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研究セミナー >> 2007年度感想・報告 >> 澤江史子
2007(平成19)年度 後期
澤江史子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所非常勤研究員)
 この報告は、博士号取得者が自分の博士論文執筆過程を振り返り、困難や反省点を受講生とともに共有し、また、受講生の博士論文執筆の参考や勇気づけに役立ててもらうとの趣旨で行われているとのことである。これまでの報告者によっても指摘されていることだが、研究対象国やディシプリンの異なる受講生にとって、現代トルコ政治専攻で、かつ執筆に長い年月を費やしてしまった報告者の経験がどのような発表であれば役立つのか、迷うところが多かった。

  そこで、とりあえず年表形式で修士以降にどのような見通し(目的)をもってどのような作業を行いながら模索を続けてきたのかを整理した。その際に、その過程で何につまずき、どのようにその先が開けたのか(あるいは路線変更したのか)、さらには、どの時点で個別論文が発表され、それが最終的な博士論文にどのように組み込まれたのか(あるいは博士論文からは除外されたのか)が一覧できるように表を作成した。その上で、博士論文執筆時に自分が解決できなかった問題点を方法論や認識論的問題も含めて指摘した。

  この作業は報告者にとって思い出したくない暗い時期をも思い起こし、それを先生方や受講生の前でつまびらかに話すということであり、大いに気の滅入る作業だった。しかし、同時に、報告者自身にとっても意義ある作業となった。博士論文執筆時にやり残し、現在の直接的な研究テーマの背後にそびえている大きな枠組みとしての研究課題を再認識することができ、そこを見失わずに今後の研究を続けていくことに自覚的であろうと思いを新たにすることができた。また、受講生の中から単独発表論文を博士論文から除外した理由を尋ねられたことも、その論文が博士論文の構成にうまく適合しなくても、結局は現在行っている研究と直接関係しており、博士論文を研究人生の最初の区切りとすると、博論執筆後の研究の広がりや方向性を指し示す重要な目印的位置づけにあったことを認識できた。

  その他、先生方からの質問の中で、「いろいろ問題点を残しながらも博士論文を仕上げたことが良かったか」との問いがあったが、それには全面的に「イエス」と答えた。上述のような点に気づき、その上で研究を続けていくためには、少なくとも報告者にとっては、一度、博士論文の形をつけて振り返るという過程が必要であったように思われる。博士論文は就職の最低条件になりつつあるが、「大きな物語の終焉」が叫ばれた後の大きな枠組みとの格闘がディシプリンを問わず重要になってきている時代に研究を続けていくことを考えると、研究生活という観点からも博士論文をある段階で一旦、仕上げるということの意義は十分にあると思った。

  今回の報告は受講生への助言というよりは報告者の大反省会となってしまった。しかし、報告を終えて、「私の博士論文」という報告の意義は、受講生はもとより、報告者自身やプロの研究者になっている段階の人たちにとっても、(私の拙い報告がその役割を果たせたかはさておき)各自の研究について認識を新たにする機会のような気がしている。少なくとも、私は今後また別の方の報告を拝聴する機会があれば、そういう形で自分をリフレッシュするために活用したいと思っている。
 

 

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