<ジャワの民話> 前のお話

ヤシの木アリオ・メナクが妖精の嫁をもらった話

テキスト提供:小澤俊夫さん

 

     
 むかし、アリオ・メナクという名の若者がいたそうだ。この若者は昼も夜も、森の中や森の外、村のなかや村の外をぶらぶら歩くのが好きだった。自分の人生を冒険でいっぱいにしようという望みのほかは、心のなかには何もなかった。「ずいぶん旅をし、たくさん見てきたなあ」とあるとき若者は言った。けれども今までのさすらいの旅の思い出のなかに、特別に強く思い出される事件があった。

 ある夕方、アリオ・メナクが深い森の中をさすらっていると、興奮した声がときどき大きく聞こえた。何度か大きな叫び声がはっきり聞こえた。かと思うとその声はだんだん弱くなり、ほとんど聞こえないくらいになってしまった。もう夜も更けて、満ちようとする月が、まるで上品な娘のように恥すかしそうにはにかんで笑いながら、木々のうしろに姿を見せはじめた。

 「実にきれいな晩だ」と若者はひとりでつぶやいた。

 「実に静かで落ち着いている。だけど、あれはなんの声だったんだろう」。夢見心地が続いた。若者は声のするほうへまっすぐ歩いていった。胸がドキドキした。こわさがしのび寄って来て心をいっぱいにしてしまった。けれども何かを経験したいという願いが若者を前に進ませた。「こんなふしぎなことをやすやすと見すごしてしまったら、今までのぼくの旅はどうなるんだ」とひとりでつぶやくと、先へ行くように自分に命じた。

 アリオ・メナクは進んでいった。近づくと、ますますその声ははっきり聞こえてきた。今では、その声が女のものであることも聞きわけることができた。もっとよく知りたいと好奇心が猛烈におこってきた。耳をそばだて、キラキラする目であたりを見まわした。とうとう目はあるふしぎな光景にくぎづけになった。その湖タマン・サリダの水の中に、この世ならぬ生き物を見たのだ。それはすべて美しかった。満ちていく月が照らすと、その肌は金色の布をちりばめたように輝いた。

アリオ・メナクはそっと近づいていった。突然、若者はギクッとした。水辺にその女たちの上着がかかっていたのだ。「ひとつ、上着を取ってやろう」と若者はひとりごとを言った。若者はつま先立っていってひとつを取り上げた。だれの上着を取ろうが、若者にとってはどうでもよかった。それからまた隠れ場所へ向かった。このふしぎなでき事がこれからどうなっていくのか、ちゃんと見きわめたかった。

 若者がまだもとの場所へもどりきらないうちに、こうもりがちゅーちゅーと鳴いて自分の前にジャンブの実が落ちてきた。アリオ・メナクはびっくりした。心臓はひどく高鳴った。

 「悪者め」と若者はののしった。まだすっかり隠れ場所に入らないうちに背後に叫び声が聞こえた。若者は振り返った。すると、ちょうど今まで水浴びをしてしぶきをはね上げていた乙女たちが、散らばって空へ飛び去るのが見えた。「うわー、これは水浴びに降りて来た妖精らしいぞ」と若者はのんびり言ったが、このでき事の目撃者は自分ひとりなのだと思うとこわくなった。

それからやっと手に持っていた上着のことを思い出した。「すると、こりゃいったいだれの上着だろう」と自分にきいて水浴び場のほうを見た。すると、そこにはまだひとり妖精がいた。仲間といっしょに飛んでいかなかったのだ。そんなに遠くないところからアリオ・メナクは妖精をじっと眺めた。妖精は明らかにおろおろし、びくびくしていた。妖精は顔をそむけていた。それからアリオ・メナクに背を向けて、だんだんに泣きはじめた。たぶん、仲間においてきぼりにされて、それに自分の運命にびっくりしてしまって悲しくなったのだろう。

同情して、アリオ・メナクは妖精に近づくと気を引こうと思ってこう言った「娘さん、どうして泣いてるんだい?」 質問に答えもしないし、振り向きもしない。「娘さん、どこから来たんだい。どうしてこんな夜おそく、こんなさびしい森のなかにいるんだい。名はなんていうの?」 今度も妖精は答えなかった。「娘さん、起きちまったことは、起きちまったんだ。どうしてまだ悲しんでるんだい。あんたがこの地上で住むことになったのも、たぶん神さま方のおぼしめしだぜ」。

最後のこの言葉を聞いたとき妖精はよく考えはじめた「もしかしたら、この男の言うことは実際、正しいことかも知れないわ。ここで凍えてしまうかわりに、このひとについて行ったとしたって、何がまちがっているかしら」。アリオ・メナクはまたうまいことを言った。「娘さん、許してください。お名まえはなんとおっしゃるんですか」と前の質問をまたくり返した。「二・ぺリ・トゥンジュン・ヴゥラン」と妖精は寒さにふるえながら水の中で答えた。そこでアリオ・メナクは歩み寄って背中に妖精をかついで家へ連れて帰った。あとで、二・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランはアリオ・メナクの妻になった。

 アリオ・メナクはお金持ちだったそうだ。田んぼは大きくて米もたくさん持っていた。ところがニ・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランが家にきてから、その財産はますますふえた。米に困るなどということはないようだった。いや、それどころか米はどんどんふえていった。アリオ・メナクは米が減らないので「どうしてうちの米は減らないのだろう」とふしぎに思った。そして妻が一度もお米をつかないのに、いつもごはんがたけているのにも驚かされた。

 ――アリオ・メナクと二・ペリ・トゥンジュン・ヴゥラン夫婦に息子がひとり生まれた。アリョ・ケドットと名づけられた。しかしこの子は、この話の中では役目はない。けれどもアリョ・ケドットの子孫はのちにマドゥラの領主になった――

 さて、アリオ・メナクに話をもどそう。米粒をつきもしないのにいつもごはんをたく妻の秘密を知りたい気持ちは、日に日につのるばかりだった。お米を台所で炊く用意をしてから洗たくにいくときはいつも、台所へは決して入らないでくれと夫に言ったので、ますます夫の好奇心はつのっていった。だんだん、アリオ・メナクは自分の好奇心をおさえることができなくなった。

 ある日妻はまた川へ洗たくに行こうとした。そして出かける前に夫にこう言った「わたしが出かけたあと、決して台所へ行かないでくださいね。私は今料理していますので」。「わかった」とアリオ・メナクは答えた。二・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランが行ってしまうと夫は考えはじめた「また女房のやつは台所へはいるなと言った。あいつの秘密はなんだろう。よしひとつ・・・・・・」。こう考えて夫は台所へはいっていった。そしてごはんをたく深鍋のふたをあけてみた。あけてみて驚いた。見えたのは、もみがらをとったお米ではなくて、まだわらのついたお米だった。

「おお、そうか」と夫はひとりごとを言って首を振った。「おれの米がへらないのもあたりまえだ。女房の秘密がわかったぞ。しかしどうしてあいつはこのことをひどくないしょにしてたんだろう。まあいい、好きなようにさせておこう。おれはなんにも知らないふりをしよう」。こう言うと、アリオ・メナクはもといた場所にもどって、何事もなかったように落ちついてすわっていた。

そうするうちに妻が帰ってきて、すぐに台所へ行って食事のできぐあいをみた。深鍋の中はいまだに米粒だった。「おやまあ、たぶん火がじゅうぶんじゃないんだわ」と妻は思って火を大きくした。まきを足したが米粒はちっとも変わらなかった。「ああ、それではきっとあの人がはいって来て、わたしが何を料理するのか調べたんだわ」と心のなかでつぶやいた。何かを悲しんでいるかのように妻の顔は暗くなった。

「そうだわ、たぶん神さま方は一生けんめい働くようにわたしにお命じになったんだわ。騒ぐよりも黙っていたほうがいいわ」。こう言うと二・ぺリ・トゥンジュン・ヴゥランは米倉へ行って米をつきだした。妻のやわらかな手ははじめて米つきのきねを知った。妻の仕事でつきあがった米は一日の必要な量にも足りなかった。そこで妻は毎日アリオ・メナクの米をついた。そして一年もたったころには、はじめは決して減らなかった米倉もついにからになった。からになった米倉で、二・ペリ・トゥンジュン・ヴゥランは、水浴びをしていたあのときアリオ・メナクがとってしまった自分の上着を見つけた。アリオ・メナクはそれを倉の米の下に隠しておいたのだった。

 二・ぺリ・トゥンジュン・ヴゥランの胸はときめいた。そして顔は紅潮した。とうに過ぎ去ってしまったころの思い出がよみがえってきた。天国の仲間たちのことを思い出した。顔はまた若わかしくなった。そしてその古い上着を着ると、まっすぐ、高く高く、天まで飛んでいった。けれども見えなくなる前に夫と話す機会があった。「あなたがわたしにまた会いたくなったら、天にかかった満月を見上げてください。わたしはそこにいます」。こう言うと二・ぺリ・トゥンジュン・ヴゥランは夫の目に見えないところへ飛び去った。

 今でも男は台所に行きたがらない。それは人びとが言うには、浪費をもたらす結果になってしまうからだ。妻が何を料理しているのか知りたがるという誤りをおかしたために、貯めていた米が底をついてしまったアリオ・メナクの場合がそうだったのだ。そして今でも恋わずらいの若者たちは飽きもせずに月の光に見入るのだ。

 


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