやさしい声が聞こえた「首長さん、首長さん。ぼくの頭に当てないでね。木をそっとふたつに割ってぼくを取り出してください。ぼくはおふたりの子供になるようにって神がみから遣わされたんです」。

ふたりが気をつけてその木を割ってみると、見た目にかわいらしい、ちゃんとした身なりの小さな子供が現れた。首長と妻は子供ができたのでどんなに喜んだことだろう。ふたりはその子をセンセ・マドゥーネと名づけたが、それはサゴやしから生まれたという意味だった。

ふたりはセンセ・マドゥーネをそれはそれは大事に育て、その子に役立つことならどんなことでも教えた。だから、センセ・マドゥーネがやがて勇気ある若者となり、弓矢の達人となったのもふしぎではなかった。若者の日課はしかを追い、漁をすることだった。センセ・マドゥーネは、近くのジャングルというジャングルを荷物を求めて駆けずりまわり、島じゅうの池や湖で魚つりをした。

 あるとき若者は狩りと魚つりに、遠くまで出かけることにした。何日間か歩きまわると、森の中のトゥカデンという名の湖にやってきた。湖水は澄みわたり、魚がたくさん泳ぎまわっていた。湖畔には木が生い繁り、水蓮が色美しく咲き乱れていた。この美しい湖を見て、センセ・マドゥーネはどんなに驚いたことだろう。若者は腰を下ろして、野がもや水鳥が追いかけっこをしているのを見ていた。そしてすっかり感激して、湖を立ち去ることができなかった。

若者が湖に魅せられてなおもすわっていると、突然大きな白い鳥が七羽舞い降りてきた。鳥は水浴びに降りてきた天女だということがわかって、若者はすっかり驚いてしまった。天女はすばやく着物と羽を脱ぎ、湖の中でお互いに水をかけあって楽しく遊んでいた。水蓮はほほえみかけながら絶えずおじぎをしていたし、魚は水の中でその遊びに仲間入りしていた。

しばらくしてセンセ・マドゥーネはすばらしいながめを見るチャンスに恵まれた。というのは天女たちがふたたび陸に上がって衣をまとい、羽を身につけて天上へとすばやく舞い上がっていったのだ。

 次の日の朝、センセ・マドゥーネは天女がいつも着物と羽を脱いでおく湖岸の秘密の場所にふたたび腰を下ろしていた。センセ・マドゥーネは美しい天女にほれこんでしまったので、前の晩よく眠ることができなかった。そして天女のひとりを妻にしたいという望みが心のうちにわいてきた。

センセ・マドゥーネがここで待っていようと腰を下ろすと、すぐに愛らしい歌が天から聞こえてきた。そしてだれが歌っているのだろうと振り向いて捜すいとまもなく、天女たちはセンセ・マドゥーネの前に舞い降りてきて、着物と羽を脱ぎ、きのうのように楽しげに水浴びを始めた。そこでセンセ・マドゥーネは急いでひとりの天女の着物と羽をさおでひっかけて取り、それを細かく引き裂いて沼の中へ沈めてしまった。

水浴びが終わると天女たちは岸に上がってきて、着物を着、羽をつけると天上へ舞い上がっていった。ところがひとりだけは着物と羽が見つからなかったので、もはや天上へ舞い上がることができなかった。天女は涙ぐみ、すすり泣きはじめた。そこへセンセ・マドゥーネがかくれ場所から出ていって、妻になってほしいとくどいた。妖精はもう天上へもどることができないので、請われるまま、若者の妻になった。ふたりはシアウ島にもどり、いっしょにむつまじく暮らした。

 ところでふたりが結婚する前、天女は、私はいつまでも忠実な妻でいるけれども、ただ鳥の羽の焼けるにおいだけはがまんできないと話していた。それでセンセ・マドゥーネはどんなことがあっても妻には、鳥の羽の焼けるにおいをかがせないように、いつも心がけていた。こうしてふたりは長い間いっしょに暮らして、そのうちに丈夫な子供が三人できた。両親は子供たちに役立つことならどんなことでも教えた。

 ある日のこと、センセ・マドゥーネと三人の息子たちはまた森へ狩りに出かけた。そして森の奥へ進むうちにトゥカデン湖に出た。息子たちは、その湖の美しさに驚嘆した。三人が吹き矢で射落とした野がもや水鳥の数はおびただしいものだった。獲物を受け取ったとき母親はとても喜んだ。ところが突然とても悲しくなった。それはその死んだ鳥の中に、むかし、自分がまだ天女だったころの水浴び仲間を見つけたからだ。けれども母親は息子たちに自分の悲しみについて何も語らなかった。

三人の息子は鳥の羽をむしり始めた。そしてとてもたくさんの羽をむしらなければならなかったので、きれいな羽をよりぬく暇さえなかった。鳥をもっと簡単に始末するために、息子たちは大きなたき火を用意した。そしてその炎のなかに鳥を一羽ずつ入れて、ぐるぐる回して焼いた。そこであたりは羽の焼けるにおいでいっぱいになった。

そのとき、突然センセ・マドゥーネは気がついて、妻のことばを思い出した。それで三人の息子を連れて家に走っていった。彼らが戸口をくぐったとき、すばらしく美しいまっ白なペリカンが四人の頭上をこえて飛び出して行った。センセ・マドゥーネは振り向いて、ペリカンを捕まえようとしながら叫んだ「そら、おまえたちのお母さんが飛んでいってしまう。捕まえるんだ!」 しかしペリカンは大空を天に向かって高く高く舞い上がっていった。

三人の息子はとても悲しんだ。息子たちはアウ山に大急ぎで行った。アウ山には籐の木がはえていてそのこずえが青い空まで届いていた。息子たちは母親を追いかけて木をよじ登り始めた。しかし、三人の兄弟がやっと半分ばかり登ったときに、あらしが起こって籐の幹に向かってはげしく吹きつけた。

三人はちりぢりに地上に吹き落とされた。長男はあらしによってズル島のパホバン・ズルゲまで吹きとばされた。そこで土地の娘をめとり、のちに天女の血筋ということで、ズル島の首長になった。次男は同じように地上に落ちて、やがてパハボン・タカの首長となり、三男はついにバラト・シアウ島の海岸地方の首長になった。

 さて、いつまでたっても妻も息子たちももどってこないので、センセ・マドゥーネはもしかしたら妻が水浴びに舞い降りてくるのを見られるかもしれないと思って、トゥカデン湖に行ってみた。しかし、男が天女のひとりを妻にしてからというもの、天女が水浴び場を他の場所に移したことをセンセ・マドゥーネはまったく知らなかったのである。その場所を見つけたひとは今日までだれもいない。


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