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 C-5: Boekoe Peringetan "Slawi Slamet": Penerbitan Istimewa Chun Hua Tsung Hui Slawi
(『斯拉威中華總會紀念特刊』)


 発行元:  Chung Hua Tsung Hui Slawi (1949年)
 言語:  ムラユ語
 備考:  中ジャワ州トゥガル県都スラウィの中華總會が、独立戦争の最中に発行した記念刊。 
原資料をスキャンしリプリントしたものを電子化。
モノクロ、全104ページ(表紙含む)、アルファベットOCR処理済み。
資料提供: Harianto Sanusi氏


  No.   ファイル   サイズ 
 1  data (all)   38.2 MB 



解説

■発行元について
 Panitya Penerbitan (記念刊発行委員会)。本文最終頁には記念刊委員(Pengoeroes Gedenk - Boek)として、1949年度スラウィ中華總會の保安隊部門長Tan Boen Sengの名がある。


■内容について
 中ジャワ州トゥガル(Tegal)県都スラウィ(Slawi)の中華總會が、1948年末(ないし1949年初頭)に発行した記念特刊。日本軍政期、蘭領東インド植民地各地の華人組織は華僑總會(Hua Chiao Tsung Hui)へと再編・一元化されていたが、スラウィの町の中華總會は同地の華僑總會の後継組織である。

 日本敗戦後、旧宗主国オランダと新生インドネシア共和国との間で独立交渉が暗礁に乗り上げる中、1947年7月にはオランダによる「第一次警察行動」が発動される。共和国側はジャワ島やスマトラ島の支配地域で焦土化作戦を行ないこれに対抗するが、その際各地で多くの華人が生命・財産を失った。ジャワ北海岸に位置するトゥガル市一帯も大きな被害を受けたが、同市南隣に位置するスラウィの町にはその後周辺の町々から多数の華人避難民が流入してきた。そのスラウィの町にも、本書によれば8月には「無責任な秩序破壊者(pengatjau jang tida bertanggoeng djawab)」(※)による襲撃の手が及び、さらには町全体が封鎖されるという事態に陥るが、同町の華人たちは一致団結して自警団「保安隊(Pao An Tui)」を組織し、またトゥガル市の中華總會と連携することで、人的・物的被害を最小限に抑えることができたという。
 「スラウィが助かった(Slawi Slamat)」ことを記念して発刊された本書には、新生インドネシア共和国の中で生きていくことに未来を託しつつも、「僑胞(Kiaopao)」は一層団結を強め自助・自衛していくべきであるとの主張が展開されており、時代性を感じさせる内容である。

 本書中には、スラウィの町が直面した危機についての体系的な説明があるわけではない。しかし、Thio Eng Hoatによる記事“Slawi Slamat......Kerna Apa? Kerna tida ingin hidoep sendiri!”(pp.58-59)や、Tan Boen Sengによる終辞“Penoetoep”(pp.76-78)などの記述から、大体のあらましを窺い知ることができる。中でも、この困難な時期に、スラウィの中華總會がバタヴィアの中華總會や保安隊などからの支援も受けていたこと、ならびに、当時スラウィの窮状が現地華人メディアの注目を浴びたことなどが示唆されている点が、目を引く。Tan Boen Sengによる記事“25 Tahoen Pergerakan Tiong Hoa di Slawi”(pp.60-63)には、スラウィの町の華人の動向についての簡史がまとめられており、一読に値する。
 本書の大半は広告(Batavia、Cheribon、Tegalのものなどが目立つ)で占められているものの、先述のように一連の危機がメディアの注目を集めたことを反映してか、全国的に名の知れていた著名人たちが記事を寄せているのも、本書の資料的価値を一層高いものにしている。寄稿者には、バタヴィアで保安隊を組織し初代副隊長となった黄金成(Oey Kim Sen; 1913-1995年)、スマランを中心に記者・歴史家として活躍した林天祐(Liem Thian Joe; 1895-1962年)、『競報(Keng Po)』『新報(Sin Po)』の記者を務め歴史家・文学家としても名高い梁右蘭(Nio Joe Lan; 1904-1973年)、長らく『新報』の編集長を務め1935年にはジャワの華人名士録を著した郭克明(Kwee Kek Beng; 1900-1975年)などが含まれる。なお最後の郭克明は、「警察行動」の前後に起きた華人に対する暴力の概要を国連へ報告した人物としても知られている。

 ※本書の別の箇所では、共和国軍ではなくAMRI(インドネシア共和国青年部隊)であったとされている。


 



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