日本学術振興会 人文・社会科学振興プロジェクト研究事業
領域II - (1) 平和構築に向けた知の展開

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黒木英充(くろき・ひでみつ)
1961年生まれ。1987年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了。
現在、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授。地域研究による「人間の安全保障学」の構築プロジェクトリーダー。
主要業績:
KUROKI Hidemitsu(ed.), The Influence of Human Mobility in Muslim Societies, London, 2003.
「前近代イスラーム帝国における圧政の実態と反抗の論理−1784年アレッポの事例から−」『岩波講座世界歴史14 イスラーム・環インド洋世界 16−18世紀』(岩波書店、2000年、215-234頁)
Events in Aleppo during Napoleon's Expedition of Egypt Bulletin d'Etudes Orientales, (Institut Francais de Damas) vol.51, 1999, pp.263-277.
"The 1850 Aleppo Disturbance Reconsidered." Acta Viennensia Ottomanica: Akten des 13. CIEPO-Symposiums vom 21. bis 25. September 1998 in Wien, Wien, Instituts fur Orientalistik, pp.221-233.


  皆様、おはようございます。東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所の黒木でございます。本日はお忙しいところ、朝早くからお越しいただきまして、どうもありがとうございます。

 アジア・アフリカ言語文化研究所は長い名前ですので、アジア・アフリカのAAをとってAA研と呼んでいますが、私はAA研で中東研究をしております。18世紀、19世紀のシリアの歴史をやっています。こういった人間が本日のシンポジウムの主催グループで、「地域研究による『人間の安全保障学』の構築」というプロジェクトの代表をしております。このプロジェクトは、日本学術振興会の「人文・社会科学振興のためのプロジェクト研究事業」という委託事業、研究委託の事業です。全部で30ほどの研究グループがありますが、その一つでありまして、先月に始まったばかりのプロジェクトです。

 受付で受け取られた資料の中に、A4の1枚紙の表に文字がたくさん入っているものがあります。それをご覧いただくとおわかりになると思いますが、このプロジェクトは、「ジェノサイド研究の展開」というプロジェクトと、「アメリカ研究の再編」というプロジェクトと姉妹関係にあります。この三つが一緒になって、「平和構築に向けての知の再編」という大きな傘のプロジェクトを構成しているかたちになっています。

  それぞれのグループの趣旨はそこに書いてあるとおりです。各グループに日本全国の関係する研究者20人ほどを集めて、今後、おそらく4年半にわたって研究活動を展開してまいります。共催として、私が所属しております東京外国語大学、それから「地域研究コンソーシアム」という今ちょうど形成中のコンソーシアム協議体がございます。昨日、その設立準備委員会が正式に発足しました。

 この「地域研究コンソーシアム」とは、日本における地域研究を振興し、発展させるという目的のために、全国の地域研究の関連機関、それから大学院の研究科等が協力して、いろいろな事業を展開できる仕組みをつくろうと、現在、研究者が集まって形成中のものです。

 私が所属している東京外国語大学AA研と、北海道大学スラブ研究センター、京都大学東南アジア研究センター、国立民族学博物館地域研究企画交流センター、この4機関が昨年来、ワーキンググループを形成して協議を進めてきました。昨日、さらに東京大学東洋文化研究所、東北大学東北アジア研究センターも呼びかけ機関として加わって、その他、地域研究関連研究所、研究センターや大学院の地域研究関連の研究科も糾合して、一つの協議体をつくろうとしています。その支援も得て、本日のシンポジウムを開始することになったわけです。

 私は先ほども申しましたように18〜19世紀の歴史、中東のアラビア語やオスマントルコ語のアラビア文字で書かれた古めかしい文書等を読むのが本職です。そんな私がなぜこのプロジェクトを始めようと思ったのかについて簡単にご説明したいと思います。

 「人間の安全保障」という言葉は皆さんもいろいろなところで耳にされていると思います。10年前の1994年に国連開発計画がキーワードとして提唱したのが、人口に膾炙する最初になったものです。国家の安全保障、ナショナル・セキュリティに対抗する概念として、ヒューマン・セキュリティという言葉を打ち出したわけです。もともとは世界各地、特に第三世界で開発が進められる中で、そこに生きる人々の生存や生活がきちんと保障されるように配慮しよう、そのために様々なしくみを整えようといったところから始まった言葉だと了解しています。

 それがこの10年間の間に大変な広がりを見せました。いろいろな人々がこの言葉を使うようになりました。日本政府も国連に「人間の安全保障委員会」を設立するのにリーダーシップをとるなどだいぶ関与しています。その背景には、「人間の安全保障」という言葉を耳にしたときに、人々がそれに共鳴するものを感じる、そこに切実な思いをかける、ということがあると思います。

 冷戦後の世界においては、民族・宗派紛争、内戦、あるいは本格的な戦争が一層激化してきました。ほんの一例だけあげると、「人間の安全保障」という言葉が生まれた1994年、つまり国連開発計画が提唱した年を振り返ってみると、アフリカのルワンダでは3カ月の間に50万人以上と言われる人々が虐殺される事件が発生しています。パレスチナのヘブロンのモスクでは、礼拝するパレスチナ人のムスリムに、ユダヤ人の入植者が機関銃を乱射して、多数を殺傷するという事件も発生しています。ロシア軍がチェチェン共和国のドゥダーエフ政権を打倒するために軍隊を送り込んだという年でもありました。

 これらの事件は10年前のできごとですが、今日にまで影響を及ぼす、ターニングポイントになった事件であろうかと思います。以後、皆さんの記憶に新しい9.11事件、それから昨年来、続いているイラク戦争に至るまで、政治過程の様々な部分において、個人のレベルから国家のレベルにおける各位相において、暴力というものが占める比率が増すばかりのように思われます。

 こうした状況の中で毎日、人々が大変な焦燥感あるいは危機感を感じています。このために、「人間の安全保障」という言葉を多くの人々が使うようになり、またそれにある種の思いを寄せるようになったのだ、と思われます。そして暴力が政治過程の様々な部分で起こると申しましたが、そういった暴力が発生したときに、それを鎮圧するために国家が暴力装置をフル稼働させることは何ら解決になっていない、事態を一層激化させているのではないかということを、人々が直感的に理解しているのだと思います。

 こういった事情は、内戦や、目に見える血が流れる暴力だけに限りません。そういった暴力の裏では、環境問題あるいは人口問題が世界各地で急速に進行していて、それが結果的には、資源分配をめぐる様々な地球規模の歪みといったものも生み出しています。それが目に見えないかたちで暴力の背景になっているのではないかということも、いろいろなかたちで知られるようになってきました。こういったことから、今後人間が人間らしく生きていけるのかという根本的な疑念が出てきたように思います。

 「人間の安全保障」の言葉が急速に広がっていると申しましたが、つい先日、インターネットのYahooで「人間の安全保障」という言葉を検索したところ、4700ページのヒット件数がありました。それから英語のYahooで Human Security を検索すると、506万という膨大な数のヒットがあります。また日本全国各地の大学等で、「人間の安全保障」という言葉を冠した講座や授業、研究センターやプロジェクトといったものも多数、組織されています。そういった学的な取り組みは様々なされています。
  国際政治学等では、国家間の安全保障という従来の伝統的な安全保障観の限界をきちんと認識して、今後の新たな国際社会のあるべき姿を構想すべく、「人間の安全保障」を追究しているように思われます。様々な理論化の努力もなされています。

 それから実際に暴力の被害を受けて苦しんでいる人々が世界各地にいるわけですが、そういった人々を支援しているNGO等々の団体が多数あります。その活動の中に、今後のあるべき市民社会の姿を見いだして、そこに「人間の安全保障」の実践的な可能性を認めるという議論もあります。

 そういった事情を見渡していて、何かが欠けている、とはたと気づいたわけです。人間の安全が脅かされる原因、それから紛争の実際の有様等を、世界各地の現地の社会的、文化的、歴史的な文脈の中に位置づけ、総合的に考察するという作業です。そこから、現在進行中の様々な事態に対処できるような「現地の知」というべきものを導き出す作業を、いままで組織的に展開してこなかったのではないかということに気づいたわけです。本日のポスターにも、現地に立ちもどって考えるというキャッチコピーを付けています。

 同時に、「人間の安全保障」という言葉を手放しで使うことには慎重でなければいけないとも考えます。この言葉の中に、現状を打開したいという願いを込めれば込めるほど、別の意図を持つ人々に足元をすくわれかねない可能性も出てきます。極端な話、「人間の安全保障」のために戦争をする、という議論すら出てきかない状況が、現在の世界に存在しています。

 そういったことに注意を払いながら、今後どうしようかということです。このプロジェクトは「人間の安全保障」というものを、大風呂敷ですが、新しい学的な体系として打ち立てることができれば、あるいはそれにいささかなりとも地域研究の立場から寄与することができれば、と考えています。

 では地域研究とは何かということですが、私は次のように考えます。まず問題がある。その問題に応じて、時間軸も含めた四次元的な空間を研究対象として設定する。それに対して最も効果的なマルチ・ディシプリンを持って、様々な学問分野の人間が機動的に取り組むということです。最近のはやりの言葉で言うと問題解決型ということになろうかと思います。

 「人間の安全保障」という問題に関して、われわれ地域研究者がこのような形で取り組むことによって、ともすれば細分化された、悪い言葉で言うとたこつぼ化した研究者のディシプリン、あるいは狭い意味での「地域」の−自分はここの地域だけが専門だといった−殻の中に閉じこもりがちな研究者自身が、総合的で様々な地域を通貫する、通地域的な視野を獲得することが期待されます。なおかつわれわれの得意な分野であるところの現地感覚に根差した発言、提言を社会に向けて発信することができるようになればと考えています。

 われわれがそういう活動をすることによって、先ほども申しましたが、一種の諸刃の剣にもなりかねない「人間の安全保障」、また発展途上にある「人間の安全保障」という言葉、その概念を鍛え上げることに寄与できればと考えています。

 そのためにこうしたシンポジウムやワークショップ等を開催し、ホームページを立ち上げて、成果を発信していきたいと考えています。本日のシンポジウムはその最初の第一歩と位置づけています。

 本日のシンポジウムの構成ですが、第一部が午前中から昼過ぎまでかかりますが、最初に「フィールドにおける『人間の安全保障』」ということで、地域研究がよって立つところの現地、フィールドにおいて、「人間の安全保障」がどのように立ち上がるかという問題を考えます。

 次に「マルチ・ディシプリンと『人間の安全保障』」は、地域研究が必要とするマルチ・ディシプリナリーな研究方法、さらにそこからインターディシプリナリーな研究手法が生まれるかもしれませんが、それが「人間の安全保障」をどのようにとらえるのかといった問題を検討します。

 それから「地域概念の多重性と『人間の安全保障』」です。地域概念というものは常に伸び縮みします。そして重層的に重なり合います。そういった複雑な位相において、「人間の安全保障」がどのように映し出されるのかといった問題を論じます。

 最後に、「地域研究における「介入」と『人間の安全保障』」というタイトルで、「人間の安全保障」を実現するためには、個人、集団、国家が、問題が起こっている地域に関して何らかの介入をすることになります。そういった局面で地域研究は、それぞれの問題にどうかかわるのかということについて、それぞれ第一線の研究者の方々に語っていただくというセッションになっています。

 午後は、「イラク戦争下の世界における『人間の安全保障』」ということで、講演を二つお願いしています。9.11事件とイラク戦争を通じて深刻な段階に突入した地球社会というものをいかにとらえるべきか、その中で「人間の安全保障」をどのように構想すればいいのかといった問題について、皆さんよくご存じだと思いますが、平和学者のヨハン・ガルトゥングさん、作家の池澤夏樹さんをお招きしてお話をいただきます。そのあとに討論することになっています。

 今日一日、長丁場ですが、皆様と一緒に「人間の安全保障」の今後のあるべき姿について考えることができればよろしいかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

 

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