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こちらにはひと月に一度,AA研スタッフや共同研究員がフィールド調査の際に撮った写真を載せています。

(写真の著作権は撮影者にあります。無断・無許可でのご使用は固くお断りします。)

マフムード・ガーワーン・マドラサ

マフムード・ガーワーンは1411年,イラン北部のギーラーン地方で生まれた。 壮年期にアジアの各地を旅し,馬の商人として成功を収めると,1453年に,42歳になったマフムードは,デカン地方のバフマニー朝に馬を売るため,インド亜大陸西海岸の港に上陸した。当時バフマニー朝のスルタンであったアフマド・シャー2世(在位1451年–1458年)は彼を好意的に迎え入れ,貴族の地位を与えた。マフムードは宮廷で卓越した政治手腕を発揮し,ついに1463年には宰相にまで上り詰めた。マフムードはオスマン帝国のメフメト2世,ティムール朝のアブー・サイード・ミールザー,マムルーク朝のカーイトバーイなど,当時の多くの支配者や有力者たちに宛てて多数の手紙を書き,彼の書簡集『Riyāż al-Inshā』は,ペルシア語書簡の模範として,ペルシア語文化圏で広く流通した。彼は,アブドゥッラフマーン・ジャーミーやシャラフッディーン・アリー・ヤズディーといった,ティムール朝の著名な詩人・歴史家をたびたびビーダルに招こうとしたが,その試みは実現しなかった。マフムードは1481年に宮廷での政治的抗争に巻き込まれ,処刑された。

2024年1月31日
インド,カルナータカ州ビーダル
小倉智史 撮影


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