<ジャワの民話> 前のお話 次のお話

ヤシの木女王の港

   〜宰相位 争奪武道大会〜

 

パクアン・パジャジャランからの客
その日、シリワギ王は宮殿の謁見室で座っていました。その若くてたくましく、そして凛々しい王は、沈んだ顔していました。いつもの明るい顔はどこかへ消えてしまっていました。何かよくないことでもあったのでしょうか。
彼は年はまだ若かったのですが、公正で賢明で立派な王でした。話し方は落ち着いていて、威厳がありました。彼を見る者は誰もが、彼を敬い、そして彼の言葉に従いました。国民は誰もが彼を尊敬し、また彼の敵も彼に畏敬の念をもちました。彼が国王になって十数年、暴動や反乱は一度も起こったことがありませんでした。
スメダン王国は国民の生活状態もよく、繁栄していて、平穏そのものでした。本当に平和でした。それなのに、どうして王は暗い顔をしているのでしょう?
「僕には宰相が必要だ。僕が王国を留守にするとき、僕の代わりを務めてくれる人が必要だ。」と、王は心の中で言いました。
パクアン・パジャジャラン王国を治める父と同じように、シリワギ王もまた、精神を鍛えるために旅にでたり学問を求めたり修行をしたりしたかったのです。
王国の各大臣や長官、群長、そして召使達が、王を囲って座っていました。彼らは皆「王様はいったいどうなさったのだろう?とても憂鬱そうな顔をしていらっしゃる。何か王様のご意思に反する行為でもあったのだろうか?」と不思議に思っていました。
スメダンの長老レンセルは、王の隣に座り、王が何か説明か命令を伝えるのを今か今かと待っていました。王の意思を国民や国に仕える者達に伝えるのが、彼の役目だったからです。レンセルは、背が低く小太りでした。そして、頭は白く、また白いひげを生やしていました。
レンセル以外にも宮殿の中には王の補佐役が数人いました。彼らは分担して王の統治を補佐していました。
彼の妃、ニ・ラデン・ラジャマントリはいつもその若い王に付き添っていました。彼女はいつも王の右に座ります。そして、王と妃の両脇には、いつもがっしりとした護衛官がついています。王と妃が外出するときには、その護衛官のうちの2人が、王と王妃のために王国の傘をさします。
皆が集まったのを見て、王が話し始めました。「レンセル爺。最近、我が子アノム・マントリ・スンダ王子を見ないが、どうして彼は私のところに来ないのだ?」と、王は聞きました。
「王様。今、アノム王子はアンガディタ先生とまだ勉強の最中なのです。とても熱心にお勉強なさっています。とくに武術を熱心に学んでいらっしゃるようです。王子様をお呼びいたしましょうか?」と、レンセルは丁寧な言葉で言いました。
「ちょっと様子を見てきてくれないか?それで、もし勉強が済んでいるようなら、こちらへ呼んでくれないか。勉強の成果 を見たいのだ。」と、王は言いました。
「かしこまりました、王様。それでは、失礼いたします。」と言うと、レンセルはアノム・マントリ・スンダ王子の方へ行きました。
「大臣と長官、そして群長の諸君。我々は、これまでの諸君の助けと忠誠さには非常に感謝している。諸君の助けと忠誠さがなかったら、我々は我が父アンガララン王の指示に従うことはできなかっただろう。」
「閣下、お礼などおっしゃらないでください。力を合わせ王に仕えることは、わたくしどもの意思なのです。」と、一人の年老いた大臣が言いました。
「閣下がここに大臣、長官、そして群長をお集めになったのは、何かわたくしどもにご命令があってのことでしょうか?」と、その大臣が聞きました。
「実は、そうなのだ。ここに私の息子、アノム・マントリ王子が到着したら、それを伝える。」と、王は落ち着いて言いました。
「我々は、国や国民にとって重要な、ある問題について、諸君の有益な意見を聞きたいのだ。」と、シリワギ王は答えました。
王が、そう言い終わると、レンセルが二人の男に付き添われて、宮殿に到着しました。そのうちの一人は、とてもがっしりとした体格で、凛々しい顔の青年でした。
彼こそがアノム・マントリ・スンダ王子その人でした。外見も中身も父君そっくりでした。
もう一人のほうは、彼の師匠、アンガディタでした。彼はもう50歳を過ぎていましたが、体はまだ頑丈そうでした。
アノム・マントリ・スンダ王子はアンガディタに付き添われて、王に挨拶をしました。
「父上様、母上様、わたくし息子はここに敬意を表し、ご挨拶申し上げます。」と、アノム・マントリ王子は父親に似たきれいな声で上品に挨拶をしました。
「王様、お妃様、わたくしアンガディタも敬意を表し、ご挨拶申し上げます。」と、師匠も挨拶しました。
「我が子よ、そしてアンガディタ先生、あなた達の挨拶は快く受け賜った。二人そろって出向いてくれたことを感謝する。アンガディタ先生の意見も聞けるとなれば、さらに心強い。」と、王は言いました。そして、ラジャマントリ妃は息子とアンガディタの方を見て、微笑みながら頷きました。
「父上、私へのご用件とはいったい何でしょう?」と、王子は聞きました。
「まず、一つはお前に会いたかったということだ。ここ数日、お前は勉学のほうが忙しいと見えるな。もう、アンガディタ先生からいろいろなことを教わったか?」と、王は聞きました。
「はい、父上。ここ数日、アンガディタ先生の下で勉学に励んでおりました。そして、今日、ちょうどその特訓が終了したところです。」と、アノム・マントリ・スンダ王子は答えました。
それに続けてアンガディタが言いました。「申し訳ございません、王様。この愚かなわたくしめには、武術ぐらいしか王子様に伝授することができません。私は自分の持っている全ての技を王子様に伝授いたしました。しかし、私自身、この武術がアモン様自身、または国のために有益であるかどうか疑問なのですが。」と、師匠は謙遜して言いました。
その師匠の言葉を聞いて、王は満足そうに微笑んで言いました。
「武術だって、学問は学問だ。どのような学問も真剣に習得すれば、その人個人の内面 にも、一般の利益のためにもきっと役に立つのだ。だから、大事なのは、あなたがその心を我が子に植え付けてくれたかどうかだ。」
シリワギ王は一瞬話すのをやめました。辺りが静まり返りました。
しばらくしてから、アガンディタの声がしました。「はい、王様。」
それから、王が話しを続けました。「しかし、私の知る限りでは、アンガディタ先生は我が子に全てのことを教え込んでくれたようだ。とくに、礼儀と思慮分別 の力をつけてくれた。本当に感謝する、アンガディタ。」と、王は言いました。それから彼は息子の方に向き直り、言いました。
「アノム王子よ、お前を今日ここに呼んだのは、ほかでもない、この宮殿に使える者全て、そして王国中の者すべてに伝えたい大事な話しがあるからだ。」
「父上、その大事なお話しとは?」と、ラデン・アノムが言いました。
「つまり、こういうことだ、我が子よ。そして大臣や長官、そして群長達よ。」と、王は言いました。「我々の王国はますます栄え、発展してきている。それどころか我々の王国は他の国々にも存在を知られるようになってきている。我々は、私や私の父君アンガラランが思い描いているようにさらにこの国を繁栄させたいと願っている。そのために私は、宰相が必要だと思っているのだ。この宰相の地位 に就く者は、賢明で、私の右腕になるような人でなければならない。私がこのように言うのは、決してお前達の力が不足しているからなのではない。きっと、お前達も私の考えを分かってくれるだろう。私も自分の内面 を磨くために時には王国の外にも出たいのだ。そのためには、私が国を留守にしている間、仕事を任せることのできる宰相が必要なのだ。そして、諸君も承知のことと思うが、私はまだこの役目を我が子に負わすことはできない。彼はまだ若過ぎるからだ。だから、私は我が子にさらに真剣に勉学に励むよう願いたい。私が時々国を離れても、将来、お前が私の仕事を執り行ってくれるようにだ。諸君、この計画をどう思うか?諸君は、誰が宰相にふさわしいと思うか?」
一瞬、部屋は静まり返りました。彼らは自分達がそのような重大問題で意見を求められるとは思ってもみなかったのです。アノム王子がその沈黙をうち破りました。「私は父上の計画に賛成です。しかし、誰が適任かということについて、私は、自分が意見を述べるべきではないと思います。父上ご自身がお選びになるのがよいのではないでしょうか。」と、ラデン・アノムは言いました。
「私の意見を述べてもよろしいでしょうか、閣下。」とレンセルが言いました。
「どのような意見だ?レンセル爺。」と王は聞き返しました。
「私も、閣下がご自身で宰相を任命なさるのがよろしいかと存じます。我々よりも閣下ご自身が、その職に適した人物をもっともよくご存知でありましょう。」と、レンセルは言いました。
シリワギ王はレンセルの提案を聞いて微笑みました。「レンセルよ、私が任命するだけでよいのなら、こうしてわざわざ諸君に集まってもらうこともなかったのだ。我々は、我々の任命にた人物と諸君の希望する人物とが異なっている場合を心配しているのだ。誤解が生じたり、妬みあいが生じたりする恐れがあるからだ。」と、王は言いました。
レンセルは王の言葉を聞くと黙りました。それから、一人の大臣が言いました。「まずは閣下が大臣の中からその能力のあると思われる者を数人お選びください。そして、その中から、皆で、誰がふさわしいかを選びましょう。」と、内務大臣が言いました。
「どうやって選べばよいのだ?」と王は尋ねました。その大臣はしばらく黙ってから、言いました。「たとえば、くじ引きです。」
王は一瞬考えました。しかし、すぐに答えました。「しかし、くじ引きで選んであまり適任でない者が当たってしまったら、それこそ大変だぞ。」と、やさしく微笑みながら言いました。
数人の者が意見を出し合い、そして、王子も自分の意見を言いました。
「父上、私は選挙を行うという父上のご意見には賛成です。そして、選挙の方法ですが、魔術や武術の技を競わせて、もっとも優れている者を宰相に任命するのはどうでしょうか。」
そのアノム王子の意見には皆が賛成しました。そして、その意見に話しが落ち着きました。そして、シリワギ王が言いました。「それで、その競技の参加者は誰だ?それに、仲間同士の殺し合いということになってはしまわないか?」
アノム王子が答えました。「父上、そのようなことを避けるためにその競技に厳しい規則を設けるのです。そして参加者にその規則を遵守させるのです。」
王は何度も頷きました。彼は息子の言うことを理解しました。それから、言いました。「私も息子の提案に賛成だ。ほかに何か意見はあるか?」と、王は大臣達に聞きました。
誰も何も言いませんでした。そして、アンガディタは言いました。「どうやら、ほかに意見はなさそうですな。閣下も王子様の意見にご賛成のようですし、その案でいきましょう。」
そして、大臣達もアンガディタに賛成しました。そして、彼らはその競技の行われる時と場所を決めました。そして、全員の同意が得られた後、王はレンセルに言いました。「爺、スメダン王国の大臣の長、すなわち宰相の候補を選出する競技会を行うことを国民に大々的に発表してくれないか。」
「かしこまりました。」と、彼は言いました。
そのとき、突然、宮殿の護衛官がシリワギ王に報告にあがりました。
「閣下、閣下に謁見したいという3人の男が宮殿に参りました。」と、丁寧に言いました。
王は額にしわをよせて言いました。「それは誰だ?何の用でここに来たのだ?」
「一人の父親とその二人の息子です。カドゥパンダックの出身だと言っています。」と、宮殿の護衛官は言いました。「閣下に謁見を申し入れている者達を、閣下ご自身、お目通 しください。」
「その者どもをこちらに通せ。」と、シリワギ王は言いました。そして、護衛官は門のところへ行き、その3人を呼びました。
まもなく彼らは王の前に通されました。そのうちの一人はもうかなりの年でした。彼がその二人の息子の父親です。
シリワギ王は、挨拶を述べているその3人の男をよく見ました。
「いったい何者なのか名乗り給え。そして、我々に会いにきた用件を述べてもらおう。」
その一番年長の者が、丁重に言いました。「偉大な閣下。わたくしども3人はカドゥパンダックから参った者です。この若い二人は私の愚息でございます。わたくしは、ジャンポンという名で呼ばれております。」
背の高く年上の方の青年が父に続けて言いました。「わたくしはガガック・リマンと申します。王様に心よりのご挨拶を申し上げます。」それから、若い方の青年が言いました。
「わたくしはキダン・パナンジュンと申します。偉大なる王様に敬意を込めてご挨拶申し上げます。」
それから、ジャンポンは続けて言いました。「わたくしども3人は普通 の平民でございます。わたくしどもは、王様のために仕えたく思い、ここに参上いたしました。」
シリワギ王は頷きながら話しを聞きました。彼は、自分の王国が父君の王国のから近い地域にあるカドゥパンダックにまで、その名が知られているのかと思い、誇らしくまた嬉しく思いました。


 
アンガララン王
「プルバサリ。」と、ある朝、パクアン・パジャジャランのアンガララン王は妃を呼びました。そして、言いました。「お前に伝えなければいけないことがあるんだ。ちょっと来てくれ。」
「はい、あなた。何でしょう。何でも喜んでお聞きしますわ。」と、プルバサリ妃はやさしく答え、王の方へ行きました。
「私の愛する妻よ」と、王は切り出しました。何か言いずらいことがあるようでした。そして、話しを続けました。「出会いに別 れはつきものだ。これは、私がパダン山で修行をしていた時に得た教えだ。今、神がそれを告げたのだ。」
妃は王の言うことを理解することができず、眉間にしわをよせ、そして、尋ねました。「神様があなたに何を告げたのです?」
「私の母君、スナン・アンブを通じて神様はこう告げたのだ。私のこの世での命はもう終わりだ、と。そして、私は今、再び天国へ戻らなければならないのだ。」と、アンガララン王は答えました。
プルバサリはその夫の言葉を聞いて耳を疑いました。彼女はのどが乾いてしまい、言葉が出なくなってしまいました。そして、涙が流れ落ち、頬をぬ らしました。しかし、それから言いました、「あなたのお母様、スナン・アンブは私もあなたにお供してよい、と言ってくださらなかった?」
その言葉はアンガラン王の胸を打ちました。王はやさしく微笑んで言いました。「お前の気持ちはよくわかるよ、プルバサリ。お前は忠実でとても良い妻だ。でも、母君はそのようなことは言わなかったよ。」
それを聞いて、プルバサリ妃は、悲しみが込み上げてきました。これで愛する夫と別 れなければならないのかと思うと、また、涙が流れ落ちました。
「どうして、泣くのだ。」と、王は妃に歩み寄り、涙を拭ってやりながら言いました。しかし、いくら拭っても涙はあふれてきます。
「神様はなんて残酷なの!」と、プルバサリ妃は嘆きました。「私の命なんて、もう何の意味もないわ。この罪に満ちた私なんて、もう生きる意味など何もないわ。私は幼い頃、兄や姉に憎まれ、森に捨てられ、つらいことばかりだった。今の私がこんなに幸せなのは、あなたに出会って、あなたが私を苦しみから解放してくれたおかげよ。それなのに、あなたと出会えて幸せになれたと思ったら、どうしてまた突然別 れが襲ってきてしまうの?」と、彼女はすすり泣きながら言いました。
今はアンガララン王の称号を得、そして息子シリワギ王と孫のラデン・アノム・マントリを得たグルミンダは、その妻の言葉を聞いて胸が痛みました。彼はその忠実で、年はいっていましたがまだ美しい妻をとても愛していました。
彼らは結婚したときから、神様から恩恵を受け、幸せに暮していました。あらゆる想い出が走馬灯のように思い出されました。
王は、結婚したばかりのころのことを思い出していました。二人が結婚してまもなく、、彼は自分達二人のために植物園と果 実園のついた宮殿を建てました。
(現在でも、このプルバサリ妃とグルミンダの宮殿跡はワグンという名で残っています。ここには花がたくさんあります。果 実園跡は、ボゴールとチアウィを結ぶ道の途中にあります。果実園を意味する"タジュラン"という言葉からできたタジュルという名前で呼ばれる町です。)
プルバサリも昔のことを思い出していました。「あなたがパダン山に修行に出かけてしまったとき、私はとても寂しかったわ。だって、あなたが私を一緒に連れて行ってくれなかったのだもの。でも、あなたは正しかったわ。修行に妻を連れて行ってはいけないのよね。それにあのとき私はシリワギを身ごもっていたし。ねえ、シリワギも今ではもうすっかり大人ね。もう立派にスメダンの国王を務めているし、息子までいるわ。それなのに、どうしてあなたは私を置いて行ってしまうの?」と、彼女はまた悲しそうに言いました。王もとても悲しみました。
「ああ、私の妻、プルバサリよ。」アンガラン王は言いました。「私だって本当はお前と一緒にいたいのだ。別 れたくなどないのだ。私はお前のことを愛している。しかし、これは神様の思し召しなのだ。私にはどうすることもできないのだ。」
「それなら、あなた。私も死なせてください。」と、プルバサリは言いました。「そうすればいつまでもあなたと一緒にいられるわ。」
グルミンダは言いました。「プルバサリ、そんなことを言ってはいけない。よく聞きなさい。生きるも死ぬ も我々の意思では決められないのだ。それは神様が決めることだ。私達は嫌でもそれに従わなければならないのだ。自分から命を断つというのは神様のご意志にそむくことだぞ。自ら命を断つ者には神様は罰をお下しになるだろう。この世に命を与えてくれた恩恵を無駄 にすることになるのだから。だから、決して自殺などしてはいけない。お前は今は耐えるしかないのだ。そして、善行を積め。この世でのお前の善行はすべて最高神が見ている。そして、神はやがてお前を神の御許に呼ぶだろう。」それから、グルミンダはいろいろと妻に注意や忠告を与えました。
しかし、夫の言葉をすべて聞いた後、プルバサリ妃は言いました。
「それならば、私が自分の魂を清め、あなたのそばにいつまでもいられるように出家することをお許しください。」
アンガララン王はまた心が痛みました。妃のその言葉は彼女の心の底から出た言葉だったからです。「お前はもうこの世の生活に飽きてしまったのか?お前はもうこの世にある全てのものに興味をなくしてしまったのか?財産や子孫、ほかにもいろいろあるじゃないか。」と、王は聞きました。
プルバサリ妃はすぐに答えました。「そんなものは、もうどうでもいいのよ。財産なんて永遠のものではないわ。それに私達の子、シリワギだって、もう大人よ。もう妻や国民とともに幸せに暮しているわ。それに孫のアノム・マントリ・スンダ王子だって、もう大きいわ。だから、あなた、私はもうこの世を後にしてもいいんじゃないかしら?そう思わない?」
「よし、お前がそこまで言うのなら、母上に私達があの世でも本当に一緒に暮すことができるかどうか聞いてこよう。」と、アンガララン王は言いました。
それからまもなく、どこからかいい香りが漂ってきました。二人のよく知っているお香の香りでした。それは、王の母君、スナン・アンブとその天国での付き人達のにおいでした。彼女達がグルミンダの宮殿に来たのです。かすかにスナン・アンブの声が聞こえてきました。「我が息子グルミンダ、そして嫁のプルバサリよ。」
「二人の考えていることはもう母上は知っているよ。そして神様も、天国で二人で一緒に暮したいというお前達の願いを聞いてくれるだろう。お前達の任務はもうすべてすんだからね。お前達の罪はもう全て清められている。私もお前達が天国にくることを快く迎えるよ。お前達、天国に旅立つ前に、お別 れを言って来なさい。」そして、その声は消えました。
アンガララン王とプルバサリ妃はとても喜びました。彼らは幸せそうに微笑んで、お互いを見つめあいました。それからアンガララン王は忠実な彼の召使、ジャンポンを呼びました。
「ジャンポン、ついに私達はこの世を去るときが来た。私達はこの想い出深い土地を後にする。しかし、残念だが、これまで私達に忠実に尽くしてくれたお前を連れていくわけにはゆかぬ 。」
「つまり、王様は天国に戻られるということですか?」と、ジャンポンは聞きました。そして、「それでは、私やまだ妻のいない私の子供達は、これから誰に仕えればよいのでしょう?」と、悲しそうに聞きました。
アンガララン王は答えました。「もしも、お前がまだ私に仕えたいと言うのなら、スメダン王国へ行きなさい。そこは我が息子、シリワギが統治している王国だ。そして、このことをすべて、我が息子、そして嫁、孫に伝えてくれ。もう私達には息子達に会いにいく時間がないのだ。よろしく伝えておくれ。お前達も気を付けてスメダン王国へ行ってくれ。」
「そういうわけなのです、シリワギ王。」と、ジャンポンは言いました。「王様はお妃様とともに、最高神の下に召されたのです。」と、ジャンポンは彼と二人の息子がどうしてスメダン王国にやって来たのか、そのわけを語りました。
シリワギ王は頷きました。「そうか。それで父君の後を継いだのは一体誰なのだ?」とシリワギ王は感動しながら聞きました。
「しばらくの間、王位は空白のままです。アンガララン王のご意志で、パクアン・パジャジャランは、しばらくの間は王様ご自身が神の世界からお治めになります。」と、ジャンポンは言いました。
シリワギ王はジャンポンの言葉を聞くと頷きました。そして、それから言いました。「皆の者、さきほど話し合った件だが、宰相選びは明日、宮殿前広場で行うことにしよう。」
 


競技会
翌日、スメダン王国の宮殿前広場は、その競技大会を見物に来た人たちでごった返していました。統治能力を競わせ、誰を宰相にするかを決定する大会が開催されるのです。早朝から国民達が宮殿前広場にやって来ました。しかし、一般 市民で、その競技会に参加者登録した者はいませんでした。その競技の参加者の多くは長官や大臣達、そして群長達でした。それも、精神面 、体力面で自身のある者だけでした。彼らは、宰相の地位に就く者は、武術に長けているだけでは足らず、事務能力、とくに統治能力に優れた者でなければならないということを十分承知していました。
宮殿前広場の外側の中央のところに王の為の桟敷席がもうけてありました。その桟敷席は王が競技者の技量 をよく観察できるよう高いところにつくってありました。王はその桟敷席で数人の護衛官に付き添われ、競技の模様を観察します。アノム・マントリ・スンダ王子と彼の母親も桟敷席で観戦します。
すべての準備が整うと、王はレンセルに競技開始の合図を出しました。
レンセルは前に出ました。彼は敬意を込めて王に挨拶の言葉を述べ、それから大臣達に大きな声で言いました。「スメダン王国の国民諸君、我々はここに、王の名の下に、宰相決定競技大会を開会いたします。競技者諸君、相手を殺すまでの攻撃は許されません。したがって、この競技は武器なしで行います。」
それから、ドラが3回打ち鳴らされました。大会開始の合図です。そして、見物人達の大きな拍手が鳴り響きました。
一人の大男が競技場の中央に進み出ました。彼は王に挨拶をすると、はっきりした大きな声で言いました。
「この私、ダヌ・スワンサに挑戦しようという者は誰だ!」
その頑丈そうな体格の男は、国の食料と防衛を担当する大臣でした。
挑戦者が現れました。ダヌ・スワンサと同じような体格の男です。頭は白髪混じりでした。
その男もまずは王に挨拶をし、それから対戦者の方を向きました。
「ダヌさん、それでは王に私達二人のうち、どちらの能力が勝るか見ていただきましょう。」と、彼は言いました。
その男は、これまで王の留守中に王の代理を勤めていたサンジャヤでした。サンジャヤは内務大臣と外務大臣を兼任していました。
競技が始まりました。
お互いに自分の持っている技を出し合い、見せ合い、競い合っています。最初の数十ラウンドは勝負は互角のようでした。
しかし、その後、サンジャヤが圧倒的に優勢になりました。前半戦でダヌ・スワンサの力を消耗させる作戦だったのです。今でははっきと力の差が出ています。そして、すでにダヌはサンジャヤの動きに追いつけないまでに力を失っていました。サンジャヤはダヌの胸を足蹴りすると、ダヌは後ろに倒れ、もう立ち上がることができませんでした。
ノックダウンを確認すると、レンセルは大声で言いました。「サンジャヤ大臣の勝ち!」
観衆はサンジャヤの勝利を拍手喝采で称えました。王もその他の観衆もみなその結果 に満足でした。
サンジャヤは競技場に残り、次の対戦相手を待ちました。
まもなく対戦者が現れました。長官のマルワタでした。彼は国民から多くの尊敬を集めている人でした。
「サンジャヤさん、ご指導ねがいます。」と、彼は丁寧にしかし威厳のある口調で言いました。
そして、大歓声の中、再び試合が始まりました。
しかし、マルワタなどサンジャヤの相手ではありませんでした。たった50ラウンドほどで殴り倒され、気絶してしまいました。
レンセルが再びサンジャヤの勝利を告げると、観衆は拍手で賞賛しました。
「王様。」と、リマンが言いました。「わたくしも参加してよろしいでしょうか?」彼は王に聞きました。「しかし、...」
「しかし...、何だ?」と、王は聞きました。
「しかし、私は弟のキダン・パナンジュンとともに勝負に挑みたいのです。私達二人は一心同体の兄弟なので。」と、ガガック・リマンは答えました。
「おお、そうか。この競技会は誰にでも出場資格はあるの。しかし、君達が二人で組んで出場するというのは賛成できん。それでは不公平だ。君達も真の武士にならなければいけないよ。」と、王は言いました。
「それならば、私が挑戦します。」と、突然、ジャンポンが前に出ました。
「よろしい、ジャンポン。」と、王は言いました。
ジャンポンが対戦者として登場すると、サンジャヤは相手の様子をうかがいました。
サンジャヤは、次の相手が昨日新しく王国の使用人になったばかりの者で、まだよく知らない者だったので、少し不安になりました。「しかし、敵が誰でも、どんなに強くても、私はその人に立ち向かわねばならん。」と、サンジャヤは心の中で言いました。
ジャンポンはすぐに自分の技を見せました。サンジャヤはジャンポンの技に震え上がりました。こんなに強い敵は初めてでした。
サンジャヤは、自分が相手を低く見ていなくてよかったと思いました。しかし、それでも、彼が自分の技を総動員しても、相手の方が圧倒的に勝っていました。
ジャンポンは本当にすごい力を持っていました。王もその他の観衆も皆、驚きました。ただ、アノム・マントリ・スンダ王子とその師匠アンガディタは別 でした。
アンガディタは100ラウンドを過ぎたあたりで王子であり弟子でもある王子に言いました。
「王子、今回はサンジャヤもジャンポンにかなり苦戦しているようですね。ジャンポンのあのしっかりとしたすばやい動き、そして内容のある戦い振りをごらんなさい。」と、アンガディタは競技の様子をよく観察しながら言いました。
「あーっ!」と、サンジャヤがもう耐えきれなくなって叫び声をあげました。ジャンポンのパンチが彼の左脇腹を直撃したのでした。
この試合が生死をかけた戦いならば、そのパンチは彼の腹を貫通 してお腹の中身が外へ飛び出してしまっていたことでしょう。しかし、この競技はただ技の優劣を競うだけのものでしたので、そのような恐ろしい事態は起こりませんでした。
そして、サンジャヤも自分の技量ではジャンポンにとうていかなわないと悟りました。そのため、彼は自分の負けを認めました。
「参りました、ジャンポンさん。あなたには私の師匠になっていただきたい。」と、サンジャヤは堂々と言いました。
「ありがとうございました、サンジャヤさん。あなたこそ本物の武士だ。」と、ジャンポンはサンジャヤの方へ向き直って言いました。
「この試合の勝利者はジャンポン氏です。」と、レンセルは発表しました。
「さて、どなたか、このジャンポン氏に対戦する方はいらっしゃいませんか?」レンセルは大声で呼びかけました。
王は、ジャンポンの技に感心し、息子の方を振りかえって言いました。
「なあ、お前、ジャンポンは本当にすごいと思わないか?私は彼が宰相にふさわしいと思う。お前のおじい様のアンガラランも彼のことをかわいがっていたしな。」と、王は言いました。
「ええ、確かに彼はすごいです、父上。」ラデン・アノム・マントリ・スンダは言いました。「私もちょっと彼と対戦してみたいのですが、よろしいでしょうか?」と、王子は父君に言いました。
「やめておきなさい。お前が彼に挑戦するなんていいことだとは思わんよ。もし彼に負けでもしたら、お前は恥かしい思いをするぞ。それに、お前が勝ったとしても、お前が宰相になるわけにはいかんだろう。それにだ、ジャンポンが本気でお前と対戦してくれるかもわからんし。お前は王子なのだからな...。」と、王は言いました。
しかしそれでも、アノム・マントリ・スンダ王子は、彼と勝負をしたくて仕方がありませんでした。「分かりました、父上」と、彼は答えました。「私はただ自分の武術を試してみたいだけなのです。私はジャンポンに、本気で勝負してくれるよう頼んでみます。そして、私は勝負に負けたとしても、決して怒りも恥かしがったりもしないと約束します。そのときには、私はすばらしい宰相候補ができたことを誇りに思い、彼に私の師匠になってもらいます。逆に私が勝った場合でも、私はもちろん宰相にはなりません、そのような場合でもやはりジャンポンに宰相候補になってもらいます。」
王は息子の言うことを黙って聞きました。彼も自分の息子の願いを聞いてやろうという気がないわけでもありませんでした。アンガディタまでもが息子の言うことに賛同すると、それはなおさらでした。
「王様、私は王子様の言うことはもっともだと思います。王子様には、自分の技の程度を知るためにも、彼のような強い対戦相手が必要です。それに、この試合ならば命の危険もございません。ただ武術の技を競い合うだけなのですから。」と、アンガディタは言いました。
王も、もう息子の願いを拒否する理由がありませんでした。
しかし、アノム・マントリ・スンダ王子が競技場に出ようとしたとき、ジャンポンはすでに、新しい対戦相手を競技場に迎えていました。そのため、アノム王子はいったん下がり、注意深くジャンポンの武術を観察しました。
確かに彼の武術は素晴らしいものでした。彼はすでに年をとっていましたが、力も敏捷性も若い相手に全く劣りませんでした。
今回のジャンポンの対戦相手は、バンバン・スティスナでした。彼は宮殿の会計担当をかねた書記官でした。
7ラウンドにいく前に、その若い書記官はジャンポンのすばやい攻撃に耐えることができなくなっていました。
ここで、またジャンポンの勝利を告げるレンセルの声が響き渡りました。そして、そのとき、ラアノム・マントリ・スンダ王子が、軽やかに美しく、ジャンポンの立っている競技場に踊り出たのです。ジャンポンはどっしりと彼を待ちうけました。王子はジャンポンに向き合って立ちました。競技場の周りの観衆達は、ジャンポンの次の相手を見て大騒ぎになりました。
「王子様、万歳!」
「アノム王子様、万歳!」
「偉大なる王子様、万歳!」
そして、競技場は大きな拍手に包まれました。
レンセルはその拍手を沈めようと、前に出ました。
「静粛に!静粛に!確かにここにジャンポン氏の相手として現れたのは、王子様ですが、王子様は宰相の座を争うためにここに現れたのではないのです。王子様はただ、アンガディタ先生の下でこれまでに習得されたご自身の武術をお験しになりたいがためにここにいらっしゃったのです。」
観衆は静かになり、レンセルの説明に聞き入りました。
ジャンポンも、彼の次の相手が誰かを知ると、びっくりしてしまいました。
彼も最初は王子と対戦することにあまり気が乗りませんでした。なぜならラデン・アノムは王の一人息子であり、また彼はまだあまりにも若すぎ、ひ弱に見えたからです。しかし、レンセルの説明を聞いて彼も理解し、「きっと王子様はもうすでに高いレベルの武術を習得し、腕試しをしたいのだろう。宰相の地位 のために参加するのではないのだ。よし、それならばお相手しよう。私も彼の腕前を見てみたい。」と、心の中で言いました。
そして、大歓声の中、試合が開始されました。
「ジャンポン爺、手を抜いたり遠慮をしたりしないでいただきたい。本気で私と戦ってほしいのだ。真剣に勝負をしていただきたい。」と、アノム・マントリ・スンダ王子は言いました。
「分かりました。それならば、私の暴力行為をお許し願います。」と、ジャンポンは本気で攻撃を加えながら言いました。
ジャンポンはあたかも強力な敵と真剣勝負をするかのように王子に襲いかかりました。
そして、戦っているうちに、アノム王子がただの普通 の甘やかされて育った軟な王子ではないことが分かりました。彼は力強く、敏捷でとてもよい動きをしています。もう数十ラウンドになりますが、ジャンポンは次第に王子のすばしこくフェイントをかけた動きにどう対処してよいか分からなくなってきました。
王子のフェイントに騙されたり、パンチをくらったりして、ジャンポンは何度も叫び声をあげました。
ジャンポンは今まで隠していた技をもちいましたが、それでもアノム王子に簡単にかわされてしまいました。ジャンポンはより強力な超能力をださなければいけませんでした。
結局、お互いに自分の持っているほとんどすべての技を出さなければいけなせんでした。しかし、王子はなかなか負ける気配がありません。ジャンポンも劣勢というわけではありませんでしたが、そう簡単には王子を負かすことはできそうにありませんでした。
137ラウンドめに入って、突然、ジャンポンはアノム・マントリ・スンダ王子の組み手に、はっと思いました。
「一体、あなたの師匠はどなたですか?そのあなたの組み手はウラン・スンサン師の組み手ではありませんか?」と、ジャンポンは王子の攻撃を防御しながら尋ねました。
「ジャンポン、おしゃべりなどしている場合ではない。これは試合だぞ。そんなことをしているとやられてしまうぞ。」と、ラデン・アノムは微笑みながらも攻撃の手を休めずに言いました。
「ああ、これはまさしく、かの有名なウラン・スンサンの組み手だ。蜘蛛の巣の技だ。」と、ジャンポンは言いました。
それを聞いて、王子が手を止めました。「ああ、そうだとも。どうして知っているのだ?私はこの技をアンガディタの前の師匠、ウラン・スンサン先生から伝授されたのだ。」
「私の組み手を受けるのは、もう懲り懲りか?まだ次の組み手を受けてみるか?よし、これを受けてみろ!」と、王子は言うと、新しい技をかけました。とてもすばやく動くので、どこから襲ってくるか、なかなか推測できません。
ジャンポンは全力を尽くして王子の攻撃を全て受け止めようとしました。しかし、どうやっても王子の攻撃をさすことはできませんでした。強力な武術で有名なウラン・スンサン師匠から受け継いだその技には、どうやっても手が出ません。それに、王子はウラン・スンサンから受け継いだ技を完璧なものにし、また、アンガディタから奇妙な技も伝授されていたのです。
そして、ジャンポンは劣勢になりました。
「参りました、王子様。私の負けです。」と、ジャンポンはますます激しくなる王子の攻撃から逃げながら言いました。
「私達は、同じ師匠についていたのですよ、王子様。私も昔、ウラン・スンサンのもとで修行を積んだのです。しかし、さきほどの王子様の組み手は私も見たことがないものでした。きっと王子様はこの世にほかに敵う相手のいないぐらいに多くの技を彼から受け継いでいるのでしょう。王子様、本当に降参します。」と、ジャンポンははっきりと言いました。
そして、レンセルが勝負を言い渡す前に、王子が言いました。
「王様、そして、国民の皆さん。さきほどレンセルから説明がありましたように、私は勝負には勝ちましたが、宰相の地位 に就くつもりはございません。それは、私が王子だからというだけではありません。ジャンポンが宰相に適任だと思うからです。ジャンポンはこの若い私よりもはるかに優れた力を持っていますし、彼はパクアン・パジャジャランのアンガラン王からもっとも愛されていた使用人です。だから、ジャンポンこそが宰相の地位 にふさわしいと思うのです。」と、アノム王子は大きな声で言いました。
しかし、観衆達がその王子の言葉に対し拍手で賛意を表そうとしたとき、ジャンポンが大声で言いました。「それはいけません!王様!」
観衆たちは皆、宰相の地位につくことを拒否するジャンポンに注目し、彼の次の言葉に注目しました。
「偉大なる王様、そしてアノム王子様。わたくしめも、そのような栄誉を拒否することの無礼は十分承知いたしております。しかし、私も二人の息子達も、そのような高官になりたいという意志は持っていないのです。私達はただ、忠実にシリワギ王の使用人として仕えさせていただきたいのです。私がこの試合に参加したのは、ただ、将来宰相となる人物に本当に優れた人物であってほしかったからです。私を選んで欲しかったからではありません。この競技の参加者の中でもっとも優れた技を持っていたのは、サンジャヤ氏です。私は彼こそが宰相にふさわしいと思います。王様、私はサンジャヤ氏を宰相に任命してくれることを望みます。」と、ジャンポンは真剣な顔で言いました。「サンジャヤ氏は本物の武士です。そして、彼は多くの経験を積んでいますし、対内的にも対外的にも行政をつかさどるのには適任と思います。もう一度王様にお願い申し上げます。サンジャヤ氏を宰相にご任命ください。」と、ジャンポンは言いました。そしてジャンポンは挨拶をすると、競技場を後にしました。
王様は頭を悩ませ、皆の意見を聞こうと、大臣達やアンガディタらを呼びました。
すると、弟子の王子があれほどの実力をもっているのに、なぜその師匠のアンガディタを推薦しないのか、またはアンガディタはなぜ立候補しないのかといった意見が出ました。
しかし、その賢明な老人、アンガディタはおだやかに言いました。
「この世には、最高神以外に、もっとも強い者も完全無敵の者も存在しないのです。私が強いと言っても、やはりウラン・スンサンにはとうていかなわないのです。そして、そのウラン・スンサンですら、自分の持っている武術に満足せず、さらなる技を習得しようと修行に出たのです。従いまして、ジャンポン氏も申しますように、宰相の地位 にふさわしいのは、対内的にも対外的にも政治の経験の豊富なサンジャヤ氏ではないかと思うのです。」
そして、皆、アンガディタの言葉に賛同しました。そして、王が観衆にサンジャヤを宰相に任命すると宣告すると、拍手喝采が起こりました。


 
アノム王子のスメダン国王就任
王がサンジャヤを宰相に任命して1年後、スメダン王国はさらに繁栄を遂げました。王が外遊に行っても、王の代わりを務める者がいるからです。それに、王はサンジャヤを宰相に任命し、また、アンガディタとジャンポンを二人の反対を押し切って、国のご意見番として任命しました。ジャンポンの息子達、ガガック・リマンとピナン・パナンジュンも高官に就くことを拒否しましたが、王が説き伏せて、内務大臣に任命しました。
これらの忠実な奉仕人たちのおかげでスメダン王国はあらゆる面 で発展しました。
アノム・マントリ・スンダ王子も成長しました。とくに、行政や統治に関する知識や技量 を多く身に付けました。そして、重大な国内問題が発生すると、アノム王子もその解決策を出すのに寄与するまでになりました。それどころか、王子自身、大臣やシリワギ王のご意見番とともに直接そのような国内問題に対処するようになりました。
その様子を見て、シリワギ王は満足げでした。そして、シリワギ王が自分の胸のうちを王子に話す時が来ました。
「我が息子、アノム・マントリ・スンダ王子よ。」と、王は言いました。「今、私が胸に秘めていたことをお前に話す時が来た。今、お前が国の統治を行うときが来たのだ。私はこのスメダン王国の統治をお前に任せたい。もう、お前は宰相たちと協力し、十分な統治能力を見せている。」
「お前の父上と母上は、そろそろパクアン・パジャジャラン王国に戻ろうと思っているのだ。パクアン・パジャジャランは、王位 が空いたままになっていて、お前のおじい様が天国から国を守っているのだ。」
アノム王子は言いました。「父上様、父上様が私に統治する力があるとおっしゃるのでしたら、私は敢えて統治を引き継ぐことを断るようなことはいたしません。しかし、父上様と母上様はがパクアン・パジャジャランへお戻りになる時のお供はどういたしますか?」
「あまり多くのお供はいらぬ。」と、王は言いました。「ただ数人の大臣、首相、護衛官で十分だ。お前が私に代わって王位 に就いても、王国が今までと変らぬ発展を遂げるよう、よく治めてくれ。国内の問題でも対外的な問題でも、何か問題が起こったら、それをそのまま放置してはならぬ 。たとえ、その問題がどんなに小さくても、きちんと対処しなければならぬ。どんなに小さな問題でもそのまま放置してしまうと、次第に大きくなり、手がつけられなくなってしまうからな。」と、王は王子に言いました。
「私は、この国の統治権をすべてお前に譲る。」と、王は付け足しました。そして、王はこのような大事な会議にはいつも出席しているサンジャヤ、アンガディタ、ジャンポン、そしてガガック・リマンとキダン・パナンジュンの顔を見ました。
「私は諸君に私に仕えるか息子に仕えるか、どちらに仕えるかを強制したりはしない。君達が自分の意思で、どちらに仕えるか決めて欲しい。」と、王は落ち着いて言いました。
それを聞いて、サンジャヤもアンガディタも黙ってしまいましたが、ジャンポンがすぐに答えました。
「王様。以前にも申し上げました通り、カドゥパンダックにいたとき以来、私ども親子3人は常に3人一緒にいることを誓っております。従いまして、私は3人そろってシリワギ王に仕えさせていただきたく思います。これは、決して私がアノム王子様とここにとどまるのが嫌だという意味ではありません。ただ単に、私達3人はお互いに誓いあっているのです。...」
ジャンポンの言葉を聞いて、アノム・マントリ・スンダ王子がすぐに言いました。「ジャンポン爺、今まで私はあなたを悪く思ったことはないし、あなたの息子たちのことも悪く思ったことはない。私はあなたのことも、2人の息子もここにいてくれれば、と思うが、父上と私のどちらに仕えるのも、あなたの自由だ。」
「王子様のお言葉、嬉しく思います。」とジャンポンは言いました。「私達も王子様のことを愛していますし、大事に思っています。しかし、さきほども申しましたように、私ども3人はシリワギ王に仕えると以前に誓ったのです。」
そのジャンポンの言葉を聞いて、シリワギ王も口を挟みました。
「息子よ、ジャンポンと2人の息子は私に仕えるということにしよう。お前には、まだサンジャヤ宰相もアンガディタもいるし、ほかの若い大臣達もお前の下にいてくれるだろう。」
アンガディタがすぐに口を開きました。
「そうですよ、王子様。お父上様だって、ジャンポンが必要でしょうし、ジャンポン親子も3人そろって王様にお仕えすればちょうどいいでしょう。サンジャヤ宰相と私は、これまでのように王子様におつきしますから。」
「わたくしも、このスメダン王国で王子様のご指示に従います。」と、サンジャヤ宰相も言いました。
「これで全て決まったな。アノムよ、明日、レンセルにお前の王位 継承を発表してもらおう。レンセルもお前と一緒にここに残ってもらおう。彼はこのスメダン王国の長老だからな。」と、王は言い、会議を終了しました。


 
シリワギ王の旅
アノム・マントリ・スンダ王子が王位を継承して、7日間にわたる王位 就任の式典が行われました。そして、シリワギ王は40人の付き人に付き添われ、出発しました。
彼らは何艘かの舟に乗って、シタンドゥイ川を進んで行きました。王はわざわざ南の方へ行く道を選びました。彼はパクアン・パジャジャランまで大海原を航海して行きたかったからです。
そのルートはもちろん、舟だけで進むことはできません。舟で通 れないところは、彼らは足で歩かなければなりませんでした。森の中も越えました。そして、また、舟で渡れる川に出ると、彼らはまた舟に乗りこむのでした。
そのようにしながら、彼らはすでに3ヶ月も旅を続けていました。その旅は危険にあふれ、障害も少なくありませんでしたが、付き人たちは、常に王の命令に忠実に従いました。
ある日の夕方のことでした。
「ここはどこの国だ?」と、王は旅の経験の豊富なジャンポンに尋ねました。
しかし、ジャンポンも、それがどこだか分かりませんでした。「すみません、王様。私もこの場所ははじめてです。しかし、南海岸まで来たことは確かなようです。スメダンの北側の海の波と比べて、ここの波ははるかに大きいですから。」
「確かにそのようだな、ジャンポン。それならば、かなり注意して旅をつづけなければならんな。我々にとって初めての土地だからな。」と、シリワギ王は言いました。
彼らは舟を漕ぎつづけました。すると、突然、彼らの目の前に黒い影が現れました。
そして、さらに近づくと、その黒い陰の輪郭がはっきり見えてきました。それは、島でした。
「あの島が何島か知っている者はいるか?」と、王は付き人たちに聞きました。
しかし、誰も答えませんでした。
「誰も知らないようです。」と、ジャンポンは言い、「あの島で一休みいたしましょうか?」と、王に聞きました。
「よし、あの島で一休みしよう。しかし、皆の者、よく気をつけるように。」と、王は言いました。
十分に注意しながら、シリワギ王の一行はその未知の島へ乗りこみました。
しかし、彼らが、島に下りて、歩こうとしたとき、突然、はげしく騒ぐ人の声が聞こえてきました。
その叫び声は、明らかに彼らを歓迎している声ではありませんでした。まもなく、がっしりと体格のいい男達がシリワギ王の一行に寄って来ました。彼らは友好的とは言えない視線をシリワギ王達に向けました。
「お前らはどこから来たんだ?」と、ひげを生やした一人の男が聞きました。そして、彼らはシリワギ王一行を一人一人じろじろと見ました。そして、荒々しい口調で言いました。「我々に食べ物か飲み物か着物でも届けにきたのか?」
王は前に出て、おだやかに言いました。「私どもは皆、スメダン王国から来た者です。私達はパクアン・パジャジャランに旅をしているところです。この島は何島でしょうか?しばらくここで休んでもよろしいでしょうか?」
シリワギ王の言葉を聞いて、島の人達は思いきり笑いました。ジャンポンも王もそれには腹を立てました。しかし、鍛錬された精神を持つ彼らは、怒りを押さえ、上品にふるまいました。
「ヘヘヘ、ここで休憩したいだと?ああ、よろしい。ただし、わしらの望みを聞けばのことだがな。」
「あなた方の望みとは?」
「お前らが持っている食べ物、飲み物、そして着物を全部渡せ!そして、...」
「まだ何かあるのか?」と、ジャンポンは耐えきれなくなって、聞きました。しかし、王が押さえました。
がっしりとした体格の彼らは、酔っ払いのように下品に笑いました。そして、言いました、「女だ、女。俺はお前のそばにいるそのきれいな女が欲しい。それと、そこにいる女もだ。俺の仲間にも分けてやりたいからな。」と、言いました。
その下劣な要求を聞くと、さすがの王も腹を立てました。ジャンポンはカンカンでした。王に手をつかまれていなかったら、彼らに殴りかかっていたところでした。
王妃達は、島の人達が彼女達の顔や体をじろじろといやらしい目で見るので、おびえていました。王妃の付き人達は、島の人達の目から王妃を隠すために隙間をつくらないように並びました。
さっきまで怒りに燃える顔つきだった王も、気を取り直し、また穏やかに上品に言いました。
「食べ物と飲み物と着物はお渡ししましょう。私達は食べ物も飲み物も着物も十分に持ってきているので、二つずつはお渡しできるでしょう。しかし、あなたの最後のお願いだけは、聞くわけにはいきません。それは許されないことです。人の妻を略奪するようなことは許されません。神様の罰を受けるでしょう。」と、王ははっきりと言いました。
「ふん。そんなこと言っても無駄さ。」と、その乱暴な男はますます無礼な言い方で言いました。「お前ら、無事に帰りたいのなら、俺達の言う通 りにしろ!」と、彼は脅しました。王が口を開く前に、ジャンポンと2人の息子が前に出ました。「おい!話しをするのなら、もっと丁寧な言葉でしゃべったらどうだ!お前達の目の前にいらっしゃるのは、我々の王だぞ。おい、謝れ!我々の堪忍袋が切れる前に謝れ!」
「うるさい!お前らが誰かなんて、そんなもん構うものか!そんな脅しで俺がおびえるとでも思っているのか!」と、彼は答えました。そして、王と王妃のほうを向き直って言いました。
「ハハハ...。それじゃあ、俺の目の前にいるのは王とその妃ってわけか。どうりで美しいわけだ。しかし、ここでは、俺が王だ。そして、俺にはまだ妃がいない...!俺の言う通 りにしないのなら、生きて帰れると思うな!」と、彼は傲慢に乱暴に言いました。
「無礼者!」と、ジャンポンが怒鳴りました。そして、「お前は、我々がそんな脅しにのるとでも思っているのか!」と言うと、ジャンポンはもう怒りを押さえきれなくなり、飛び出しました。息子たちもそれに続きました。
そして、激しい取っ組合いの喧嘩が始まりました。そのがさつな島の人々も、王の一行に突進してきました。
シリワギ王ももう黙ってはいません。彼も殴りこみに行きました。
シリワギ王の忠実な付き人達も、王様一人を闘わせるわけにはいきません。彼らも喧嘩に加わりました。殴り合い蹴り合いの激しい取っ組合いになりました。島人の中には死者もでました。その島の数十人の援軍がそこにかけつけると、シリワギ王の兵士達が弓矢で脅しました。
「お前達、矢に当たって死にたいのか!」と、シリワギ王は大声で敵に向かって叫びました。
すると、島の人達は一目散に逃げて行ってしまいました。
シリワギ王は、その島の至るところに死体がごろごろと転がっているのに気づきました。どうやら、しばしば戦争が繰り返されているようでした。そのため、シリワギ王一行は、その島で休憩するのを止めました。
「どうやら、神様が私達にこの島で休んではならぬ 、と言っているようだな。早々、敵にも出くわしたことだし。」と、王が言いました。
「ええ、そうですわ。あのごろごろと転がっている死体を見ていると、ぞくぞくしてくるわ。」と、王妃も言いました。
その夜、彼らは南の海岸から西の方へ、航海を続けました。ところで、さきほどの恐ろしい島は、現在では「ヌサ・カンバンガン(・マイット)」という名で知られている島です。
何日間か航海を続けた後、彼らは、なだらかな傾斜をもつ白い砂浜の、とても美しい海岸に到着しました。とても景色の良いところでした。
「あなた、この景色のよいところで、しばらく休みましょうよ。安全そうだし、海岸もとてもきれいだわ。」と、王妃は言いました。
「ああ、確かにきれいだ。」と、王は言い、ジャンポンに聞きました。「爺、ここはなんという国だ?爺はこの場所を知っているか?」
「私は以前、ここに滞在したことがあります。この地域はウジュン・ゲンテンという名前です。もうしばらく行くと、チマンディリ川の河口があります。」と、ジャンポンは答えました。
「それで、私達の目的地はもうすぐなのですか?」と、王妃が聞きました。
「そのようだ。うん、思い出したぞ。その河口のところを右に折れるのだ。つまり北へ行くのだ。それがパクアン・パジャジャランへ通 ずる道だ。そうだろう、ジャンポン?」と、王が言いました。
「さようでございます、王様。休憩するのでしたら、その河口の所まで行って休憩したほうがよいでしょう。そこの景色もここに劣らないぐらい美しいはずです。海岸もとてもきれいです。」と、ジャンポンは王妃に説明しながら言いました。
ジャンポンの言う通りでした。そこは景色がとても美しく、白い砂浜が遠くまで広がっていました。王妃は、そこで数日間休みたいと言いました。王も喜んでそうしました。
そこの美しい自然を十分に満喫した後、彼らは徒歩で、パクアン・パジャジャランへの最後の旅を続けました。
王国を目指して歩いている途中、住民達が歓声で彼ら、すなわち前国王の息子の一行を歓迎してくれました。住民達は彼らの到来をずっと心待ちしていたのです。
それどころか、シリワギ王の一行がパクアン・パジャジャランに着くと、国民達は40日間にもわたる盛大な歓迎式典で、彼らを迎えてくれました。
シリワギ王は、彼の父、アンガラン王が残した宮殿をきれいに改築しました。シリワギ王が統治をはじめると、その王国はさらに発展し、繁栄しました。そのため、国民は王を尊敬し、愛しました。また、シリワギ王の統治の及ぶ範囲もしだいに広くなりました。周囲の国民がシリワギ王の統治下に入りたいと願い出てくるからでした。このようにして、パクアン・パジャジャランはとても大きな国になりました。
シリワギ王が統治した地域は、西はスンダ海峡、南はインド洋に面 する海岸、北はジャワ海、そして東はチパマリ川にまで及びました。
ところで、シリワギ王一行が上陸した場所は当初、「王の港」と呼ばれていたのですが、後に、お妃様がその場所での滞在を願い出たということが知られ、「妃の港」と呼ばれるようになりました。
以上、ボゴールに伝わるお話でした。
 

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