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研究セミナー >> 2006年度感想・報告 >> 堀井聡江
2006(平成18)年度 前期
堀井聡江(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所非常勤研究員)


「留学と博士論文」

  報告者はイスラーム法を専門とし、1995年から4年間、ドイツ学術交流会(Deutcher Akademischer Austauschdienst、通称DAAD)の奨学生としてドイツに留学し、さらに2年後の2002年、ケルン大学から博士号を取得した。この経験をふまえつつ、また昨今の就職事情も視野に入れながら、博論作成に関する若干のアドバイスを試みた。とはいえ、博論を「書く」ことそのものについては、一般的に妥当する理論や方法はなく、書けるか書けないかはほとんど性格の問題に尽きるため、アドバイスといっても、専ら「書く」前後のことに限定される。

  まず、博論には、質か早さか、つまり時間がかかっても良いものを書くか、とにかく早く出すか、という究極のジレンマがある。近年、博士号の取得またはそれに準じる業績が大学等の公募要件として一般化していることに鑑みれば、一般論としては、やはり早さをとるべきであろう。

  ゆえに留学して博論を書くことは、時間的に大きなリスクである。だが、国内で博論を書く場合においても可能な限り斟酌すべき2つの点で、留学にメリットがあることも事実である。第1は、博論作成にあたって当然確保すべき、ある程度まとまった時間と、種々のしがらみから極力離れて集中できる環境という点でのメリットである。この点、誘惑が乏しく、勉強のほかやることのないドイツという国は、博論を書くには良い場所であった。また、DAAD奨学金は、選考基準にドイツ語能力が入らないために比較的とり易い点、内容が充実している点で、欧米で学位を取りたいと考えている人には、受入機関さえあればお勧めである。第2のメリットは、(どこに留学するかにもよるが)現地調査や国際的な学会へのアクセスである。報告者も留学中、エジプトで資料収集を行い、ベルリンで行われたイスラーム法関連ワークショップにも参加することができた。

 報告者の博論およびその作成までの具体的経緯は割愛するが、一般論として、あるレベルのものが書ければ研究者として一皮むける、といえよう。博士号の取得という結果を措いても、博論は書くべきである。しかし、博論は書くまでもさることながら、書いた後が非常に重要であることを強調したい。なぜなら博論の完成は、去年の報告者が述べたように、「もはや博論のことを考えなくてすむ」というプレッシャーからの解放を意味するわけではなく、むしろ次の新たな研究テーマを見つけねばならないという、研究者としての永遠のプレッシャーの始まりだからである。私見では、ある程度のレベルの博論であれば、必ず次につながるもの、つまりある程度長期的に追求できるようなテーマが見つかるか、ないし少なくとも自分の研究のスタイルや方向性が確立でき、それこそが博論を書く意義である。

 ただ、次のテーマが見つかると言っても、問題はそれが博論完成後すぐに見つかるとは限らないことである(その間の精神的重圧はかなり大きい)。その場合の「つなぎ」として最も有効かつ合理的なのが、博論をいじることである。方法としては一般に、博論を基に複数の雑誌論文を発表するか、博論そのものを本として出版するかの2つである。第1の方法は、留学中その余裕のなかった報告者のように、博論の中間報告にあたる論文を出せなかった場合、本数の遅れを取り戻すことができ、かつ(理論的には)中間報告式より論文の質が高くなるというメリットをもつ。もっとも、中間報告式であれば作成中の博論の改善に資するし、また博論作成中から「出せる所には出す」べき公募の問題からすれば、早い段階で論文の本数があった方がよいため、中間報告式で論文を出しておくのがよい。

 ぎゃくに第2の方法は、このように中間報告式でいくつも論文を出してしまった場合、採らざるをえない選択肢である。またやはり就職のための業績という面からして、著書は論文よりインパクトがある(と言われている)。ただし、それゆえにこそ一工夫が必要であろう。なぜなら、本というものは、完成原稿さえあれば、これを出版すること自体はさほど困難なことではなく、かつ日本でも博論の出版が増えつつある現状を鑑みれば、博論に少し手を加えただけの本がどれだけ評価されるか疑問だからである。

 報告者の場合、ドイツでは博論の出版が博士号取得の要件であるため、ドイツ語による博論の出版はすでに行っていたこともあり、日本語ではテーマを広げ、イスラーム法の歴史に関する本を書いた。これには博論そのものだけでなく、博論自体には使えなかったが、作成中に読んだ資料で面白いと思った、こま切れ・切り落とし的情報が大いに役に立った。無論これらを繋ぎ合わせただけでは一冊の本になることはなく、新たに調べることも多いため、結果的に時間はかかるが、博論を次につなげるという意味では、思い切って大風呂敷を広げてもよいであろう。報告者もこの作業を通じて、現在の研究テーマを得ることができたのである。

 

 

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